国鉄バス 名金急行線~18 | 菅沼天虎の紙屑談義

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交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

国鉄バス名金急行線の18回目です。

 

日付の記載がありませんので廃札券と思われますが、3等級制の「金白北線」の時代に「○自」金沢駅で発行されました、「金沢から 加賀二俣ゆき」の往復乗車券です。

 

 

 

3等級制の時代の「金白北線」の往復乗車券の通用期間は片道の2倍の「通用発売日共2日」で、「下車前途無効」でした。

 

西日本JRバス 名金線 一部区間廃止~3」でご紹介いたしました、「金白北線」の支線であった「医王山線」の「加賀二俣」への往復乗車券で、経由として「橋場町経由」の表記があります。

 

 

 

 

 

「橋場町経由」の表記は「名金急行線」となってからも見かける経由表記ですが、この経由表記は3等級制の時代は結構重要な表記でした。

 

国鉄末期の「金沢自動車営業所」の路線図から、「医王山線」の部分の拡大画像です。

 

 

赤線を引いた部分が「医王山線」で、区間は「武蔵ヶ辻~加賀二俣~古屋谷」間が「医王山線」の本線で、「十全病院前~天徳院前~小立野」間と「医王口~見上山荘」間の枝線がありました。

 

今回ご紹介いたしました券は「橋場町経由」と表記されており、国鉄末期の路線図では「小立野経由」の場合は「橋場町」の1つ手前の「尾張町」で「名金急行線」と分岐しますので「橋場町」は通らず、「橋場町」を経由すると言う事は、この往復乗車券は「名金急行線」から「古屋谷」で分岐して「医王山線」へ入る券となり、「小立野経由」か「古屋谷経由」かを区別するために、3等級制の時代は「橋場町経由」の表記は重要だったものと考えられます。

 

「3等級制の時代」と申しましたのは、国鉄末期の「医王山線」の路線図で点線で描かれている「医王口~戸室新保~戸室清水~田の島」間は昭和40年代に運行休止となっており、この区間が早期に運行休止となった点から見て、「3等級制の時代」から「金沢から加賀二俣」へのメインルートは「橋場町、古屋谷経由」であったものと考えられます。

 

「医王山線」は「医王口~戸室新保~戸室清水~田の島」間が運行休止となった以降は、「小立野経由」で「見上山荘」方面と、「古屋谷経由」で「田の島」方面への分離した運行となり、「西日本旅客鉄道バス」となった昭和62年4月1日に「尾張町~見上山荘」間の運行が「北陸鉄道バス」に統一されて運行撤退、「西日本JRバス」となってからも運行が継続されておりました「古屋谷~田の島」間も2022年6月30日の運行を持って廃止となり、「名金急行線」の支線としての「医王山線」は全線が消滅しています。