「新特急なすの」は、東北新幹線が上野まで延伸された1985年3月のダイヤ改正で、急行を格上げする形で登場。「新」が付くとおり、旧来の特急とは一線を画す急行ベースの列車でした。なすのは唯一の東北本線系統の新特急で、当初は上野ー宇都宮・黒磯間に9往復が設定されました。

 

 

車両は上野ー大宮間を結んだ「新幹線リレー号」や近距離特急で活躍していた185系200番台を使用。編成の大半が自由席車となり定期券でも乗れるなど、利便性が際立っていたように思います。

 

 

私も夏休みの上野駅で一連の新特急群にカメラを向けて東北特急の485系にはない新鮮さを覚えたものですが、一方で各列車ともヘッドマークがあってもおとなしい印象で、少々物足りなさも感じました。

 

 

今から35年前の1987年、上野駅で撮った185系「新特急なすの」。部活の合宿に向かうのであろうか、階段では学生たちが列車待ちをしていて、何となく夏休みらしい写真になりました(ただ、大勢の視線を感じながらの撮影は思春期の鉄道少年には恥ずかしく、この1枚だけを撮ってそそくさと退散。夏の苦い思い出となってしまいました…)

 

 

 

後年「新特急なすのを見かけないな」と思ったことがあるのですが、88年3月改正で4往復が廃止、90年改正では1往復を除き快速に格下げされるなど、勢力は早々に縮小していたようです。最終的には短距離各駅停車タイプの新幹線へ名称を譲り、ホームライナー化により姿を消しました。

 

 

新特急なすのは元々、新幹線非停車駅に対応して役割分担を企図したようですが、この列車が持っていた性格は短距離都市間輸送と通勤輸送で、後の快速化、新幹線・ライナーへの再編はそれを如実に物語っていたように思います。

 

 

国鉄特急のイメージを変えたプチ優等列車。活躍は短期間でしたがJR移行の過渡期に、現代の列車体系へシフトする橋渡し役を担った列車でした。

 

 

 

 

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