昭和50年3月のダイヤ改正(所謂ゴーマルサン改正)で新幹線が博多まで開業し、それとともに山陽-九州間の特急・急行が廃止となるので、その姿を見納めするのを第1目的とし、併せて地域の私鉄も見ておこうと西へと向かった。ただ、大阪から先は自分にとっては未知の領域であり一抹の不安感はあった。
【1975/2/20】
西への足は来るダイヤ改正で消える運命にある急行「桜島・高千穂」とした。東京と西鹿児島を熊本経由の「桜島」と大分経由の「高千穂」で運転されている。旅の趣旨としてはこれに乗り通すべきではあるが、色々考えて大阪までの昼行時間帯だけ乗ることした。
10時に乗って夕方6時までということで中学3年生の時の修学旅行「わかくさ」と似た時間帯での走行だった。あの時と同様に沼津だ、吉原だ、富士だ、金谷だ、豊橋だと車窓を注視して西へ西へと向かった。
修学旅行の時にも見かけた豊鉄の凸型電機(デキ211)。 (1975/2/20)
岐阜行きパノラマカーとの並走。 (1975/2/20)
夕方6時大阪着、早速大阪発の九州行き寝台特急の様子を見ると、ヘッドマークが付いていたりいなかったりの状況で少々気落ちした。
205レ 急行「西海1号」 大阪発佐世保行き EF5826(浜) (1975/2/20 大阪)
この日の夜は、これまた消える運命の特急「月光2号」と決めていたので、姫路乗り継ぎで岡山まで普通列車にて向かった。姫路からは80系に乗り込むとそれまで雨だった車窓が雪に変わった。岡山では月光に乗り込む前に先発する寝台特急をスナップ。前面を雪で真っ白に化粧したゴハチとロクゴに対面した。
209レ 急行「天草」 京都発熊本行き EF589(広) (1975/2/20 岡山)
581系は「月光形」と称されるが、そのものずばりの「月光2号」の寝台券を手元に残したくてこれに乗り込むこととしていた。しかし寝台料金をケチって上段を選んだのは失敗だった。窮屈だし揺れが激しく、ずっとビリビリと振動が続いていた。こうして旅の初日の夜は初の寝台電車特急の上段で迎えた。
検札では赤ペンでの丸印だった。
東京から乗り込んだ急行「桜島・高千穂」の当日の車内アナウンスです。
九州内は鹿児島本線経由の「桜島」と日豊本線経由の「高千穂」とに分かれて西鹿児島まで向かいますので、到着予定時刻の案内も膨大なものとなっています。駅名と時刻を並べてみましたので、併せてお聞きください。(10分と少しです。)
注、 行橋と中津の間、(誤)牛島 (正)宇島