前夜篇から間髪入れず、2021年12月の『懐かしの787系つばめ号のたび』ツアー本篇に入ります。

今回は前半として、始発駅の鹿児島中央から鹿児島本線の末端、そして川内駅から八代駅の並行在来線3セク路線である肥薩おれんじ鉄道区間まで紹介させて頂きます。

 

いよいよやって参りました。私が乗車する12月12日(日)。

ホテルは鹿児島中央駅が一望できるトレインビューのお部屋。私は早朝から行き交う列車を眺めておりました。2、3枚目の写真、九州新幹線(さらには3枚目には1番ホームのキハ47)が写っているのがお判り頂けるでしょうか?

 

 


ツアーの集合時間は7:55~8:25の間となっています。

私はホテルの無料朝食を頂いた後、8時前に鹿児島中央駅に参りました。

 

 

 

西口駅前広場に停車していた南国交通の路線バス(三菱ふそう・エアロスターKC-MP717M・ターボ装着車)ですが、「鹿児島22」(1999年の全国分類番号3桁化以前)のナンバープレートを見てつい撮ってしまいました。趣味者サイトで調べたら1997年式との事で、いわゆる『ニューエアロスター』の中でも初期型にあたり、撮影当時で車齢24年という古参の部類に入るのでした。

 

 

 

集合場所の在来線改札口付近(アミュプラザ側)。既に受付中の参加者の姿が見えます。

 

 

 

コチラは私が参加した12月12日実施の鹿児島中央→博多のツアー行程表。

 

 

 

参加者には予め『参加票兼健康チェックシート』をプリントアウトして用意する必要があり、3日前からの健康状態(体温等)を記入して提出しなければなりません。勿論コロナに抵触する症状はなかったので、無事参加が成立しましたが。

 

 

 

受付を済ませた参加者には、座席番号が記載されたネックストラップが配布されます。このストラップを駅員に見せる事によって、改札口を通過する事ができます。

今回割り当てられた車両は前から2両目の5号車。本当は先頭6号車が良かったけど…前日にきりしま15号でクハ車に乗っているからまぁ、いいか。

 

 

 

『787系懐かしのつばめ号』の入線時刻は9:02ですが、ひと足早く改札口を抜けて発着する5番ホーム(番線は7番線)に赴きます。

入線までの間、発着する列車を撮り鉄。1枚目は指宿枕崎線用のキハ47と40の3連で、サボが装着されていないので鹿児島車両センターへの回送でしょうか。『北の40』と同様、南の40系も老体に鞭打って活躍する姿には心を打たれます…。2枚目は同じく指宿枕崎線の喜入行331Dのキハ200(ロングシート車)。

 

 

 

さあ、いよいよ『懐かしの787系つばめ号』の入線です。

鹿児島車両センターから昨日に博多から到着した787系6連が回送されてきました。

 

 

 

今回のツアー列車として充当されたのは、通常は『かもめ』などに使用されている南福岡車両区(本ミフBM13編成。編成表は以下の通り。

鹿児島中央← ①(G個室・DXG・G)クモロ787-13 ②モハ786-307 ③サハ787-213 ④サハ787-10 ⑤☆モハ787-24 ⑥クモハ786-13 →博多 

 

 

 

LED発車標には『団体専用列車』、行先はシステムの関係上か、JR線と肥薩おれんじ鉄道の境界となる『川内』を表示しています。

 

 

 

一般客の誤乗防止のため方向幕も当初は『団体専用』を表示。その後幕回しが行われ、『リレーつばめ 博多』の表示になりました。リレーの付かない博多行つばめの行先表示はセットされていません。

 

 

 

この幕回しだけ動画を貼り付けておきます。幕の中には、今では見られなくなった列車も数多くセットされています。

 

 

 

今回乗車した5号車モハ787-24は、1994(平成6)年6月13日新製。

 

 

 

5号車のインフォメーションボード。デッキ仕切り扉の『787 AROUND THE KYUSYU』ステッカーの後から『TSUBAME』ロゴが透けて見えます。

 

 

 

