阪和線 381系くろしお デビューの頃 | みぃちゃんず(鉄道部)

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ちょっと昔~現代の鉄道事情を実車や模型などを交えて。

<おことわり>

今回の写真はフィルムの劣化がひどく修正しましたがかなり色が悪いのでご了承ください。

 

阪和線 昭和53年10月1日

紀勢本線(和歌山~新宮)電化の前日

キハ81,82系の特急くろしおは最終運転日です。

9月30日にさよなら運転が実施され、その時はさよならのヘッドマークが付いていたらしいですが本当の最終日はヘッドマークなしの運行でした。

連結器の銀色装飾はさよなら運転に合わせて塗られたものだったかと。

この時、キハ81は1往復のみの運用となっていました。

阪和線に新快速も走っていました。

新快速は最速時は天王寺~和歌山間を途中1駅のみ停車(鳳駅)で、45分で結んでいました。

今の紀州路快速が平均でも同区間で70分以上掛かるので、如何に早かったか。

今の特急くろしおで平均45分~50分くらいです。

と言っても、今の紀州路快速は途中から各駅停車ですから仕方ありません。

昭和53年10月1日

阪和線の線内利用は多かったですが、天王寺~和歌山を通しで乗る人は当時はあまり多くなく使いにくい列車だったと思います。そういう訳で、鳳駅のみ停車に、熊取駅、和泉砂川駅の2駅が新快速停車駅に加わります。それで利便性は向上したけれど、天王寺~和歌山間の到達時間で見ると若干延びました。

それでも利用者は増加しなかったのか、はたまた特急利用を促したかったのか、ついに阪和線の新快速は廃止されてしまいます。

日根野電車区の113系が紀勢本線の新宮まで運用範囲を拡大したのも昭和53年10月のダイヤ改正でした。

ちなみに阪和線の113系は他線区からのお下がりの0番台ばかりで(横須賀色の0番台もありました、後に1000番台も回ってきました)、新車は配備されなかったのですが、このダイヤ改正に合わせて、ついに2000番台の新車が配備されました。ぴかぴかの新車を見て嬉しかったのを覚えています。

これが自分が見た最後の阪和線新快速でした。(103系の高運転台車もこの時期に配備されました)

 

この頃は貨物列車の牽引もEF15、EF58、それにED60も活躍していました。

本来旅客専用のEF58が日常的に貨物列車を牽く姿を見れるのは阪和線ならではだったと思います。

異機種重連の運用も多く、ED60+EF15やEF15+EF58などもよく見られました。

昭和53年10月1日

上写真もEF15+EF58の重連の貨物列車です。

重連が多かったのは、六十谷駅~紀伊駅間の雄の山峠が単機では厳しかったからでした。

 

紀勢本線からの石油列車や紙列車のほか、冬季にはみかん列車(臨時)はDE10の3重連もありました。(写真は残っていませんが)

また、鳳駅に隣接する帝国車両(のちに東急車両)からの新車の輸送にも阪和線が使われていました。

 

電化で紀勢線の客車列車を受け持つようになったEF58は、貨物列車の牽引から撤退し客車列車に専念するようになります。

紀勢線の貨物列車には関東からEF15が追加で転属してきて、最大で18両のEF15で阪和線~紀勢線(新宮以西)の間の貨物列車を担当しました。

EF15よりも新しいED60は紀勢線には入らなかったようです。

紀勢線の客車列車:昭和54年夏 EF58 66

 

ダイヤ改正前日ということもあり、先乗りでキハ82系のダイヤで381系が運用に入っている列車もありました。まだキハ82系の写真が撮れると思って線路際で待っていたのにがっかりしたものでした。車両運用の都合上でダイヤ改正前にフライングデビューした381系でした。

撮影日:昭和53年10月1日

381系は新たに100番台(先頭車だけ100番台で中間車は0番台の続き番号)が配備され、以降100番台は名古屋のしなの増発用と伯備線のやくも用して増備されていきます。381系のくろしおは1978年(昭和53年)~2015年(平成27年)まで活躍しました。

撮影時期:昭和53年夏ごろ

東海道線での381系試運転の風景です。(落成試運転?)

阪和線では先行で最短(当時)の4両編成で試運転が繰り返されていました。

天王寺駅では381系デビューに向けてお披露目会も実施されました。

そこには参加したのですが写真は残っていません。

昭和53年10月1日

そうこうしている間に数十分が過ぎて、営業を終えたキハ81が和歌山機関区に回送されていく姿を撮影しました。

これが走行シーンの見納めです。

昭和53年9月頃?

キハ82のくろしおの写真も見つかりましたのでアップしておきます。

昭和53年9月頃?

紀勢線の電化後も暫くの間、全区間架線の下を走るディーゼル急行としてきのくには運行されました。

昭和53年10月頃?

最後に、大和川を渡る381系のくろしおです。

 

381系はくろしおから撤退しましたが、くろしおとして走っていた車両の一部が現在もやくもで活躍しているのは嬉しいです。

そんなやくもも終焉が近づいていますが最後まで活躍してほしいですね。