新京阪の蒸機 | 書斎の汽車・電車

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 7月恒例(?)の新京阪鉄道噺です。

 昨年「F」の付いた貨物用、事業用車輛について触れた流れで、今年も旅客車以外の話題です。

 

 タイトルにもありますが、純然たる電鉄、それも標準軌の新京阪に蒸気機関車というのは、少々意外な感もありますが、2輛が在籍していました。昭和2(1927)年に鉄道省から譲り受けた60と61という、軸配置Bのタンク機関車です。

 この2輛、元々は四国の讃岐鉄道が開業に際して用意したもので、明治22(1899)年、プロイセン(ドイツ)のホーエンツォルレン製ということになります。大きなサイドタンクを持ち、動輪直径1190mmという、いささか腰高な感じの機関車です。

 讃岐鉄道ではA1形1、2(同型機は1~4、11~13の7輛)、合併された山陽鉄道では129、130となり、鉄道国有化後は60形61、62として、関西地区で入換、小運転用に愛用されたようです。(例えば和田岬線で使用された記録があります)

 昭和2(1927)年、鷹取工場にあった60と61が廃車となり、新京阪鉄道に移籍しました。同じ年に63、64、66も八幡製鉄所に譲渡されています。ちなみにこの時鉄道省に残った62と65は戦後まで生き残り、65が奈良機関区で廃車となったのは昭和25(1950)年といいますから、長命だったといえるでしょう。

 

 さて、本題である60と61の新京阪鉄道での活躍ですが、正雀工場で標準軌に改軌され、当初は新京阪線の建設工事に従事しました。私は、この2輛の蒸機はあくまでも建設工事用で、開業後は早々に姿を消したものと思っていましたが、千里山線での砂利輸送や、保線作業用の工事列車牽引など、新京阪線開業後もしばらくは仕事をしていたようです。廃車は昭和13(1938)年といいますから、意外に長く在籍していたことがわかります。

 それにしても、新京阪は新造の電気機関車には、「F-2」(「BL-1」「BL-2」の異称もあり)という形式称号を付けているのですが、蒸機については、前所有者である鉄道省の付けたナンバーを尊重していました。そして、考えてみれば標準軌の蒸気機関車というのは、旧植民地は別として、大変珍しいのではないでしょうか。

 そして、60形という機関車、入換・小運転用の地味な古典機ながら、なぜか印象に残る存在です。どうしてだろうと思ったのですが、理由は鉄道模型でした。老舗・カワイモデルの16番のロングセラー製品の印象が強いのです。カワイの60形とP-6が並んだシーンというのは見た記憶がありませんが、そういう楽しみ方も出来るのです。