平成5年3月ダイヤ改正~平成9年3月21日
山陰本線普通客車列車概要
~「平成5年3月体制(広義)」~
【H0503全-1】
【投稿日 令和4年8月8日】
【修正 令和5年12月12日等】
※R4.8.1に、誤って一時的に投稿してしまいました。ご覧になられた方には大変なご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。
1 はじめに
(1)平成2年3月ダイヤ改正
平成2年(1990年)3月10日のダイヤ改正では、園部電化と同時に第3回山陰本線普通客車列車大幅削減が実施され、山陰本線豊岡~出雲市間の普通客車列車が大幅に削減されました。詳細は#59のブログ等をご参照ください。
(2)平成2年3月10日~平成9年3月21日
☆平成2年3月ダイヤ改正後については、「平成2年3月10日~平成9年3月21日」の期間が山陰本線において普通客車列車が運行された期間となります。本数は極めて少ない本数した。当初は50系及び12系が使用されましたが、平成4年7月に全て12系となりました。(今回は詳細について記載省略)
<参考>平成4年3月に播但線の普通客車列車が全廃されたことにより、播但線の12系客車が山陰本線普通客車列車として使用されることとなった。
⇒平成4年7月に山陰本線普通客車列車は全て12系となった。
☆鉄道雑誌やTwitter情報等によると、豊岡~米子間の1往復だけでなく鳥取~米子間の2往復の12系普通客車列車も全て「平日5両・休日3両」で運用されるようになったのは、平成5年3月ダイヤ改正後のようです(この時、米子~出雲市間の1往復については、「平日6両・休日2両」で運用)。
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<私見>よって、私は、「平成2年3月10日~平成9年3月21日」の期間について、「平成2年3月~平成5年3月ダイヤ改正前」と「平成5年3月18日~平成9年3月21日」の2つに区分できるのではないかと考えており、そのうち「平成5年3月18日~平成9年3月21日」については「平成5年3月体制(広義)」と呼んでいます。(R5.12.12修正)
(3)「平成5年3月体制(広義)」及び「平成5年3月体制(狭義)」
(当ブログ独自の用語)
よって、当ブログにおいては、「平成5年3月18日~平成9年3月21日」の山陰本線普通客車列車運行体制を「平成5年3月体制(広義)」と呼ぶこととします。
また、「平成5年3月18日~平成6年12月2日」における山陰本線普通客車列車運行体制については「平成5年3月体制(狭義)」と呼ぶこととしますが、平成6年11月の状況については、以前当ブログで定義した呼び方で呼ぶこともあります。
<参考>
※平成5年(1993年)3月ダイヤ改正の次の全国規模のダイヤ改正は、平成6年12月3日のダイヤ改正。
※山陰本線普通客車列車は、平成9年(1997年)3月ダイヤ改正で全て廃止。最終日は平成9年3月21日。
(4)今回のブログでは
以前のブログで掲載した、上記(3)の期間における山陰本線普通客車列車概要の一覧表について、補足説明を追加するなどの修正をしましたので、今回のブログにおいて改めて掲載します。勇姿については、使用許可をもらうことのできた写真を引用します。
2 山陰本線普通客車列車概要の一覧表(平5.3~平9.3)
(1)平成5年3月ダイヤ改正後
※豊岡~西出雲間のうち「豊岡~城崎」「伯耆大山~米子」「米子~西出雲」は電化区間。
※豊岡~出雲市間のうち「伯耆大山~米子」「米子~安来」「東松江~松江」「玉造温泉~来待」は複線区間。
※#69のブログでも記載
(2)平成6年11月の状況(平成6年12月ダイヤ改正前)
※豊岡~西出雲間のうち「豊岡~城崎」「伯耆大山~米子」「米子~西出雲」は電化区間。
※豊岡~出雲市間のうち「伯耆大山~米子」「米子~安来」「東松江~松江」「玉造温泉~来待」は複線区間。
