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今日はED75機番シリーズのNo.156 1034号機その1です。1000番台後期形の1両、JR化後を走ったナナゴー171両中最後まで赤2号一色塗装(裾帯が入らない)で活躍した機関車です。
撮影期間が長く、好んで撮って来た機番ということもあって250コマを超える写真があるようです😅。通常写真のScanを終えてからselectして記事にするのですが、全コマScanする訳ではないものの数が多すぎて途中挫折するのは間違いないと思うので、Scanしながら順次Up という形をとりたいと思います。今日は客レが現役だった頃の写真です。
ED75 1034[青] 1974年落成[東芝]
国鉄時代はずっと青森所属で通し、民営化でJR東日本へ継承されます。
長く撮影することになる1034号機最初の1枚、50系客車を牽引して来ました。KE59ジャンパ栓が省略された1000番台後期形オリジナルのスタイルです。
1987/05 東北本線(以下同様) 岩手川口-好摩 532レ
20系客車を牽引して来ました。寝台急行”竿灯”です。聞き慣れない列車名ですが秋田の竿灯祭に合わせて”おが”の時刻を繰り下げて運転された臨時列車です。”おが”のナナゴー牽引区間は暗いうちに通過してしまいますが、”竿灯”運転日だけは明るくなってからの通過、P形と20系の組み合わせは唯一だったんじゃないかと思います。今思えばカブリつかずに撮っとけばな~😅。
1990/08 新白河-白坂 9106レ
同じ日、今度は尾久の12系お座敷”くつろぎ”を牽引して北へ戻って行きます。効率的な運用が組まれていました。もうちょい右に振っておけば編成入ったんだけどな..
1990/08 白河-久田野 9111レ
一ノ関始発の客レは6連とロング、急行八甲田を下車し始発が来るまでに平泉駅付近までは歩けたんですが写真の場所まではどう頑張っても間に合わず、一ノ関から初のタクシー利用でした😁。右端のジャンパ栓がKE72から黒塗りのKE85H、客車の戸閉信号伝達用に交換されているのが分かります。
1992/06 平泉-前沢 1523レ
上と同じ1523レは盛岡を越えて直通運転する列車でした。雪煙を上げて終着沼宮内を目指します。印象深いコマでした。
1993/01 好摩-岩手川口 1523レ
同じ日、沼宮内から上り列車になって盛岡へ戻ります。沼宮内で機回しする運用があったんですね~。背後に国道4号の築堤が写っているんですが、たまたま車が通らずセーフ😁。
1993/01 岩手川口-好摩 522レ
これも50系客車牽引、渋民の駅へ進入します。
余談ながら同じ列車の渋民停車中シーン、電暖表示灯が点灯しています。夏場ですからKE3ジャンパ栓を繋がずに運転していたってこと?しかし前撮り写真側は点灯していなかったのに..こんなんアリ??Upしませんが1か月程後にも1034号機、同じ電暖表示灯だけ点灯のまま客レを牽引して行く姿がありました。
1993/06 渋民駅 1521レ(2枚とも)
新幹線が出来る前の八戸駅です。583系はつかりで到着し止まっていた客レを撮影したもの、重連牽引でした。また全検を通ったのか綺麗、碍子には緑の塗料が塗られ右端のKE85Hジャンパ栓が黒からグレーへ塗り変えられています。今は右側が新幹線ホームになっていますが当時は右奥の方、盛岡色の気動車が沢山休んでしました。
1993/12 八戸駅 531レ
ここでようやく貨物列車牽引の姿、ガソリンタンクの車扱の先頭に立って来ました。
1994/05 豊原-白坂 5175レ
初期は客レ牽引の姿が多かった1034号機ですが、12系2000番台牽引の姿(走り)はこのコマが唯一だったようです。
1994/11 好摩-岩手川口 533レ
その1はここまでです。沢山コマがあるので何回に分かれるか分かりません😅が、順次ScanしUpしていきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。