青春18きっぷで北海道へ | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


京都駅13:00の新快速で出発です。


僕が初めて北海道に行ったのは、昭和60年3月。

昭和60年3月といえば、3月14日にダイヤ改正があり、旧客ファンにとっては59.2ダイヤ改正に次ぐ大きなダイヤ改正でした。


それまで全国的に走っていた旧型客車は山陰本線の福知山~出雲市に限定され、後は北海道の函館本線と江差線の区間列車のみになりました。


地元山陰本線も京都まで来る旧型客車が無くなるということで保津峡などでの撮影、寝台付き普通列車「山陰」号に乗るなどしましたが、東北、北海道まで足を伸ばすことはありませんでした。


さて、初めて北海道に行ったのは終業式を終えた昭和60年3月24日と思う。


あのダイヤ大改正の10日後ということになる。


実はあと10日早ければ、常磐線、東北本線を走る長距離鈍行221レ(原ノ町ー青森)や滝川ー釧路の421レに間に合ったのだ。


そう考えると残念極まりない。


当の3.14は僕は京都駅にいた。


出雲市からの最後の「山陰」号の写真を撮る為。


ところが、前日にカメラの掃除をして、カメラバッグにカメラを入れ忘れたため、写真は撮れなかった。


残念極まりない。


しかし今でもあの山陰2番ホームに到着した山陰号の姿は目に焼きついている。


12系5両に1番後ろにオハネフ12


これが日本の歴史で最後の寝台付き夜行鈍行だった。


しかし同時期に221レや421レも無くなっていたのだった。





さて、今回は中央本線経由で東京へ向かいます。


実際の行程は、18時過ぎに出る大垣行き普通で大垣にゆき、20:51発東京行きに乗った。


しかし令和4年現在、大垣夜行はないので前日に東京で泊まる事にしました。


米原の乗り換え。13:53/14:03

新快速が米原に着いた時はまだ入線しておらず、席を取ってから弁当を買いに行けるか不安だったので、少し遅れることを覚悟してコンコースの弁当屋台で「近江の味」1150円を買いました。


多くの人が乗り換えます。

、コロナになって初めての盛況だろう。


座るのもままなならない。



なんとか席をゲットしましたが、車内は立ち客で混雑していました。

大垣の乗り換えは1番線から5番線。

後ろの車両だったので木造の跨線橋に走る人も多くいました。


あれは4番線までしか行けないよ、と心の中で思いながらエスカレーターの方へ急ぎ、なんなく席確保しました。


稲沢機関区。

64はチャンスを逸した。


名鉄佐光が見えると名古屋は近い。


大垣からの快速も混んでいました。


18きっぷ客だろうな。



名古屋。15:13


中央本線に乗り換え。


運用表を見ると、15:24発中津川行き快速は8両。

211ロングシートの8両か211ロングシート6両プラス315転換クロス2両のどちらが来る運用でした。


残念ながら、オールロング。




景勝地古虎渓を行きます。

ロングはつまらんね。


中津川16:41着。

16:57発は折り返し運用のため、まだ到着していません。


2番線の停止位置「2」を目印に並びました。


座席は一部空いてるものの、立ち逆もいるので100%だろう。


ようやく弁当が食べられます。


近江の味と魚沼純米。