伊賀線が開通したのは

大正5(1916)年8月8日です

106年伊賀の人々とともに働き続けています。三重県で初めてできた駅は柘植駅。草津〜柘植間が開通したためです。当時蒸気機関車の疾走する音は文明開化の足音そのものだったことでしょう。(お弁当を持って沿線から汽車を見物した記録がございます)

次に関西鉄道(関西本線の前身)が大阪まで開通しましたそこで「ぜひ上野町にも鉄道を引きたい!」という青年団体の声が上がり、紆余曲折の末に伊賀軌道が伊賀上野駅〜上野町駅(現在の近鉄上野市駅)を開通させたのが今日です(当時の運賃は同区間3.9 kg が6銭でした)

上野市駅駅舎は当初からの建物でとてもモダンで立派です。ドイツ式建築とかで上野町へ新しい風を吹き込みたい伊賀人の意気込みが感じられます。

また大正11年7月上野町〜名張(後の西名張)間が着工から3年足らずで開通したこと、その後たった四年で全線電化されてしまったことも土木工事に使用する機械が何一つない当時のことを考えると、驚きの伊賀人パワーを感じずにはいられません。

昭和の初めには1年半ほどの間ではありますがディーゼル動車が走っておりこれは日本初といわれています。その他にも昭和3年11月の昭和天皇即位御大典奉祝で電飾された華やかな花電車が繰り出されました。

昭和19年6月1日には近畿日本鉄道伊賀線となりました。

またとても悲しい記念日でもあります

昭和20年8月8日には走行中の列車が米軍機に銃撃され死者が出ました。さらには度重なる水害など、今ではのどかなイメージの伊賀線も様々な出来事を経て活躍してきましたが昭和39年9月30日伊賀神戸〜西名張間は廃線となりました。

2007年には伊賀鉄道運営にかわり現在に至っています

長い歴史の中の、嬉しいこと悲しいことの記念日です


これから先が
平和でありますように