『懐かしの787系つばめ号』9088Mは9:10に鹿児島中央駅を発車。

尚、車内放送も787系つばめ現役時の雰囲気を極力再現する配慮がされていました(一応全区間乗車中の車窓動画と走行音も撮影録音(※機器はガラス面ではなく窓枠にクリップ固定)しているのですが、座席位置の関係と後席の乗客の会話のため車内放送の音声が聞き取りにくく、添付するのは断念させて頂きます)

私が乗車した5号車は前日きりしま15号で乗車した車両と同じ緑色ベースのヒョウ柄モケット。

このテのツアー列車だけに、座席の完売もあるか…と思いきや、実際はそういう事にはならず、山側車窓の席は幾分売れ残っており、海側車窓の席も空席がありました。

 

 

 

発車後、私はさっそく車内探検。

3号車サハ787-213(200番台車)はかつてビュッフェ車サハシ787として製造された車両で、『リレーつばめ』転用時に普通客室に改装されており、ビュッフェ当時からのドーム型天井がそのまま残されています。シートピッチが標準車よりかなり広く(元々の窓ピッチに合わせたのに加えて天井の構造上荷棚が設置できないため荷物を足元に置く想定)、なおかつ座席のグレードも高いため欲を言うとこの車両にも当たりたかったです。

 

 

 

今回のつばめ号復活運転に際し、客室乗務員『つばめレディ』も3人乗務しており、ワゴンサービスによる車内販売も実施されました。2号車デッキは車販基地として使われており、車販の商品とグッズ類の入ったコンテナが積まれていました。

後方に写っている車内自販機ですが、JR九州も2022年3月末までの間に全てのサービスを終了したとの事で。私も予め駅内外の自販機やコンビニで飲み物を買い込んだ上で乗車しているので、仕方ないといえばそうなのですが…。

(一応、許可を得て撮影)

 

 

 

 

2号車デッキ通路壁にあった『つばめ』と同列車運転開始当時のJR九州のフラッグシップ観光バス『レッドライナー』(いすゞ・スーパークルーザーUFC)のパネル。コレも再現によるモノでしょうか?

 

 

 

1号車グリーン車への仕切り扉は自動で開かない仕様。

緊急時以外グリーン車以外の乗客の出入りはできない事になっています。

 

 

 

再び席に戻ります。

ツアー参加者にはオリジナルグッズの限定販売が行われるのですが、限定数を超えた場合の抽選のため座席番号が書かれた購入申込書が添乗員によって配布されました。

ツアー限定グッズは、運転士時刻表(レプリカ・鹿児島中央→博多)、『つばめ』愛称板(レプリカ)、JR九州オリジナル座布団(座席モケットの生地を使用)の3つ。×が書かれた部分は往路の博多→鹿児島中央の運転士時刻表レプリカ(当然、往路車内でのみの販売)。

私は一応、全ての商品の購入を申し込みしておきました…。

 

 

 

列車は川内駅までの間、全て通過扱いですが隈之城駅で4分半の運転停車。

 

 

 

ツアー参加者には、つばめレディによって787系つばめ運転開始当時のパンフレット、そして車販メニュー、レプリカ硬券付の乗車記念証が配布されました。

 



列車は9:53、分断された鹿児島本線と肥薩おれんじ鉄道の接続駅となる川内(せんだい)駅に到着。ここで9分停車し、乗降ドアも開放されてホームに降りられるようになっていました。

 

 

 

駅名の文字もしくは読み方が同じ場合、後で開業したほうに旧国名などを付与するのが通例となっていますが、コチラは国鉄時代から宮城県の仙台と同じ読み方という珍しい(?)パターン。もっとも、当初の駅名は仙台と区別するためか『川内町(せんだいまち)となっており、市政施行を機に『町』が取れて現駅名となりました。時代を経て、『平成の大合併』に伴い市名は『薩摩川内市』に変更されましたが。

余談ですが、偶然にも杜の都・仙台市には市営地下鉄東西線に『川内(かわうち)駅』、さらに同じ東北にはJR山田線にも『川内駅』(コチラも「かわうち」と読む)がそれぞれ存在しており、ちょっとややこしいけれど、遠く離れた土地同士故に全く問題にはならないのでしょう。

 

 

 

川内駅3・4番ホームには肥薩おれんじ鉄道の乗換用駅舎が設置されており、JR九州線からの乗換客はここの改札口を通過する事になります。

3番ホームに停車中の気動車は、HSOR104号。左奥にはJR貨物の駅施設が見えます。

 

 

 

10:02、肥薩おれんじ鉄道とJR九州双方の駅員さんによるお見送りを受けて再び出発。当駅から八代駅までは列車番号が9090Mに変更となりますが、運転士はそのままJR九州の鹿児島乗務センターの乗務員が出水駅まで担当します。

 

 

 

列車は肥薩おれんじ鉄道線に入り、川内川を渡ります。

中央に見える煙突は、中越パルプ工業の川内工場。

 

 

 

そして、いよいよ車窓のハイライト!

