1970年代後半に倉敷駅で撮影した下り急行「伯耆」の後ろ側です。先日リバイバル急行列車が運転されたのでこの写真を思い出しました。来月初旬にリバイバル急行「鷲羽」が運転されますが、この写真の左隅に153系もかろうじて写っています。キャノンデミというハーフサイズの小さなカメラを使用していました。この頃の倉敷駅には荷物列車も運転されていたためだと思われますが、ホーム屋根上を小さなコンテナらしき物をのせてホームからホームへ行ったり来たりする設備がありました。この写真の奥にその設備が写っています。列車の待ち時間にぼーっと眺めていた記憶があります。当時小学生だった私は地元倉敷駅に来るのが精一杯。撮影のための遠征なんかとても考えられない時代でした。
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鳥取県倉吉市以西を「伯耆の国」と言っていましたから、山陽と山陰を走行する急行だったのでしょうね。
急行「伯耆」が走行していた時期は、鳥取市に住んでいましたから、伯備線には乗る機会がありませんでした。
1982年まで走行していたということは、たしか、その年に伯備線は電化されたと思います。それを機に急行「伯耆」は引退したかもしれませんね。
臨時列車の「伯備」も知りませんでした。
birdchさんは伯耆が走行していたころは小学生だったとは・・私は既に社会人で子供が1人、「伯耆」が廃止されて間もなく2人目が誕生しましたから、私とは年齢が一回り・・いや、二回りくらい違うようで(笑)
↓こちらです。今から20年以上前に初めてホームページを作ったものが、そのままになっていて見苦しいですが。
http://www.kct.ne.jp/~tori/page4.htm
ネット時代を予測したアングルで撮られてますね。三脚でこのような画角で撮られたとは、素晴らしい。
昭和50年代に伯備線を走行していたディーゼルの特急やくもは貴重ですね。
今は食堂車はないですが、当時のメニューの料金表見ました。
むしろ今の街中の食堂やレストランより高価かな?(笑)
もっとも、列車の食堂車ですから、経費もかかってますよね。
いずれにしても、ディーゼルでも電車でも、国鉄色のデザインは本当に素晴らしい。
ここの記事のコメントは、三度目の正直でこれで終わりにします。返信はお気遣いなく。