筑豊電気鉄道2000形引退に向け、くどめの自己紹介。 | 誉模型ブログ

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こんにちは、誉模型です。
9月になりました。
11月に引退が決まっている筑豊電鉄2000形の体験運転ツアーに参加された方のSNSを見たり、撮影をされる方も増えてきて、いよいよだなと実感がわいてきました。

以下、筑豊電鉄と2000形に対する自分の思い入れをツラツラと書きました。
あまり面白い内容ではないと思うので、適当に読み飛ばしてください。

 




筑豊電鉄との出会いはよく覚えていないのですが、幼稚園に入る前までは永犬丸に住んでおり、1978年位には認識していたと思います。
2000形に関しては、その後引っ越した土手の内電停でよく見ていました。
北九州線はまだ門司まで健在で、塗装はオレンジとクリーム色、そんな中でたまにやって来る西鉄特急2000形と同じ塗装を纏い、3連接車のマークがかっこ良かったこの電車を強烈に覚えています。
当時は写真(カメラ)は高級品でしたので、撮影した写真などは無いのですが、電車大百科等の書籍に載っていると買ってもらったりしていました。
西鉄北九州線の3連接車もあまり見かけない存在で好きでしたが、やっぱりこの塗装が良かったですね。

幼稚園バスの停留所が土手の内電停に近く、一人の時はベンチに座って電車を見て過ごしていました。
5分から10分くらいでじゃんじゃんやって来るので、飽きずにずっと見ていられました。

お隣に住む幼馴染のお父さんが西鉄に勤めていらっしゃったので、日曜日などのお休みの日は幼馴染と一緒に電停までお弁当を持って行き、電車の運転士さんに名前を名乗ってお弁当を渡すのを見ていました。

何かのアクシデントで幼稚園バスに乗れなかった日は電車で行くこともあり、その時は青(いヘッドマーク)の3連接車(西鉄)に乗れるのもうれしかったなぁ・・・。

 

 

 

小学生になると電車通学ができるので、本当に楽しみで、ワクワクしながら電停に向かうのですが、ランドセルをからった(背負った)小学生で超満員・・・。
小学一年生にして満員電車の洗礼を受けました。
ベビーブームの生まれで、1~6年生までがコレに乗らないと遅刻する最後の電車に集中するので当然なのですが・・・。
帰りはバラバラなので、遊びの予定がない時は自分が好きな電車が来るのをじっと待って帰ったりしていました。
夕刻になると筑豊中間折り返しも多かったので、せっかく来たのに乗れなかったことも多々ありました。
前を走る電車に追いついてしまい、信号で止まることも度々です。


そもそも電車通学だったのは距離が問題なのではなく、家の近くを流れていた川に橋が無く、また当時は国鉄香月線があったのですが、通学路にあたる場所に踏切が無く、かなりの遠回りを強いられるため(絶対そんなもん渡るに決まってる!)電車通学だったようです。
その後、川には橋が架かり、香月線も廃止されてしまったので、徒歩通学になったようです。
その頃には千葉に引っ越してしまったので、徒歩通学はしたことがありませんでした。

 

 

 

子供会で電車を貸し切って到津遊園地まで行くこともあり、電車の中にシートを敷いて床に座ってました。
黒崎以東に電車で出かけることが少なかったので、単行がたくさん走る街は新鮮で、その規模の大きさに圧倒されていました。

 


週に何度かは筑豊中間の西鉄ストア、月に何度かは通谷のダイエー、そして年に何度か(誕生日、クリスマス、正月)は黒崎そごうへお買い物に行くのにも電車です。
上り電車は希望溢れる目でハイテンションノリノリ、黒崎の煙突と高炉を見ればもう夢心地です。
下り電車は専用ホームに止まっている2000形に乗り込み、グッタリです。

 

 

夏は木屋瀬にプールがあり、子供たちだけで電車に乗り行っていました。


 

 

香月、楠橋、木屋瀬と青々とした田園風景で、クーラーなど付いていない時代なので窓は全開、風が気持ちよかったのは今でも覚えています。

 

楠橋車庫にも大量に青い(ヘッドマークの)3連接車が停まっており、もう興奮しっぱなしです。


 

 

土手の内から直方方面に行くことはほとんどなく、こっち方面の電車乗る時は下りがハイテンション、上りは疲れてぐったりです。
筑豊直方に行くことは1度か2度あったのですが、長大な鉄橋と到着前のシザースクロスが深く印象に残っています。

 

後にシールドビーム車が突如現れます。
同級生が新型を見た!!と言っていたので、存在は知っていたのですが、なかなか見るとこができず、初めて見たときはショックを受けました。
カッコ悪かったからです(笑)
ヘッドマークは無くなってるし、ギョロ目で骸骨を思わせるその出で立ち(笑)image

 

そして何より新型じゃないこと!
慣れてしまえばコレはコレでアリだなとなりました。
北九州線が赤電に塗装変更になった時も全く同じパターンでした。
カッコ悪いとは思わなかったけど、毒カエルみたいだな・・・と(笑)

2000形にクーラーが付いた時、ペンギンマークの付いた電車を見てびっくりしたり、穴生の高架切り替えの時もワクワクしながらその様子を眺めていました。
方向幕が大きい2000形の存在に気づいたり、西鉄と筑豊電鉄のマークが違うことに気づいたりと、眺めれば眺めるほどその差異に気付き、鉄道好きの級友と情報交換するのが楽しみでした。
学校の作文も筑豊電鉄に関係する話で、たしか運賃の値上げについて書いてあったと思います。
先生は呆れていましたが、否定することもなく、むしろ肯定的であったのが深く印象に残っています。

 

 

 

幼稚園の頃はミニミニレールで遊んでいたのですが、Nゲージに出会ったのもこの頃で、黒崎そごうのレストラン街に小さなNゲージのジオラマがあり、そこでNゲージの存在に気付き、おもちゃ売り場で早速1両だけ買ってもらいました。
級友はすでにNゲージを持っており、ある程度モノが揃った所でNゲージを持つ級友の家に線路と車両を持ち込み、遊んでいました。
当時はブルートレインブーム真っ只中。
車両は当然EF65-1000、オハネフとカニ。
この頃から筑豊電鉄2000形のNゲージが欲しいと思っていました。
トミックスのカタログのはがきに製品化希望の欄があり、そこにいつも書いていました。
その想いは、36年後の2017年にトミーテックさんによってかなえられました。

購入して即黄電に塗り替え、その他の色にも塗り替えて、7色+黄電を揃えたりしてました。

勢い余ってNゲージサイズの筑豊直方駅も作ったり・・・


いずれ16番でも作りたいです。




筑豊電鉄、北九州線が鉄道趣味の入り口で、引っ越してからもずっとそれは変わらず、大人になって九州に来るときは必ず筑豊電鉄に乗りました。




3000形がデビューしたのは引っ越した後で、雑誌で知りました。

走行装置は北九州線1000形。


冒頭にも書きましたが、その趣味の入り口で、一番思い入れの深い車両である2000形の引退が迫っています。
いずれこの時が来ることは理解していましたが、いざそれが差し迫るとやっぱり寂しいですね。
本当は毎日撮影して記録に残しておきたいところですが、なかなかそうもいかずにもやもやする日々です。

何かできることはないかな。
追記(2022/9/18)
ありました。
クラウドファンディングで2002号保存計画のお力添えをお願いしています。↓

 

 


ではまた次回に。