[ 国立公園鉄道の探索 ]
秩父往還贄川宿 「セカイイチミハラシガイイ」
秩父往還贄川宿にやってきました。
「かかしの里」としても知られています。
秩父鉄道秩父本線・三峰口駅の対岸、荒川左岸側の段丘上にあります。
ゆっくり歩いて15分、と記されていますが、夏はもっとかかるかもしれません。
秩父往還、国道140号線旧道沿いに開けた宿場町で、秩父鉄道が開設されるまでは三峰山参拝客にも利用されていました。
今はほとんどが民家になっています。
古い蔵もみられます。
明治11年、地質調査で秩父を訪れた地質学者ナウマン博士は贄川宿の「逸忠館」に泊ました。
そこから秩父の景色を見下ろして、日本語で「セカイイチミハラシガイイ」といったと伝えられています。
これは単なる伝承ではなく、後年日本の地質学者・佐川栄次郎氏が「日本を歩いて何処が一番よかったか」と晩年のナウマン博士に尋ねると、即座に「三峰登山口の贄川宿」をあげて絶賛したことと符号するそうです。
引用文献
*「地質学者ナウマン伝 -フォッサマグナに挑んだお雇い外国人- 」矢島道子著 2019年10月 朝日選書990
まずは、ナウマン博士が止まった「逸忠館」が何処にあるのかわからないので、
秩父市教育委員会の文化財担当の方に問い合わせたところ、逸忠館の位置が示された「贄川宿 宿場案内図」
を送って頂けました。
この場を借りて御礼申し上げます。たいへん助かりました。
今は宿ではなく、民家ですので遠くから見させて頂きました。
堅牢な石垣の上に建てられた、「館」の名に相応しい建物です。
多くの旅人で賑わった往時の面影が偲ばれます。
現在の逸忠館は民家で、中には入れないので、宿場町の上にある道沿いから風景を眺めることにしました。
「熊出没注意」とあります。
道ですれ違った人に聞くと、マムシもよく出るそうです。杖を持っていくように、と言われました。
よく見ると「熊注意」の看板のに杖が立てかけられています。
マムシ対策の武具であることかわかりました。
案山子諸氏たちが悠然とくつろいでいました。
贄川宿から眺めた秩父の風景。
盆地から山中へ踏み込む直前、地形の変換点に差し掛かった時に現れる風景です。
日本各地、様々な風景を目にしてきたナウマン博士が、なぜ秩父贄川の風景を絶賛したのか、
やはりそれは地質にあると思われます。
これは秩父の表層地質図です。
絵を眺めるように見てみますと、茶色系統の色合いの真ん中に、四角い緑系統の色で塗られた地域があります。
ここが一辺約12kmの正方形状の秩父盆地になります。
周りは中古生層の古い岩盤で、秩父盆地だけは、新生代など比較的新しい地質から成り立っています。
特異な地質配列だと思います。
南北方向ににスパッと断ち切ったように走る断層、この大胆な地質の変換点を、おそらくナウマン博士は風景から読み取っていたのではないでしょうか。そして、ここが日本の地質学を体系的に構築する道筋を描ける場所、という思いを抱いていたのではないかと推察されます。
贄川宿あたりまでは、盆地の底を流れている荒川。
この先は大地をV字型に抉って山懐奥深く深淵を連ねていきます。
ハイカーの人たちが立ち止まって景色を眺めている、と思ったら、これも案山子でした。
その先には、ナウマン博士が絶賛した風景が広がっていました。