(前回記事の続き)
小湊鐵道 小湊鉄道線 五井駅
上総中野から乗車した小湊鉄道線キハ40形気動車2連は、終点の五井(千葉県市原市)駅に到着

小湊鐵道は製造から半世紀経つキハ200形気動車の負担を減らし延命を図るため、JR東日本から5両のキハ40形気動車を導入。
導入に当たっての条件は、部品調達が比較的容易な新型ディーゼルエンジンへの機関換装車であること、小湊鐵道で保守作業等ができるコイルばね台車であること等であり、小湊鐵道では、これら条件をクリアするJR東日本の5両のキハ40形気動車を導入前からマークしていたとされる。

小湊鐵道「キハ40 1」。JR東日本時代は「キハ40 2021」で、JR東日本引退直前までは、郡山総合車両センター会津若松派出所所属車両で、只見線で使用されていた。
小牛田運輸区所属時代にワンマン運転対応化工事を実施した際、混雑対応のため客室の座席を1+2列のボックスシートに改装、出入扉付近に出入口表示器を取り付けた。また、その後、DMF14HZディーゼルエンジンに機関換装。


養老渓谷行きの単行気動車


JR東日本や国鉄時代の銘板が残る。昭和54年宇都宮富士重工の製造銘板も見える。

五井駅ホームに隣接した側線には小湊鐵道自社発注のオリジナル車両・キハ200形気動車が留置。製造から半世紀以上活躍する古参車両。

小湊鐵道の主力車両「キハ200形」気動車は、1961年(昭和36年)から1977年(昭和52年)まで約16年に渡り、日本車輌で14両製造。

キハ200形気動車は、旧国鉄キハ20系気動車を基本とした設計。ファイアーオレンジとモーンアイボリーの車体塗色は、親会社の一つ、京成電鉄の当時の赤電3100形電車のイメージも盛り込まれている。
車内は、オールロングシートで、便所はない。現在は、209号(休車)・210号を除き冷房化。
ディーゼル機関は、今では大変希少なDMH17形(DMH17C)エンジンを装備。
DMH17形ディーゼルエンジンは、かつて国鉄気動車キハ10系、キハ20系、キハ35系、キハ58系、キハ80系などに搭載されていたエンジンで、「カラカラ」といったアイドル音が特徴。

◎「キハ200形気動車」14両
キハ201号︰1961年(昭和36年)製造
キハ202号︰1961年(昭和36年)製造、定期運用離脱
キハ203号︰1963年(昭和38年)製造
キハ204号︰1963年(昭和38年)製造
キハ205号︰1964年(昭和39年)製造
キハ206号︰1964年(昭和39年)製造
キハ207号︰1970年(昭和45年)製造
207号以降は、ドアは非プレスドアに。
キハ208号︰1970年(昭和45年)製造
キハ209号︰1970年(昭和45年)製造、冷房非搭載、休車中
キハ210号︰1970年(昭和45年)製造、冷房非搭載
キハ211号︰1975年(昭和50年)製造
211号以降は、窓はユニットサッシ化。
キハ212号︰1975年(昭和50年)製造
キハ213号︰1977年(昭和52年)製造
キハ214号︰1977年(昭和52年)製造
1970年(昭和45年)製造のキハ207号



近代的なJRホーム(右)と、レトロな小湊鐵道ホーム



小湊鉄道線の自動券売機


JRの高架改札内から、小湊鉄道線乗り場を望む。

JR内房線ホームから、小湊鉄道線ホームを望む。

小湊鉄道線ホームの向こう側には五井機関区の側線と留置気動車たち。


レトロな気動車などがずらりと並ぶ。

昭和時代の地方私鉄の雰囲気が今も生き続ける。



五井機関区で休む国鉄首都圏色(タラコ色)の2両のキハ40形気動車と、キハ200形気動車。

2両の国鉄首都圏色(タラコ色)のキハ40形気動車は、JR東日本から譲受したキハ40-1006(セミクロスシート車)とキハ40-2018(セミクロスシート車)。JR引退直前は、秋田総合車両センターに所属し、五能線・津軽線・奥羽本線で活躍していた車両。






引退直前はJR東日本秋田総合車両センターに所属し、男鹿線で活躍していた、JR男鹿線色のままのキハ40-2019(セミクロスシート車)。訪れた当時はまだ営業運転に入る前だった。








JR内房線209系電車が到着し、すぐに発車


小湊鉄道線の気動車が五井駅到着



サボは、差込み式では無く引っかけ式で青地に白文字。

「五井ー上総中野」のサボを取り外す。




窓を開けて、別のサボを取り付ける。






到着した列車は、2両のうち1両を切り離す。



左側の後期形キハ200の窓はユニットサッシ、右側の前期形キハ200の窓は非ユニットサッシ。


切り離された左側のキハ200は、五井機関区に回送される。
