みなさんこんにちは。前回からの続きです。



「期間限定の記念ヘッドマーク」を観たいと、研修帰りに立ち寄った、ここは「京阪電車 淀屋橋駅(大阪市中央区)」です。


カーブを描きながら、地下線を出て来る姿が印象的な「京都地下線開通35周年」のそれを掲げた編成を、まずは拝見出来ました。


続いてやって来るのは「特急」。4番線でしばし待ちます。


ほどなく「8000系」の特急が到着。
全10編成のうち、9編成にくだんの「京阪特急鳩マーク70周年」記念ヘッドマークが掲出されているとのこと。



昭和から平成、そして令和の現在まで、京阪特急のシンボルとして親しまれている「鳩マーク」。車両側のそれと、揃い踏みです。



うれしいことに、編成の京都側・大阪側とではそれぞれデザインが異なるのだとのこと。独特の細いホームを、最後部まで移動。




こちらも、電照式の鳩マークと共演です。しかし、どちらとも良いデザインだと感じます。



今年、7月17日に登場から70周年を迎えた「鳩マーク」。終戦間もない1952(昭和27)年に一般公募で選ばれたもので、それ以来、デザインは変わらず特急専用車両に使用されて来た、伝統あるものです。




その由来はというと、沿線の「石清水八幡宮(京都府八幡市)」の神勅の鳩から来ています。終戦から7年後ですから、平和の象徴という点からも、鳩が選ばれたとも言います。


ちなみに、京阪特急が専用車両で運行開始されたのはそれに先立つ1950(昭和25)年9月のこと。鳩マークが登場する前にも、実は「京阪特急のマーク」は存在していました。


それが、この紅白に塗り分けされた円形のものでした。長年、鳩マークに慣れ親しんでいる身としては、このようなものがあったのか!と驚きます。ここまで出典①。


淀屋橋駅に戻りますが、この日は土曜日。
さらに、京都市内では「祇園祭宵山」の日。

これまででしたら、この時間帯からでも、京都へ向かおうとする人々でごった返していた記憶があるのですが、それにしてもあまりに素寒貧過ぎます。



昨年、春と夏の土日祝日に組成された「臨時ダイヤ」。全体の約半分の列車を運休し、特急はすべて通勤型車両で代走させた。枚方市にて。


通勤型車両が代走したため、寝屋川車両基地に引き上げられた特急専用車両群。
見たことも、想像さえもしたことのない、衝撃的な光景でした。下り(大阪方面)車中より。


当ブログでも幾度か取り上げたのですが、やはりここにもコロナ禍の影響。緊急事態宣言下での「臨時ダイヤ」をベースに全時間帯で列車本数を大幅に間引くという「減便ダイヤ」が、京阪電車でも採り入れられています。



現在の「淀屋橋駅」ダイヤを見てみます。

日中は1時間当たり「特急4列車・快速急行2列車・準急4列車」の計10列車。
普通は「天満橋駅」から合流する「中之島線」から4列車と、それでも最大14列車。京阪電車ホームページより。


そして、約30年前(平成元年)の「京阪時刻表」から。「鴨東線(おうとうせん)」が「出町柳駅(京都市左京区)」まで開業し、洛北や比叡山への観光客が押し寄せるようになった頃です。


この頃には1時間当たり「特急4列車・急行4列車・準急4列車(樟葉折り返し)、普通8列車(うち4列車は萱島折り返し)」の計20列車。

「中之島線」が開業しておらず、全列車が淀屋橋を発着していたことを割り引いても、日中時間帯でも「3分に1本の乗車チャンス」


さらに京都方では「宇治線」に直通する「三条ゆき」が1時間当たり4列車の設定。出典②。

これに加えて多客時には、京都競馬の臨時急行や、京都市内へノンストップの臨時特急も設定されていましたので、いまから考えると大変な本数でした。それだけ、需要もあった訳です。


当時のそのような状況を実際に体験したひとりとしては、週末だというのにこの閑散具合も加わり、いまだに信じられない気分になります。


世の移り変わりといえばそれまでなのかも知れませんが、昔から観光客が多かった京阪特急ですからなおのこと、複雑な気持ちです。


ただこの先、京阪電車のみならず、鉄道業界というものが、そんな中でもどのような進化を遂げて行くのか、期待したいと思います。

今日はこんなところです。


(出典①「カラーブックス日本の私鉄7 京阪」奥田行男 野村菫 諸河久著・保育社刊 昭和56年8月発行)

(出典②「1989京阪時刻表」京阪交通社・京阪エージェンシー編集 平成元年9月発行)