C61 20+12系

    かなり前の画像ですが、JR東日本高崎支社が運行する信越本線快速「SL碓氷」号です。
    蒸気機関車には12系客車より旧型客車の方が似合うなと思う個人的な感想はともかく、この12系客車すら既に希少な存在となって久しくなります。

    12系客車を初めて見たのは記憶にある限りではもう半世紀前…つまり50年前の小学3年生の夏休みのことでした。
    当時は父の転勤の関係で広島県福山市に住んでいた私でしたが両親は東京出身だったので夏休みには東京へ帰省(?)、そして長野県北部の親戚のところに遊びに行くことが慣例みたいになっていました。

    いつもの年なら帰りも東京経由で福山へ帰っていたのですが、あの年だけは長野から直接篠ノ井線~中央西線経由で名古屋へ出て岡山まで開業してまもない山陽新幹線、岡山から山陽本線で福山まで帰ったのでした。

    明日は福山へ帰るという日だったか…長野といってもほぼ新潟県との県境の親戚宅から従兄弟ともども大人に連れられて新潟県側の妙高高原駅から隣の関山駅までローカル列車に乗って関山駅からバスで妙高サンシャインランドという遊園地に出かけました。
    妙高高原駅で改札口が開くのを待っているときに停車していたのが12系客車でした。
    まだ真新しい車体、屋上には冷房機器が載っている姿には鉄道などまったく興味のない母でさえ惹かれたようで、サボには急行、列車名のサボはアルペン(指定席)の表示がありました。行先は大阪と表示されていたので駅の窓口で母が尋ねたところ、
「この列車は北陸本線経由で全車両指定席となっていまして、明日の列車の指定席券は完売となっています」
と言われて母が残念がっていたのを覚えています。
    少年の私から見ても
(あんな客車だったらいいのに…)
と思うほどでした。ただ、床下に取り付けられている編成への給電用のディーゼルエンジンの音がかなりうるさかったと思ったことも覚えています。

    ちなみに翌日妙高高原駅始発で信越・篠ノ井・中央本線経由の大阪行の急行「ちくま」は旧型客車の列車でした。もちろん冷房なんてありませんし、篠ノ井線や中央西線ではたくさんの登山者が乗ってきて列車はすし詰め状態でした。始発の妙高高原から乗車していたからよかったものの、トイレに行くのも大変なほどでした。

    そんな羨望の12系も晩年は多くの車両がローカル列車用に改造されたり白帯が消されて青一色となったりして無惨な姿を晒していましたが、希少となった高崎の車両はかなり原形をとどめています。
    今後も末長く使われるといいですね。


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    卵…期限が過ぎてしまったらゆで玉子にしますけどね。