※#55のブログでも記載
(3)平成6年12月ダイヤ改正後~平成8年3月ダイヤ改正前
※#53のブログでも記載
※編成については、平成7年4月頃?より、下りの5両編成の前から2両目(上りの5両編成の後ろから2両目)が、オハフ13(orスハフ12)に変更となっている。
(4)平成8年3月ダイヤ改正後~平成8年11月
※#52のブログでも記載
(5)平成8年12月~平成9年3月
※#51のブログでも記載
(6)平成9年3月8日~平成9年3月21日
①平成9年3月8日~平成9年3月21日
※#104等のブログにも掲載
②平成9年3月21日(最終日)
※#104等のブログにも掲載
③平成9年3月21日夕方 山陰本線最後の普通客車列車運行(再掲)
平成9年3月21日夕方に運行された下り423レは、山陰本線最後の普通客車列車となりました。その概要は次の表の通り。
※#239等のブログにも記載。
3 編成
編成の概要は次の通り
4 写真資料
勇姿については、下記の引用資料の通り
(1)平成5年3月~平成7年4月?の編成
①平成5年3月~平成7年4月?(豊岡~米子間、鳥取~米子間)
<引用> 上り列車
※京丹会交通写真博物館さんがTwitterに投稿された写真。使用については了承を得ています。
※1993年8月11日の522レ、とのこと。
※場所は山陰本線淀江~大山口、とのこと。
※URLは次の通り
山陰に残った普通客車列車①
— 京丹会交通写真博物館 (@Fukuyama_Masaji) February 5, 2021
1993年8月11日
左:424レ DD51 1177+12系5両
右:522レ DD51 1187+12系5両
ともに山陰本線 淀江-大山口
夕刻に米子を出て、鳥取・豊岡へと向かっていく。日の長い夏場でないと撮れなかった。 pic.twitter.com/kzE0ITImyu※ツイートのリンクをコピーの方法で添付
<参考>(R4.8.19追記)
京丹会交通写真博物館さんのTwitterのプロフィール欄については次のURL参照
https://twitter.com/Fukuyama_Masaji?s=20&t=x64HGEJHrZGSUAntRtDZNw
<参考>平5.3~平6.12の521レについては、例えば次の#366のブログをご参照ください。(R5.5.28修正)
(4.7~8等UP)
②平成5年3月~平成6年12月ダイヤ改正前の米子~出雲市間
(R5.5.28簡略化)
<引用>
※京丹会交通写真博物館さんがTwitterに投稿された写真。使用については了承を得ています。
※平成5年(1993年)8月12日の421レ、とのこと。
※場所は山陰本線揖屋~東松江、とのこと。
※URLは次の通り
山陰に残った普通客車列車③
— 京丹会交通写真博物館 (@Fukuyama_Masaji) February 19, 2021
1993年8月12日
421 DD51 +12系 6両
422 DD51 1134+12系 6両
ともに山陰本線 揖屋-東松江
米子~出雲市では朝の通勤時間帯に双方向へ1本づつの運転であった。 pic.twitter.com/JlAiH2mUDi※ツイートのリンクをコピーの方法で添付
※この写真以外の勇姿及び詳細については、次の#318等のブログをご参照ください。(R5.5.28修正)
(4.7~8等UP)
(2)平成7年4月?以降の編成(豊岡~米子間、鳥取~米子間)
当時の豊岡~米子間及び鳥取~米子間の12系普通客車列車の編成については、平成7年4月頃?より、下りの5両編成の前から2両目(上りの5両編成の後ろから2両目)が、オハフ13(orスハフ12)に変更となりました。(詳細は次の写真の通り)
①平成7年
<引用>
※DFアロー・中原研二氏撮影(使用については、同氏より了解を得ております)
※撮影日は平成7年(1995年)6月7日、撮影場所は淀江→伯耆大山、とのこと。また、この列車は521列車(豊岡発米子行き12系普通客車列車)、とのこと。
