真っ赤なED75・78の夏 東北の夏 | 空の下、レールの上を人生と共に(JNR Forever)

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黒磯・山形から青森、どこまで言っても赤いED75と50系客車、正しく東北の鉄道の「象徴」でした。

 

2425レ

ED75 744[秋]+50系客車[秋アキ]

1991.8.13 新庄

 

でもED75以上に渋かったのが、板谷峠の「シェルパ」EF71・ED78でした。

 

この写真を撮った頃は山形新幹線開業を控えた板谷峠の改軌工事で、定期運用はED78が仙山線の貨物列車を牽くだけ。

 

それでも「ダブルヘッダー」で山形駅構内を移動する姿は、板谷峠時代そのままでした。

 

単5493レ

ED78 10[福]+?

 

専貨  5860レ

?+ED78 12[福]

以上2点 1991.8.12 山形

 

12号機はナンバープレートの形状からEF64 1000と同時期の増備、「国鉄最後」のELでした。

 

2点共前後の機関車番号を控えていればと思います。同一のペアの気もしますが、確証が持てません。

 

今は全く面影無くなった山形駅構内の撮影は、貴重でした。

 

DC急行「出羽」に乗ると、深夜の福島駅・板谷峠、夜明け前の米沢駅ではこの機関車とEF71の姿が見えました。

 

運用によってはED75が米沢まで牽引していましたが、細かいことはどうでもいい。

 

赤いELを見なくなってから、奥羽本線が寂れる一方の気がします…