旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

「前照灯」と「前部標識灯」とどっちが正しい?

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 筆者が鉄道マンになった頃、新鶴見機関区で機関士として電機に乗務する先輩から、こんな話をきいたことがあります。

 

「夜に事故を起こした時には、警察からも話を聞かれる。その時に、『前灯』とか『前照灯』、『ヘッドライト』とは言ってはならないんだ。「前部標識灯」と言うんだ」

 

 そして、後も続けたのです。

 

「『ヘッドライト』とか言うと、警察は必ずこう言うんだ。『ヘッドライトの明かりで前が見えなかったのか?前方不注意になっていなかったのか?』とな」

 

 まだ駆け出しの鉄道マンで、しかも配属されたのは機関車はおろか、運転からも程遠い電気設備の保守管理を担う技術系統に配属された若かりし頃の筆者にとって、この機関士の話に「一体何の話なのか」と理解するためには相当の時間が必要でした。

 この話は、万一、夜間に走行中、何らかの物と列車が衝突したとき、警察などの事情聴取でのことだったようです。機関車の運転台に立つことが叶わないことがほぼ「決まっていた」筆者にとって、運転系統に属する人たちの話は、すでに「どこか遠い国の話」にしか聞こえていませんでしたが、このブログを書く中で、こうしたやり取りから得た知識が役に立っていました。

 さて、話を戻しましょう。

 『ヘッドライト』とか『前照灯』とか言うと、警察は前方を照らすための照明と解釈してしまうので、夜間、線路上に何らかの異物があった時には、その照明で気付くはずであって、ブレーキ操作が遅れたのではないか、適切な操作がなされたかなどが追求されるそうです。

 もっとも、鉄道線路は柵やフェンスなどで保護されているので、一般には安易に立ち入ることができない空間です。唯一の例外が「踏切」で、道路などと交差するその場所だけは、踏切の遮断桿が降りていない場合に限って、一般の通行が許容されています。もちろん、遮断桿が降りて警告灯が明滅し、警報音が鳴っている間は、道路ではなく線路敷となるため、そこに入ることは禁止されます。

 とはいえ、故意か不注意かによらずに線路敷内に侵入する例は数多くあり、高速で走行する列車を運転する運転士にとって、昼間はともかく視界の悪い夜間は特に神経を使うそうです。

 夜間に走行する列車は、当然ですがライトをつけて走ります。

 そのライト。一般には『ヘッドライト』とか『前照灯』と理解されていますが、厳密には『前を照らすための照明』ではないのです。

 ここで、先程の機関士の会話に出てくる『前部標識灯』という用語が、鉄道では正しいといえるのです。

 1987年の国鉄分割民営化に際して制定された「普通鉄道構造規則」では、次のように定められていました。

 

普通鉄道構造規則(昭和六二年三月二日運輸省令第十四号)

第二百五条

運転室を有する車両の前面には、前部標識灯を設けなければならない。

2 前部標識灯は、次の基準に適合するものでなければならない。

  一 夜間車両の前方から点灯を確認できるものであること。

  二 灯光の色は、白色であること。

  三 車両中心面に対し対称に取り付けられたものであること。

  四 減光し又は照射方向を下向きに変換することができるものであること。

3 車両の前面には、後部標識灯と紛らわしい灯火を設けてはならない。

 

 このように、「前照灯」という文言は見当たりません。『前方を照らす』とか『前方の状況を確認できる』といった条文もありませんでした。この「普通鉄道構造規則」は、技術の発達や規制緩和の流れ、さらに鉄道事業者の責任をより明確にするなどのために、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」に改められました。

 

鉄道に関する技術上の基準を定める省令(平成十三年十二月二十五日国土交通省令第一五一号)

Ⅷ-17 第81条(車両の附属装置)関係

(中略)

7 標識灯は、以下のとおりとする。

(1) 運転室を有する車両の前面には、白色の前部標識灯を車両中心面に対して対称の位置に設けること。なお、前部標識灯は、夜間車両の前方から点灯を確認でき、減光し又は照射方向を下向きに変換することができること。

 

 このように、時代が変わってそれを定める法令(省令)が変わっても、鉄道車両の前部に設置される灯火類の基準は大きく変わらず、あくまでも「標識灯」であり、前方を照らして視認性を向上させる目的で設置されているものではないと言えます。

 要は夜間などで、前方から鉄道車両が「そこにいることが認識できる」ことを目的に設置されているのであって、そのためには前面に白色の灯火を設置せよ、というのがこの省令で定める基準なのです。

 

国鉄時代の「前部標識灯」は、原則として前面に1個のみと定められていた。そのため、蒸機はもちろんのこと、旧型電機や旧型国電はすべて「前部標識灯」は1個しか設置していない。この原則が崩れたのが151系の登場で、当時としては経験のない高速運転に対する不安から、「前部標識灯」を一気に3個設置することにし、監督官庁である運輸省から特認を受けて実現した。(EF58 61の前面にある前部標識灯 EF58 61〔新〕 新鶴見機関区 1986年8月頃 筆者撮影)

151系の登場により「前部標識灯」は原則1個という規定が改められ、個数制限がなくなると多様な標識灯の設置が見られるようになった。今日では「標識灯」ではあるが、夜間などの運転士からの前方の視認性を向上させるために、必要な数の灯火を設置している。国鉄の特急形電車は、485系などは3個の「前部標識灯」を設置していたが、185系は4個も設置していた。これにより、夜間の視認性は運転士と地上で作業をする職員双方にとって有益であったといえる。(185系の前面灯火類 クハ185-105〔宮ミヤ〕 2019年8月16日 東京駅 筆者撮影)

