1981年初夏、とあるテレビ番組がきっかけで鉄道模型に興味を持った私。親にせがんで当時の日本橋東急百貨店に行って、「Nゲージ」というカテゴリーの模型を買ってもらいました。普通なら、車両、レール、コントローラーが一式揃ったセットを選ぶんですけど、そういうのを全く知らなかった私と親は、車両、レール、コントローラーを単品で買いました。もっとも、レールはそれを組めば楕円形になるセットを選びましたけどね。

 

メーカーも全く判っていなかったんですが、ミニカーで有名なトミーが鉄道模型に参入していることを知り、「それなら安心できる」とばかりに、レールもコントローラーもトミー(トミックス)で統一しました。そして車両も越中島貨物線のイメージから、同じトミックスのDD51にしまして(個人的希望は関水金属の153系新快速色だったが、却下された)、貨車を1両、確かトミックスのホキ2200だったと記憶していますが、それをチョイスしました。したら、店員さんが貨車を1両サービスするって言ってくれて、「ならば」と選んだのは関水金属のヨ8000でした。

 

トミックスのDD51は、1978年にリリースされましたが、幾度かのリニューアルを経ながらも今もなお、カタログ落ちしないロングセラー商品として知られています。当初はヘッドライトは未点灯でしたが、1980年からはヘッドライトが点灯式となりました。

この頃の機番は一貫して「756」でしたが、これは巨人軍の王選手がホームラン世界記録を樹立した番号に由来しているのは有名な話。実車の756号機は当時、人気機でもなければスターでもありませんでした。

1972年に新製された756号機は、新製配置こそ長野運転所でしたが、程なくして熊本機関区に転属、1981年からは東新潟機関区に転配され民営化を迎えます。東新潟ということは主に磐越西線での運用だったんでしょう。僚機には “三ツ目” で人気機になった745号機もいまして、トミックスでは限定品としてこの745号機も製品化しました。

2009年、住み慣れた新潟を後にして、一旦、山口の厚狭機関区(幡生機関区厚狭派出所)に籍を置いた後、門司機関区に転配されてここが終の棲家となります。つまり、九州と甲信越を行ったり来たりした流浪の機関車でもありました。

 

 

756号機は廃車後、京都鉄道博物館に保存されることになり、現在でもその姿を見ることが出来ます。

京都鉄博で初めて756号機を見た時、思わず「トミックスっ!」って叫んでしまいました。思い入れがあるだけに、残存していると聞いた時も嬉しかったし、保存されると聞いた時はもっと小躍りしました。そして初めて京都鉄博に行った時は真っ先に・・ではなかったけど、他の車両そっちのけでDD51 756に向かいました。

 

今のHG仕様の方が良いに決まっているんですが、私は比較にならないほど劣っていても、初期~中期ロットの756を支持します。