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テーマ:鉄道(21933)
カテゴリ:西日本鉄道
下大利駅(しもおおりえき)は福岡県大野城市下大利一丁目にある西鉄・天神大牟田線の駅です。
駅番号はT11。 1924年(大正13年)4月に開業しています。 天神大牟田線は1924年4月、下大利駅が開業した日に九州鉄道により福岡駅(現在の西鉄・福岡(天神)駅)から久留米駅(現在の西鉄・久留米駅)が開業しているので、この白木原駅は天神大牟田線でも最古参の駅となっています。 1989年(平成元年)9月、ダイヤ改正により急行停車駅となります。 下大利駅周辺には下大利団地や星ヶ丘団地などがあり福岡市の博多・天神へのベッドタウンになっています。 下大利駅は大野城市にある駅ですが、大野城市は福岡都市圏の南部、筑紫地域に位置する都市で福岡市のベッドタウンであり、大野城市に住んでいる人が、福岡市へ通勤・通学者の人口割合は人口の44,6%を占めているそうです。 2013年(平成25年)4月、仮駅舎(橋上駅)を東口として使用開始しています。 福岡市に隣接し都心部から10キロ圏内という利便性の良さから人口が増えている大野城市ですが、西鉄。天神大牟田線とJR九州・鹿児島本線に挟まれたエリアは、地域を鉄道に分断されて一体的な土地利用がされていないほか、踏切での交通渋滞の発生など問題を抱えていました。 下大利駅が仮駅舎になったこの時期は、現在(2022年8月)は完成している天神大牟田線(雑餉隈駅~下大利駅)の立体高架化事業がいよいよ本格的に工事も開始された時期です。 2022年(令和4年)8月、立体高架化され相対式ホーム2面2線の高架駅となりました。 近隣の白木原駅・春日原駅・雑餉隈駅も地上の仮駅舎駅から高架駅となりましたが、この3つの駅は高架化が開始された日には仮駅舎を通って高架ホームに行く仕組みになっていて、まだ完全に新しい駅舎となっていません、しかし、この白木原駅は高架化されたと同時に新しい駅舎の運用も開始されました。 下大利駅の2021年度(令和3年度)の1日平均乗降人員は12905人であり西鉄の駅としては第11位となっています。 大野城市の南東端部に立地し、中心部から離れていますが、市南端部に開発された住宅地へのバス路線の運行の拠点となっています。 大野城市の南の玄関口といって良いでしょうね。 私は高架化された当日(2022年8月28日)に下大利駅を訪れたのですが、駅前では雑餉隈駅~下大利駅の天神大牟田線高架化を祝ったイベントが行われていました。 また、駅舎内には周辺にある福岡県立筑紫中央高校(武田鉄矢の母校)が作った祝辞や大野城市のキャラクター(ゆるキャラ)”大野ジョー”も大きく描かれ高架化されたことに対するお祝いの言葉を述べていました。 ここ近年は全国的な「ゆるキャラグランプリ」は開催されていないようですが、この大野城市の”大野ジョー”は「ゆるキャラグランプリ2018」で全国7位に入賞したことがあります。 ”大野ジョー”はちょっとおませな12歳で、特技はダンス。イベントではかなりキレのある踊りを披露しているそうです。特徴ある髪型の模様は、大野城市、太宰府市、宇美町にまたがる特別史跡「大野城跡」の石垣をイメージしたものになっています。 そして、正式に明記されているようではありませんが、”大野ジョー”の外見は髪型がリーゼントの白人(アメリカ人)です。 ”ジョー”という名前からして日本人ではなく外国人を意識させて作られているようです。 今回、天神大牟田線では雑餉隈駅・春日原駅・白木原駅・下大利駅の4駅が高架化されましたが、そのうち春日原駅は春日市、白木原駅・下大利駅は大野城市の駅となるのですが、第二次世界大戦後1972年(昭和47年)頃まで鹿児島本線の線路を跨いだ大野城市の一部と隣接する春日市には在日米軍基地が存在しました。 春日市にある春日公園やJR九州・大野城駅のすぐ近くにある九州大学の筑紫キャンパスは1972年までは在日米軍基地があった場所ですね。 ですから”大野ジョー”の””ジョーはかつて、この近辺に在日米軍基地が存在したよ、ということを暗に示しているのでしょう。 そして、春日市・大野城市に在日米軍基地は1972年頃まで存在したのですが、その1972年4月1日に2つの市とも市制施行(春日町は筑紫郡春日市へ、筑紫郡大野町は大野城市へ)しています。 平成の大合併とかいう時期ならわかるのですが、隣接した市町村が同じ日に市制施行したという事例はなかなか珍しいのではないでしょうか。 ちなみに天神大牟田線の高架化完成は市制施行からちょうど50年目の節目の年でした。(2022年) 春日市・大野城市周辺の在日米軍基地が撤去される1972年頃の日本の総理大臣と言えば「日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還」をなし遂げ1974年にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作(安倍晋三・元首相の大叔父)でした。 佐藤栄作は「沖縄返還」をアメリカとの交渉で勝ち取りましたが、その裏では日本全国にある在日米軍基地を沖縄に集約させるという条件もあったはずです。 春日市・大野城市が市制施行してから約1か月半後の1972年5月15日に沖縄は日本に返還されました。 歴史劇画 大宰相 第四巻 池田勇人と佐藤栄作の激突 (講談社文庫) [ さいとう・たかを ] 現在、沖縄県の在日米軍基地について、沖縄県の面積は日本の国土面積に対し占める割合では1%以下と小さいのにもかかわらず、 在日米軍専用施設面積の74%が、沖縄県に集中していると言われています。 沖縄が日本に復帰するための代償だった、と言われればそれまでですが、1972年頃、春日市や大野城市と同じように在日米軍基地がなくなり、それが沖縄に移転したという市区町村は日本の他の場所でもあるのではないでしょうか。 私は大野城市のゆるキャラ”大野ジョー”のリーゼントを見るたびにかつて春日市・大野城市にあった在日米軍基地のことを考えます。 米軍基地権と日米密約 奄美・小笠原・沖縄返還を通して [ 信夫 隆司 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.06 18:59:41
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