読売新聞「JR考」を読み、考えた。 結論は・・・。 | 元高校教員のブログ

元高校教員のブログ

定年退職から5年が終わりました。この間1年10ヶ月以外は自由人として旅人生活や地方でのに二拠点生活をしています。

9月6日現在読売新聞では「JR考」をまだ連載中である。

7月25日に始まり、第一部1回目の最初に以下の文がある。

 

 「JR東日本がローカル線の収支を公表した。「都会の稼ぎで地方を支える」構図を維持できなくなりつつある姿は、今の日本を投影するかのようだ。公共交通機関として使命を担いつつ営利を追求するJRという企業はどういう存在なのか。鉄道開業150年、JR発足35年の年に考えたい。」

 

とある。

これまでに20回近く出され、自分が高校生時代に聞いた名前も出てくる。

国鉄改革に関わった人が母校の先輩であることも知っていて、当時からどうなるのだろうと考えたことを思い出す。

 

第一部は読むだけで切り取らなかった。

 

新聞の凋落が言われる中、取材を積み重ねて記事は読者も楽しみである。

今のマスコミ報道は偏向しているとか、報道の自由を行使して報道すべきことも報道しないと言われるし、実感する。

 

高校時代は就職先に国鉄もいいなと思ったこともあったが、中学高校時代、ストが多くてうんざりし、こういう企業はやばいだろうと思っていた。

 

国有鉄道時代のことから現在に至るまでを「国鉄改革の記録」という報告書を元に考察している。

 

公共交通のあり方について、乗り鉄の自分にも関心がある。

 

旅人生活を楽しむ上でも、次々に消えていく赤字路線というのも実感する。

 

民営化後のJRの現状をみるとき、かつてとはかなり様相が異なる。

 

1回目のタイトルの中に「人口急減は『想定外』」とあるように、時代の先を見通すことは難しい。

 

北海道を見てみると、産業構造の変化により、鉄道が大幅に消えている。

こればかりは仕方ない。

 

YouTube動画のひろりんさんは廃線前後の様子を、もの悲しいメロディとともにたくさんアップしている。

興味のある方は見ていただきたい。

 

鉄道をいかにして存続させるのか、廃止すべきなのか、課題だらけである。

 

コロナ禍で在宅勤務が増え、仕事のやり方も少しは変わってきた。

悪いことをよい方向に変える好機だと思うが、そう簡単なものでもない。

地方や過疎化と言われる地域に住む若者は少なく、高齢者が多い現状は簡単にはいかない。

 

どういう方策があるのか、可能性を考えてみたいと思うが、・・・だ。

 

無責任だが、今回はここでおしまい。

 

自分自身自動車には乗るが、公共交通は積極的に利用している。

自動車より時間もストレスも少ないからだ。

 

昭和の時代にあれだけの鉄道が走っていたのが不思議に思う。