今回から全14回(予定)にわたり、前面展望車両をフィーチャーする連載記事「『前へ』~前面展望車両列伝」を開始いたします。よろしくお付き合いのほどを。
さて、予告編でも申し述べましたが、「前面展望車両」について一応の定義をしておくと、

先頭部に座席又はフリースペースがあり、そこから乗客が(運転台越しにではなく)直接に前面展望を見ることができる車両

とし、運転台越しに前面展望を楽しめる車両はここに含めないという立場を取ります。

「前面展望車両」の定義をいたしましたので、本題に入りましょう。

列車の最後尾から過ぎゆく景色の展望を乗客に提供する「展望車」は、19世紀の米国で誕生し、その後欧州や日本にも派生しました。しかしこれは、あくまで「最後部の景色」であり、前面展望ではありません。
そこで、鉄道事業者の側でも、前面展望を乗客に提供したいという発想が出てくることになりますが、このようなことは機関車方式ではまず不可能、あるいは著しく困難でした。そのため、「前面展望車両」の登場は、電車や気動車といった動力分散方式の車両に事実上限られることになります。
世界における「前面展望車両」の嚆矢とされるものは、恐らく1930年代にフランスで登場した「ブガッティ・ガソリンカー」ですが、これは単車運転のガソリンカーについて、運転台を車両中央部に設けた櫓のような場所に置き、最前部を乗客に開放することで、乗客の前面展望を可能にしたものです。しかし、この方式は運転士による前方の視認性に難があったのか、あるいは長編成を組むことができないためだったのか、あまり普及せずに終わり、世界的な知名度もそれほどないままでした。

本格的な「前面展望車両」の登場は、1950年代のイタリア国鉄(当時)のETR300形電車まで待たなければなりません。現車は第1編成が1957年に登場、その後3編成まで増加しましたが、ETR300形の増備はこの3編成で打ち切られ、以後はETR300形を短編成化しコストダウンを図った兄弟車・ETR250形「アルレッキーノ」に移行しています。「アルレッキーノ」ことETR250形は、1960年開催のローマ五輪の輸送用に投入されたもの。こちらも先頭部は展望ラウンジとされ、運転台もETR300形と同じ構造となっています。
ETR300形の登場前の欧州では、競合交通機関の発展には脅威を感じていたものですが、米国ほどには旅客需要が落ち込んでいなかったことから、それなら運賃・料金が多少高額でもそれに見合ったサービスを提供すれば、必ず乗客はつくということで、各国は豪華列車・特急列車網の構築に力を入れました(その結果が欧州鉄道網における国際特急列車網「TEEネットワーク」の構築だった)。ETR300形は国際列車への充当をもくろんだ車両ではなく、イタリア国内の特急列車用ではあったものの、「高額な運賃・料金に見合った高水準のサービス」を目指して製造されたものです。事実、この車両を使用して運転された特急列車は、後年にはイタリア国内のみの運行でありながら、列車名も車両の愛称そのままの「セッテベッロ」(ローマ-ミラノ)として、TEEの一員に組み込まれています(1984年まで)。
この車両を世界的に有名にしたのは、曲面を多用した優美な造形の先頭部など、デザイン的に優れた造形であることもそうですが、最大の理由は「前面展望席」を設けたこと。具体的には、運転台を上部に上げ、空いた最前部をラウンジスペースとして椅子を置き、乗客に自由に座ってもらえるようにしたものです。つまり乗客用のフリースペースとして展望室が活用されていたもので、これはまさに、「先頭部に座席又はフリースペースがあり、そこから乗客が(運転台越しにではなく)直接に前面展望を見ることができる車両」という定義に該当する「前面展望車両」となります。
そして恐らく、この車両は鉄道趣味界では「ETR300形」という「本名」よりも、「セッテベッロ(Il Settebello)」(セッテベロとも)という「愛称」の方が、圧倒的に通りがよくなっています。この「セッテベッロ」とは、イタリア語で「7人の美女」の意。ETR300形も7両編成(一部連接構造)ですが、これは同車が7両編成を組むからではなく、カードゲーム「スコパ」の切り札の名に由来するとのこと。

さて、「セッテベッロ」ことETR300形の先頭形状をつぶさに見ると、その後の名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーといった、日本における「前面展望車両」によく似た形状をしていますが(特に小田急『NSE』3100形にはよく似ている)、これらとは異なる点がいくつかあります。
まずひとつは、展望室部分が客室ではなく、乗客用のフリースペースであること。
そしてもうひとつは、運転台が展望室の上部に位置するように見えますが、これは名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーのように、運転台を客室から完全に分離したわけではないこと。ETR300形の運転台は、車両の片側(進行方向に向かって左側)を占めていて、そこの高い位置に運転士が座るようになっています。つまり同車の運転台は、いわば「片隅式の超高運転台バージョン」というべき形態で、そのため運転台の後部からの前面展望は、進行方向右側の席からしかできなくなっています。

ETR300形は、イタリア国鉄のフラッグシップ的な存在として、1984年にTEE「セッテベッロ」の運用から降りた後も(列車は機関車牽引の客車列車に置き換えられ、列車名も「コロッセオ」と改められて、TEEのまま存置された)、引き続きイタリア国内の優等列車に使用され続けてきましたが、流石に経年による老朽化が顕著になったこと、高速運転が可能な「ペンドリーノ」が登場したことなどにより、1992年に通常の営業運転から退いています。その後は1編成のみが残り観光用列車などに使用され、日本でいうジョイフルトレインのような扱いとなっていましたが、そのときには内装がかなり改変されていて原型は残っていませんでした。その後、内装は忠実に復元されています。

「セッテベッロ」ことETR300形が日本の鉄道に絶大な影響を与えたことは夙に知られており、それは名鉄パノラマカー7000系、小田急ロマンスカー「NSE」こと3100形に顕著に表れています。
しかし、日本の鉄道に最適化するためには、両者とも展望席部分の設計には細心の注意が払われており、それにまつわる苦労も多くあったようです。
次回以降、名鉄パノラマカー、小田急「NSE」についてそのあたりを取り上げていこうと思います。

その2(№5928.)に続く

 

【おことわり】

当ブログでは、年を和暦で表記し、西暦を括弧書きで併記する方式をデフォルトとしておりますが、当記事では西暦のみの表記としております。