 

 それでは、同じ陸上の交通機関である自動車はどうでしょうか。自動車の構造基準を定める「道路運送車両法」とそれに基づく「道路運送車両の保安基準」では、次のように定められています。

 

道路運送車両の保安基準

前照灯

第三十二条 自動車(被牽けん引自動車を除く。第四項において同じ。)の前面には、走行用前照灯を備えなければならない。ただし、当該装置と同等の性能を有する配光可変型前照灯(夜間の走行状態に応じて、自動的に照射光線の光度及びその方向の空間的な分布を調整できる前照灯をいう。以下同じ。)を備える自動車として告示で定めるものにあつては、この限りでない。

2 走行用前照灯は、夜間に自動車の前方にある交通上の障害物を確認できるものとして、灯光の色、明るさ等に関し告示で定める基準に適合するものでなければならない。

3 走行用前照灯は、その性能を損なわないように、かつ、取付位置、取付方法等に関し告示で定める基準に適合するように取り付けられなければならない。

(後略)

 

 このように、自動車では「前方を照射し、障害物などを確認できる」こと、そして、灯火の性能についても照度や色温度、そして取り付け位置やその方法についても細かく定められています。特に「障害物などを確認できる」という文言からも、自動車の場合は夜間などに前方を視認できることを目的にしていることが分かります。

 鉄道車両の場合、このような法令から解釈すると、前面に設置される白色の灯火は、あくまでもその鉄道車両の「前部であることを認識させるための標識灯」であり、「前方を視認ないし確認できるための照明」ではないのです。ですから、前出の機関士の話に出てきたことは正解であり、「前照灯」とか「ヘッドライト」という言い方をすると、鉄道の構造に詳しくない警察官に勘違いされるかもしれない、ということが話の本質だということが理解できるでしょう。

 ところで、普通鉄道構造規則には、前部に設置できる灯火には、一定程度の「規制」が設けられていることが分かります。

 この中で、「中心に対象となる位置」と「紛らわしい灯火を設けてはならない」とありますが、前者の「中心に対象となる位置」とはどういうことでしょうか。

 中心に対象とは、左右に振り分けた場合、同じ位置になるようにしなければならないと解釈できます。近年の車両はその多くが前部標識灯を2個装備しています。標識灯であれば2個も必要ないという考えもあります。

 事実、旧国鉄時代、旧型国電や旧型電機、さらには蒸機の時代は、前部標識灯は1個が原則でした。灯火に使う電球が貴重品であり高価だったことも一つの要因かもしれませんが、今日ほど列車が高速で運転されることはなく、軌道周辺の環境も都市化が進んでなかったため、1個でも事足りたいたのかもしれません。また、当時は前部標識灯を2個以上装備することは想定されていなかったため、日本国有鉄道運転規則では前部標識灯は1個であることが定められていました。実際、151系電車が前部標識灯を3個装備することになったとき、運輸大臣から特認を得た上で装備させました。それ以後、規則を改正することで2個以上の前部標識灯を装備することも可能になりましたが、このことからも前方を視認するための照明ではなかったことが分かるでしょう。

 後者の「紛らわしい灯火を設けてはならない」という条文からあるように、前部標識灯と後部標識灯、いずれにも見誤るような灯火を設置することを規制しています。ところが、JR西日本が製作し運用している223系以降の車両は、前部標識灯と後部標識灯の他に、それとは違う灯火を設置しています。

 これはフォグランプで、自動車のものと目的はほぼ同じといえます。フォグランプは「霧灯」とも呼ばれるように、本来は霧中を走行する際に視界を確保することを目的とした灯火です。しかし、鉄道車両の場合、霧中を走行したとしても自動車とは異なりハンドル操作によって操舵するわけではないので、夜間の前方視認性を確保することが目的といって差し支えないでしょう。また、223系は4両編成と8両編成を基本とし、4〜12両編成を組成して運用されることから、先頭車同士が連結することが多くあります。そのため、その前面形状から連結部には大きな隙間ができてしまい、誤って乗客が転落してしまう事故もあることから、その隙間を照らして事故防止をねらうために設置されたとも考えられます。くわえて、前方から列車を視認する場合、前部標識灯でも事足りるのですが、フォグランプを設置することで視認性を高める効果もねらったと考えられるのです。

 いずれにしても、フォグランプは構造基準に定める前部標識灯とは異なりますが、それを補助する意味合いが強く、最後尾になった場合は消灯して運用するので、この規制には当てはまらないと解釈できるのです。

 冒頭にも紹介したように、鉄道車両の前部に取り付けられている灯火類、その中でも前灯は「前照灯」ではなく「前部標識灯」が正しく、それは線路上から列車の先頭部を認識するための標識灯であり、前部を照明する役割は二次的なものであるといえるのです。

 今日では、多くの鉄道車両が走行するときに、先頭車両は昼夜を問わず前部標識灯を点灯しています。筆者も鉄道マン時代は、線路内に立ち入って作業をすることが多くあり、線路を横切ることさえ日常茶飯事でした。遠近問わずに車両が近づいてくるのか、それとも停止しているのかを識別するのは自らの安全を確保するために非常に重要なことでした。前部標識灯が点灯しているとそれは「走行している」か、「走行する準備が終わっている」ことを示しているので、線路内から待避をしていました。逆に後部標識灯が2個点灯していると、それは遠ざかっていく車両だと認識でき、線路内に入って作業を行うことができるということになったのです。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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