※LLP有限責任事業組合トランスポート・DFアローのホームページもご参照ください。
・https://www.apionet.or.jp/DF5051/dd51/dd51_09.htm
・
(※R2.12に投稿のブログにも掲載)(#368のブログにも掲載)
<参考>これに関しては、次のブログもご参照ください。(R5.5.28修正)
(2.12等UP)(R5.12.12等簡略化)
②平成8年
(R2.10投稿の#14のブログにも掲載)
(2.11等UP)
<引用>
※この写真は、「Kai-chanの鉄道旅情写真館」のサイトより転載(使用についてはこのサイトの管理者より了承を得ております)。「Kai-chanの鉄道旅情写真館」の表紙ページのURLは
http://kai-chan.sakura.ne.jp/index.htm
※撮影時期と場所は1996年10月5日、伯耆大山~東山公園、とのこと
(ソロ鉄ブログ管理者 補足説明)
・この12系客車は、下り列車。米子行き12系客車。
・平日は5両編成(休日は3両編成)。
・景色の状況から、平成8年(1996年)10月5日午前の、421レもしくは521レと思われる。
・場所は、伯耆大山~東山公園間の鉄橋
(※R4.7に投稿のブログにも掲載)
(3.1等UP)(R5.12.12一部修正)
<参考文献>
・『JR時刻表(弘済出版社)』(1993年3月号、1994年11月号、1994年12月号、1995年4月号、1995年12月号、1996年3月号、1996年9月号、1996年12月号、1997年3月号等)
・『鉄道ファンVol.36 418』(1996年2月号)(交友社)
・ウイキペディア
・『Rail Magazine』(1995年10月号)(ネコパブリッシング)
・『Rail Magazine』(1995年1月号)(ネコパブリッシング)
・「孤高の客車列車を訪ねて」(『鉄道ジャーナル別冊№27 JR・民鉄 客車列車大追跡』(㈱鉄道ジャーナル社1993年12月発行))
・「普通列車でたどる山陰本線677.3㎞(取材日1994-9-27~28)」(『鉄道ジャーナル別冊№29(㈱鉄道ジャーナル社1994年12月発行)』
・『鉄道ジャーナル』(1993年3月号)(鉄道ジャーナル社)
・『旅と鉄道 郷愁の旅路 客車列車』(92年冬の号 №82)
・『鉄道ピクトリアル』(1992年4月号)
・『鉄道ジャーナル』(1992年5月号)(鉄道ジャーナル社)
・『92・7現行 最新データ JRローカル列車』(鉄道ジャーナル社)
・『鉄道ダイヤ情報』(1992年12月号)(弘済出版社)
・『鉄道ダイヤ情報』(1991年11月号)(弘済出版社)
・『鉄道ダイヤ情報』(1990年10月号)(弘済出版社)
・『鉄道ピクトリアル』(1990年7月号)
・DFアローのホームページ等
・京丹会交通写真博物館のツイート等
・「Kai-chanの鉄道旅情写真館」のホームページ等
・「国鉄形車両の宝庫をゆく 山陰郷愁行」(『鉄道ジャーナル別冊』№32(㈱鉄道ジャーナル社))
<参考>
平成5年3月18日のダイヤ改正について、ウイキペディアでは次の通り紹介されています。
※平成5年3月18日ダイヤ改正
<引用>
「山陰地区では、特急「いそかぜ」における九州方面の発着駅を博多駅発着から小倉駅発着に変更した。また山陰本線では米子市内に東山公園駅が開業、知井宮駅が西出雲駅に、神西駅が出雲大社口駅(現在の出雲神西駅)にそれぞれ改称された。」
※引用元:ウイキペディア
※誤字脱字等があれば、その都度訂正します。
※今回掲載の一覧表を再度訂正した場合、過去ブログに掲載している同じ一覧表は削除する予定です。
※引用箇所について転載等禁止。
※今回、カバー写真は京丹会さんがTwitterに投稿され、使用について了承を得た写真を採用。
※上記2に掲載している一覧表は全て自分で作成した資料
※本日も最後までご覧いただきありがとうございました。