広電 650形 / 被爆電車 651と653
広島電鉄の650形 651号です。
昨日の平和記念日に、平和記念式典へ参列する際に出会いました。
朝のラッシュ帯以外で、650形に出会えることは滅多に無いのですが、あぁ原爆記念日だもんねと納得しつつ撮影した次第です。
何で広電オリジナルカラーなん?と思いつつ、戦前リバイバルカラーも走ってるはずなんだけれど。
しかしこの日は式典参列が目的で、鉄分はお預けなので会場へと急ぎます。
7号線?広電本社前と横川駅を往復してるだけなのか、広島駅へも行くのかな?などと考えながらの移動です。
ここには父方と母方の祖父以外で、戦前・戦中に生まれた広島在住の両親・親戚は全員名前が納められています。
母方の祖父は戦死、父方の祖父は8月6日には軍役中で広島に不在でした。
式典が終わって平和公園内を少し散策した後、原爆ドーム前の電停へ行くと朝に出会った651号に再び会いました。
さてここからは今日、先ほど西広島駅で撮影した653号です。
650形は1942(昭和17)年に製造された広電生え抜き車両で、この653号は江波付近で被爆し大破しました。
しかし4ヶ月後には復旧し、以来21世紀まで広島の街を走り続けましたが、2006(平成18)年に老朽化により引退しました。
2015(平成27)年に発足した″被爆電車特別運行プロジェクト″により今は、8月6日を中心に被爆当時の塗装に復刻して復帰、特別運行が行われています。
西広島の到着予定時刻は11時26分ということで、11時頃家を出ようかと思っていたのですが、家を出る時 に突然!トイレへ行きたくなってしまう運の悪さ(笑)
電車を一本逃してもまだ余裕で入線に間に合うはずでしたが、高須のJR広電共同踏切で上り列車が2本続けて走ったおかげでそれも乗ることができず(爆)
西広島へ到着した時には、既に7番ホームへ653号は止まっていました。
まぁそれでもそれなりに写真は撮れたので、到着写真は撮れませんでしたが、良かった良かったと言ったところです。
650形は合計5両が製造されましたが、651号は中電前附近(爆心地から約700m)で走行中に被爆して半焼。
652号は広島港附近で走行中に被爆して小破となりましたが、5日後の11日には被爆直後の広島市内を営業運転し、広島市民を大いに勇気づけたと伝わります。
653号と654号は江波附近で走行中に被爆して大破となり、655号は広島駅前に停車中に被爆して全焼しました。
651~654号は修復しての運転復活でしたが、655号のみ車体新製での現役復帰となっています。
西広島を出発する際に、交差点の信号待ちで停車したので、クリスマス電車の時と同様に西広島駅ロータリーの街灯タワーを入れて撮影しました。
以前も述べましたが、アストラムラインが西広島延伸開業すると、このシンボル的であった街灯タワーは解体される予定です。
被爆電車653号が発車する前に、宮島口行きの5101号の″広島おもてなし号″と交換だったのは、配車係の何らかの計らいでしょうか。
と言うことで、今年は広電の被爆電車2両を記事にしてみました。
毎年できるかどうかは判りませんが、可能な年にはまた被爆電車をUPしてみようと思います。
ラストは開業時の復元電車101号と、もう1つの現存被爆電車156号、そして650形のプレミアム撮影会から。