山陰の中核都市の香住と浜坂との間には峻険な山々が断崖絶壁となり日本海まで迫り、桃観峠を越える為にはトンネルを掘削することを余儀なくされ、明治44年に峠には山陰本線の中で2番目に長い桃観トンネルが貫通しました。 トンネルの長さを少しでも短くする為には、トンネルの前後はできるだけ高度を稼ぐことが必要となり、必然的にトンネルに向かう列車は力行を強いられ、撮影に関しては適したポイントとなっています。
近くには超有名撮影地の”餘部橋梁“がありますが、とある秋の朝、この桃観峠を登る特急《出雲》の撮影に向かいました。
撮影地 : 山陰本線 餘部 - 久谷
撮影日 : 2005年10月24日
まだ明けきらぬ峠に御召し牽引機の1186号機が現れました。
↓はブローニー版で
感材 : FUJIFILM RDPⅢ
上り勾配を正面寄りで待っていましたが、流石に特急列車で動態ブレを起こしてしまいました。
桃観トンネルに吸い込まれて行く特急《出雲》
トンネルポータル上には『惟徳罔小』の文字が右書きで刻まれていて、桃観トンネル開通当時の
重要性と掘削に際しての難工事が推察されます。
下の写真は桃観トンネル上にある排煙用の煙突です。
撮影は1975年1月で、大正7年の台風で反乱を起こし、大きな被害をもたらした西川には、その当時に改修工事されたと思われる強固な石積みの護岸も見てとれます。 平成になってからは木々の手入れもされなくなり、排煙煙突や西川護岸工事の様子は確認することが出来なくなりました。今は近くに自動車専用道もできて、桃観峠を越える国道さえ通行できなくなっています。
本日は、旧餘部橋梁があった頃には
あまり注目されなかった桃観トンネルの事でした。
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。