ブルートレインのA寝台は、上野ー札幌間を走った「北斗星」の豪華な1人用個室「ロイヤル」などが人気を集めましたが、元々は中央に廊下がある開放タイプのプルマン式が主流でした。寝台急行「銀河」では2008年の廃止までオロネ24形が連結され、東京ー大阪間でプルマン式A寝台の夜を楽しむことができました。

 

 

■かつては「さくら」「みずほ」でも活躍

 

プルマン式A寝台車は、日中はボックスタイプの座席が並び、夜間は座面や背もたれをベッドに組み替えます。 「さくら」(東京ー長崎・佐世保)と「みずほ」(東京ー熊本・長崎)に長く連結されていた14系のオロネ14形は、廊下の左右に昼は座席が14席、夜は2段のベッドが14並び、定員28人でした。

 

 

「銀河」で活躍したオロネ24 102。1972年にオロネ14 9として登場し、86年度に24系に編入・改番(オロネ24 100番台)されました

 

 

 

鉄道ファンの視点で見れば、夜を迎えて寝台をセットするシーンは面白さを感じるのですが、私が子どもだった昭和50年代当時、学童向けのブルトレ書籍では「はやぶさ」(東京ー西鹿児島)などの24系25形編成のA寝台個室オロネ25形が「最も豪華な車両」として真っ先に取り上げられていました。そうした編集も影響したのか、プルマン式のオロネ14・24形の方は当時やや古臭い印象を受けたものです。

 

 

24系25形の2段式B寝台と設備面で比べても大きな差が感じられず、魅力が伝わりにくかったようにも思います。山口県在住の私自身は、東京夕方発〜県内早朝着だった「さくら」「みずほ」は利用しづらい列車で、プルマン式A寝台車はなかなか乗る機会がありませんでした。

 

 

■乗ってみると意外に快適

 

昭和時代は限られた人が利用する感じだった個室寝台車も、JR発足後にいろんなタイプが相次いで登場し、B寝台タイプも現れるなど一層大衆化しました。プルマン式A寝台は時代に取り残された感じになり、鉄道ファンには少しずつノスタルジーの対象になっていきました。

 

 

これまで乗る機会がなかった私がプルマン式A寝台に興味を持ったのは2000年代に入ってからでした。既に「さくら」のオロネ14形は引退していたため、利用したのはもっぱら東京ー大阪間、寝台急行「銀河」のオロネ24形でした。ただ「銀河」は東京駅発が23時と遅いため最初から寝台状態にセットされていて、座席状態が味わえない分、鉄道ファンとしてはやや残念でした。

 

 

「銀河」の1号車に連結されたオロネ24 102の夜の車内。東京駅入線時からベッドがセットされた状態のため、乗り慣れた乗客は発車前からカーテンを閉めて思い思いに過ごしていたようでした=2003年

 

 

持ち帰りのできるスリッパが、浴衣やハンガーとともに用意されていました(写真では切れてしまっていますが…)

 

 

寝台は窓と平行にセットされているため、起床してカーテンを開けると光がいっぱい差し込むなど、B寝台とは違った朝が味わえました

 

 

 

当時の東海道・山陽線では既に「ランライズ瀬戸・出雲」が登場したあとで、ベテランのオロネ24形には快適性は期待していませんでした。ところが乗ってみると見方が一変。豪華な設備はなくても幅約1メートルの寝台はゆとりがあり、70センチだったB寝台やオロネ25形のA個室よりもリラックスできるのです。「子どもの添い寝がしやすい」と書かれていた書籍の記述にも納得しました。ベッド自体もオロネ25形より程よいフカフカ感があり快適でした。

 

 

ベッドの向きが窓と平行なのもメリットで、足を伸ばしたラクな姿勢で景色が眺められるのも魅力でした。以後「銀河」に乗るときは毎回オロネ24形を指名することになりました。

 

 

プルマン式A寝台は、後年になると設備的にB寝台とあまり差はありませんでしたが、そのような目先の豪華さでなく本質的な部分でA寝台車らしさが光ったように思います。ゆとりと気品のようなものが感じられた名車でした。

 

 

 

※姉妹ブログでは、国鉄末期〜JR初期のブルトレなどを振り返っています