ばーどの乗り物チャンネル(パート3)

鉄道やプラレール、その他乗り物に関する最近の活動の速報版です。

過去の列車(急行伯耆)

2022年08月19日 23時19分52秒 | 実物鉄道

1970年代後半に倉敷駅で撮影した下り急行「伯耆」の後ろ側です。先日リバイバル急行列車が運転されたのでこの写真を思い出しました。来月初旬にリバイバル急行「鷲羽」が運転されますが、この写真の左隅に153系もかろうじて写っています。キャノンデミというハーフサイズの小さなカメラを使用していました。この頃の倉敷駅には荷物列車も運転されていたためだと思われますが、ホーム屋根上を小さなコンテナらしき物をのせてホームからホームへ行ったり来たりする設備がありました。この写真の奥にその設備が写っています。列車の待ち時間にぼーっと眺めていた記憶があります。当時小学生だった私は地元倉敷駅に来るのが精一杯。撮影のための遠征なんかとても考えられない時代でした。


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5 コメント

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急行「伯耆」 (ヲアニー)
2022-08-20 09:07:47
こういう名称の急行が走行していたとは知りませんでした。
鳥取県倉吉市以西を「伯耆の国」と言っていましたから、山陽と山陰を走行する急行だったのでしょうね。
急行「伯耆」 (birdch)
2022-08-20 17:55:29
いつもありがとうございます。急行「伯耆」は1975年から1982年まで伯備線経由で岡山-米子を結んでいた急行列車です。特急「やくも」に隠れて地味な存在だったようです。小学生の私も最初「伯耆」が読めず、「伯備」と勘違いしていました。ちなみに「伯備」は当時同区間で快速「伯備」という臨時列車がありました。ある意味いい時代でしたねえ。
そうでしたか・・ (ヲアニー)
2022-08-20 19:23:59
ご丁寧な返信ありがとうございました。
急行「伯耆」が走行していた時期は、鳥取市に住んでいましたから、伯備線には乗る機会がありませんでした。
1982年まで走行していたということは、たしか、その年に伯備線は電化されたと思います。それを機に急行「伯耆」は引退したかもしれませんね。

臨時列車の「伯備」も知りませんでした。

birdchさんは伯耆が走行していたころは小学生だったとは・・私は既に社会人で子供が1人、「伯耆」が廃止されて間もなく2人目が誕生しましたから、私とは年齢が一回り・・いや、二回りくらい違うようで(笑)
Unknown (birdch)
2022-08-20 22:04:20
またまたありがとうございます。そうですか!急行「伯耆」が走っていた時期は正確に言うと私は小学生から高校生にかけてです。ヲアニーさんのコメントを拝見して思い出しましたが、確かに伯備線が電化されて、電車「やくも」になった際に急行「伯耆」は無くなったと思われます。「伯耆」ではありませんが、その頃、末期のディーゼル「やくも」に乗車した際のレポートを載せていますのでよろしければご覧ください。高校生の私が少し登場します。(もしかしたら既にご案内したかもしれませんが)
↓こちらです。今から20年以上前に初めてホームページを作ったものが、そのままになっていて見苦しいですが。
http://www.kct.ne.jp/~tori/page4.htm
HP拝見 (ヲアニー)
2022-08-21 18:05:01
birdchさんの紅顔の”微”少年時代を拝見しました(笑)
ネット時代を予測したアングルで撮られてますね。三脚でこのような画角で撮られたとは、素晴らしい。
昭和50年代に伯備線を走行していたディーゼルの特急やくもは貴重ですね。
今は食堂車はないですが、当時のメニューの料金表見ました。
むしろ今の街中の食堂やレストランより高価かな?(笑)
もっとも、列車の食堂車ですから、経費もかかってますよね。

いずれにしても、ディーゼルでも電車でも、国鉄色のデザインは本当に素晴らしい。
ここの記事のコメントは、三度目の正直でこれで終わりにします。返信はお気遣いなく。

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