丸ノ内線分岐線の車輛たち | 書斎の汽車・電車

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 JAMにかまけているうちに少し前の話となってしまいましたが、東京メトロが8月27日にダイヤ改正を行いました。

 各線で日中を中心に大幅な減便となるなど、昨今の厳しい現実を踏まえたダイヤとなっていますが、もう1つ、大きな話題がありました。丸ノ内線分岐線(方南町支線)において3輛編成の運転が終了し、全列車6輛編成での運行となりました。この支線の専用車として活躍してきた02系80番台も引退ということになりそうです。

 

 思えば、方南町支線といえば、歴代本線系とは一味違う車輛が投入されており、趣味的に面白い存在でした。今回の全面6連化を機に、その車輛史をまとめておこうと思います。

 そもそも、中野坂上からの分岐線は、中野富士見町の車輛基地への出入庫と、鉄道空白地帯の解消を目的に建設されたものです。まず中野坂上~中野富士見町が昭和36(1961)年2月8日に開業。翌年3月27日に方南町まで全通しています。開業時は本線ともども「荻窪線」が正式名称であり、丸ノ内線となったのは昭和47(1972)年4月1日のことです。

 開業当時は分岐線内折り返し列車は2連で運行されていました。(当時本線系は日中4連、混雑時5連)この頃は専用車は用意されず、本線系の300形や400形が使用されたものと思われます。もっとも、丸ノ内線(本線)も開業当初は2~3連でしたし、本線系車輛の6輛固定編成化はまだ始まっていませんので、このような運用も可能でした。

 

 方南町支線の「専用車」が登場するのは、全線開業からしばらく経った昭和37(1962)年11月のことです。残念ながら新車ではなく銀座線の「お古」、旧東京高速鉄道の100形でした。転属に際しては車体色を丸ノ内線系の赤色とし、窓下に太い白帯を巻きましたが、300形等のようなステンレスのサインカーブは省略されました。また、車体幅の狭さを補うため、ドア下部にはステップを設置しています。(このあたりは後続の2000形も同様)

 方南町支線に移ってきたのは、30輛あった100形のうち、101~110の10輛でした。これが、101-102、103-104、105-106、107-108、109-110という編成を組んでいました。

 

 このように、戦前派のオールドタイマーで始まった方南町支線専用車の歴史でしたが、銀座線において創業期の1000形、1100形そして100形が引退する際に、方南町支線に転じていた100形10輛も、同時に引退することになりました。昭和43(1968)年5月のことです。

 後継車は、これまた銀座線から移籍の2000形でした。100形と同様の改造を受けて走り始めたのは次の10輛です。

 2031-2032、2033-2034、2035-2036、2037-2038、2039-2040

 

 この2000形2連というのが、私にとっても馴染み深い時代です。そして、この時代(昭和40年代から50年代初め)には、運がいいと方南町支線内の折り返し電車で500形に乗ることができました。「えっ、500形はもう6輛固定編成でしょう?」と思われるかも知れませんが、801-802という2連が存在したのです。

 この2連は500形のラストナンバーですが、「予備車」という位置づけでした。検査時等に「穴埋め」をする車輛なのですが、2輛で方南町支線に入ることもありました。たまにこの電車に当ると、何となく得をしたような気になったものです。

 801-802の2連、方南町支線の3連化(後述)後は、支線内運用で見かけることはなくなったと思いますが、(私が知らないだけで実例はあるのかも)1980年代半ばまで大窓の側扉を持つなど異彩を放ち、更新改造後は運転台助手席側の窓が中間車のような2段サッシ窓になり、また中間車、先頭車双方の可能性があることから、幌枠を付けたまま先頭に立つなど、個性派ぶりを発揮していました。この電車を模型で再現できないかと、RMM誌122号付録のプラキットをストックしてあるのですが、今のところ形になっていません。そろそろ何とかしなくては。

 

 方南町支線の専用車が3輛編成になったのは、昭和56(1981)年11月のことです。銀座線用に1500N形を新造し、捻出された2000形を方南町支線に投入することで3連化を実現しています。編成は下記の通りです。

2031-2073-2032

2033-2092-2034

2035-2129-2036

2037-2062-2038

2039-2070-2040

210120572082

(下線を付けたのが今回の銀座線からの転属車)

 3連化とともにこれまでの5編成が6編成に増えました。このように方南町支線の輸送力増強がはかられたわけです。

 

 銀座線で2000形(と1500形)が引退したのに合わせて、方南町支線の2000形も現役を退きます。平成5(1993)年7月のことです。このあたり、かつての100形の引退と似ています。このたびの後継車は、本線用の500形と300形でした。3連に組成された6本が活躍を始めます。編成を示します。

729-719-720

653-744-700

713-584-752

753-754-696

709-769-770

637-304-656

 大半が500形ですが、1輛だけ300形が混じっているのに注目です。また、かつて準支線区用車輛だった801-802は、今回は入っていません。この2輛は予備車のまま、平成7(1995)年2月22日付で廃車、他の車輛とともにアルゼンチンに渡っています。

 なお、709-769-770の3連は平成6(1994)年6月15日付で廃車となり、代わって771-772-734の3連が方南町支線用となりました。

 この頃は02系が続々と投入されている頃で、平成7(1995)年3月1日には、遂に本線系統は02系に統一されました。あの「地下鉄サリン事件」は正にその矢先に起こったことになります。従来の「赤い電車」は方南町支線にのみ残ることになりました。

 翌平成8(1996)年7月6日、方南町支線の500形・300形も定期運用を退きました。(7月20日にお別れ運転を実施)最後に残ったのは18輛ですが、特に304号車は昭和29(1954)年の丸ノ内線開業当初から走り続けた車輛でした。

 

 さて、代わって方南町支線に入ったのが、02系の80番台車でした。方南町支線としては初の、そして恐らくは最後の新造の専用車でした。また、初の冷房車でもあり、これにより丸ノ内線は冷房化率100%を達成しています。編成は下記の通り。

02181-02281-02381

02182-02282-02382

02183-02283-02383

02184-02284-02384

02185-02285-02385

02186-02286-02386

※実際は02のあとにハイフンが入ります。

 80番台は本線用をベースに、行先は方向幕に戻し、旅客案内表示装置は省略、運転台はワンハンドルマスコン(将来のワンマン化に対応)、そして外観上の相違として、細い黒帯が加わっているのが特徴です。

 

 その後、平成16(2004)年7月31日から、方南町支線では線内発着列車のワンマン化を実現します。本線系のワンマン化は平成21(2009)年3月28日からですので、分岐線が先んじたことになります。02系80番台のワンマン化対応装備が生きたといえましょう。また、平成22(2010)年5月からは、方南町支線の3連がATO運転を開始しますが、こちらは本線系が一足先に平成20(2008)年末から運転開始しています。

 さらに時は流れて令和元(2019)年7月5日、方南町駅のホームが6輛編成対応可能となり、池袋発の電車が方南町まで乗り入れるようになりました。令和3(2021)年3月13日、とうとう線内折り返し列車の一部も6連化。いよいよ方南町支線全面6連化が時間の問題となりました。この間、平成31(2019)年2月からは新たな2000系電車がデビューし、02系の置き換えが始まっています。今回の方南町支線全面6連化後の02系80番台の処遇は発表されていませんが、恐らくこのまま引退するものとみられています。

 

 方南町支線の車輛史を見てきましたが、支線区だけになかなか個性豊かな車輛が活躍してきたことがおわかりいただけたのではないかと思います。私も改めて勉強になりました。