あくまで「個人的意見」ですけど、退役して随分と日が経つのに、今もなお、「京阪を象徴する車両」と勝手に思い込んでいる3000系電車。後継車両として登場した8000系電車が今の京阪のフラッグシップですけど、イメージ的に3000系の方が “象徴” の称号に相応しいかなって気がします。そして、8000系に次ぐ事実上の “ナンバー2” 的扱いである二代目3000系もありますけど、やっぱり「京阪の3000系」は画像の “初代” の方が先ず思い浮かびます。
京阪の特急用車両といえば、何においても「テレビカー」。
テレビの本放送が始まったのが1953年ですが、京阪はその翌年から1800系にテレビ受像器とアンテナを装備。ただでさえ、高価中の高価だったテレビ受像器が電車に組み込まれて、しかも乗車券だけで羨望のテレビが観られるとあって、大人気になりました。1963年には三代目のテレビカーとして1900系が就役し、3000系は四代目になります。1800系、1810系、1900系は白黒テレビでしたが、3000系からはカラーテレビになりました。テレビ受像器は京阪沿線の大企業である松下電器(現・パナソニック)製の物を使用しています。
基本的に映すのはNHKの番組のみでしたが、後に要望によってプロ野球の阪神戦も観られるようになりました。1992年からはBS放送が、2006年から2007年にかけて地上デジタル放送に切り替えを行い、受像器もそれ対応に交換されていますが、受像器はパナソニック製ではなくて、三菱電機製でした。
スマートフォンやタブレット端末機でテレビ放送が観られたり、地上波のテレビ番組に対する人気も薄れていたことから、京阪は「目的を達成した」として2011年にテレビを撤去しましたが、最後まで残った「クラシック編成」にはテレビの設置が存続していました。
長年ライバルだった阪急京都線(元を正せば、阪急京都線は京阪系だった)とJR西日本は、速達列車の象徴だった2扉を止めて転換クロスシートを備えながらも乗降扉を3つに増やしましたが、京阪だけは二代目3000系の登場まで2扉を継続しました(それ以前にも9000系がクロスシートを採用)。やっぱり京阪も「通勤対策」には敵わなかったようで、そうして段々と熾烈な競争が失われていくことになります。そういう意味で、初代3000系は孤高の存在だったのかなという気がしないでもありません。
2013年に “卒業” した後、大井川鉄道と富山地方鉄道に働き場所を求めましたが、大井川の車両は2018年に廃車(運用終了は2014年)、今は富山地鉄でのみその姿を見ることが出来ます。
地鉄への譲渡は1990年から始まりましたが、地鉄の軌間は1,067mmなので、そのままでは使えません。そこで、主電動機と台車を営団地下鉄(→東京メトロ)3000系の廃車発生品を流用して対応しています。
2012年には1編成を京阪時代の黄色と赤に塗り替えるとともに、液晶テレビを設置し、「テレビカー」が復活しました。
2013年に二階建て車両3805号(後の8831号)が新たに戦列に加わり、観光列車「ダブルデッカーエクスプレス」として活躍。京阪特急のシンボルである鳩マークを復活させました。
画像ですが、1980年頃に野江駅で撮ったものだそうで、現役バリバリの姿になります。車番が見えにくいですが、よく見ると「3008」と読めます。1972年製の二次車で、当初から4両固定で落成しています。
3008号車は3507とともに1993年に前述の大井川鉄道に譲渡されましたが、地鉄譲渡車同様、そのままでは使えないので、台車を履き替える必要がありますが、この編成は営団5000系のものに履き替え、スカートも撤去されました。
私、リアルタイムで3000系は乗った記憶がない・・・と思っていたんですが、2008年に出町柳から四条まで「テレビカー」に乗車したようです。でも、3000系なのか8000系なのかは判りませんでした(どうも、8000系っぽい)。
そういう意味では、8年前に樟葉モールで見た3000系の保存車両が最初だったのかなと思ったりします。
以前、幼少の頃に「阪神赤胴車と京成赤電は似ている」とお伝えしたこともありましたが、京阪3000系もその中に組み込みました。「貫通扉+先頭部上部の左右に振り分けられた前照灯」が京成赤電と同じ構成だったからそう思ったんでしょう。幼児の思考能力はある意味恐ろしいです。
【画像提供】
ヤ様
【参考文献・引用】
ウィキペディア(京阪初代3000系、同二代目3000系、同9000系など)