昨今の都心対房総半島における輸送シフトは完全に高速路線バスが主導権を握っており、尚且つ、総武本線内は「成田エクスプレス」に道を譲った形になって、その存在すら忘れられている感じがしないでもない房総特急。でも、忘れられた存在ではあるけど、まだ走っています。

令和4年はやれ「鉄道150年」だとか、やれ「新快速50年」だとか、やれ「山陽新幹線開業50年」だとか、やれ「東北・上越新幹線開業40年」だとか、様々な節目が目白押しですが、これも忘れちゃ行けないのが「総武本線東京ルート開業及び房総特急運転開始50年」であること。錦糸町-津田沼間の複々線化と外房線の電化完成なども合わせて、国鉄千葉鉄道管理局内はまさに革命的な一大イベントだったんですね。

 

房総特急の嚆矢は外房線の「わかしお」と内房線の「さざなみ」で、画像の「しおさい」は「あやめ」とともに昭和50年に設定された特急列車ですが、これらの列車のために製造されたのが183系になります。つまり、183系も今年は “生誕50年” になります。

それまでの直流特急車両は181系がありましたが、さすがに草臥れまくっていて、「千葉の鉄道の一大革命」でそんな老兵を投入するのは相応しくないと思ったのか、オールニューの新型車両の投入に踏み切りました。もっとも、東京-錦糸町間の地下ルートで保安装置を搭載しない181系は入線できませんしね。快速用の113系は新たに保安装置対応の新車にスイッチして増備されたし、165系急行もその保安装置の兼ね合いで地下ルート開業後も両国あるいは新宿発着を貫いた経緯がありますし。

 

当初から中近距離の特急に充当するつもりで設計されたので、食堂車は設定されず、オンシーズンでフル稼働させる意味合いから、乗降用扉は片側2箇所。それまでは1箇所が当たり前だった特急用車両の伝統に風穴を開けました。さらに普通車の座席を簡易リクライニングシートにしてコストダウンを図りました。当然、頭の硬い論者からは相当な批判が飛び交ったようですが、将来的なビジョンを考えれば、この設計は的を得ていたような気がします。

 

クハ481 200番代に倣って貫通扉を備えたクハ183 0番代。最初の計画段階では東京-蘇我間で「わかしお」と「さざなみ」をくっつける予定があり、それで貫通扉を設けたらしいですが、その計画は頓挫し、「わかしお」も「さざなみ」も単独列車として運転を開始しました。その2年後に「とき」の181系置き換え用で183系が増備されますが、降雪地帯を走ることから、耐寒耐雪装備を強化した別バージョンを新たに設計し、仕様変更で1000番代となりました。クハ183も正面非貫通となり、「大は小を兼ねる」じゃないけど、以降の増備は1000番代に統一し、0番代は172両で製造が打ち止めになりました。因みに私は0番代の方を支持します。

簡易的ではあるけど、耐寒耐雪対応で碓氷峠も通過できる、直流電化区間なら何処でも走ることが出来るとあって、房総特急以外でも「あずさ」に充当したり、オンシーズンには「くろいそ」や「新雪」といった臨時列車にも投入されました。

 

現在の「しおさい」は255系が充当されているようですが、JR化後の特急車両でありながら老朽化が浮き彫りになっていて、E257系も「踊り子」用に転配されたり、あるいは波動用に改造されたりと、こちらは房総特急用としては数を減らしています。255系がダメになったその時、房総特急は終焉を迎えるのではないでしょうか?

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.832、989(いずれも電気車研究会社 刊)