川内駅から3駅目の薩摩高城駅付近から、東シナ海の美しい海岸線沿いを走行します。この先、牛ノ浜駅までの間は景勝地を走行するため、ゆっくり車窓を楽しむための配慮として35km/h走行での徐行サービスが行われました。

 

 

 

西方駅手前の人形岩付近では、地元の方が列車に向かって手を振ってくださいました。

 

 

 

以下4枚は西方~薩摩大川にて。

 

 

 

牛之浜駅付近は、鳥居がそびえる奇岩と岩礁が広がる『牛之浜景勝地』と呼ばれる海岸地帯を走行します。

 

 

 

やがて一旦海とはお別れ。

かつてつばめ号をはじめ、全ての優等列車が停車していた阿久根駅で運転停車。ちなみに前日の下り列車は通過だったそうです…。

 

 

 

ここでつばめレディによる車販が廻ってきて、JR九州グッズを購入。

左から『リレーつばめキーホルダー』『リレーつばめクリアファイル』『列車ハンカチ(写真はゆふいんの森だが、勿論787系やソニックなど他の特急列車も図柄に入っている)

 

 

 

そして、ツアー代に含まれている昼食の『つばめオリジナル弁当』(出水駅や鹿児島中央駅などで駅弁を販売している松栄軒謹製)とお茶が配られましたが、周りの乗客が早速食べ始めたので私は感染対策のためまだ手を付けない事に…。

 

 

 

列車は出水市に入り、米ノ津川を渡り九州新幹線が合流すると、11:02に出水駅へ到着します。

 

 

 

その出水駅は運転停車扱い。ここで鹿児島中央駅から乗務してきた運転士が交替し、JR九州熊本乗務センターの運転士が大牟田駅までの間をロングランで担当します。

ここ出水市は鶴が飛来生息するマチとして有名で、『只今のツルの飛来数』を記した看板が駅に掲げられています。

 

 

 

出水駅のそばには、C56形SL92号機が保存。

同機は現役末期は吉松機関区配置で、主に山野線や宮之城線(いずれも廃線)で使われていたとの事ですが、1972~73年にかけて鹿児島本線と日南線でお召し列車を牽引したという由緒ある機関車であるため、このように手厚く保存されているのでしょうか。

 

 

 

11:08に出水駅を発車後、九州新幹線の高架をアンダークロス。少しの間だけ車窓左側を並行した後再びアンダークロスして別れます。

 

 

 

今回のツアーは肥薩おれんじ鉄道の協力があってこそで、車内では同社の社員によるオリジナルグッズ販売も行われました。私はマルマンのコラボ商品であるスケッチブックを購入。オマケで『鉄カード』を戴きました。

 

 

 

列車は米ノ津~袋で県境を通過、熊本県(水俣市)に入り、門司と鹿児島を結ぶ『ひとケタ国道』である国道3号線をオーバークロス。

 

 

 

袋~水俣でわずかの間だけ見える水俣湾。

日本を代表する公害病の1つ『水俣病』であまりにも有名になってしまいました。

 

 

 

かつての特急停車駅だった水俣駅は通過。

 

 

 

左側に水俣川を見ながら、再び九州新幹線と並走。水俣駅には新幹線が乗り入れないですが、お隣に新水俣駅ができたのはせめてもの救いでしょうか…。

 

 

 

1925(大正14)年開業当時の駅舎が今も現役で、国鉄時代の雰囲気を色濃く残す佐敷駅で運転停車。肥薩おれんじ鉄道の看板列車である『おれんじ食堂』2便「スペシャルランチ」(8187D)と交換します。

 

 

 

肥後田浦駅から先、日奈久温泉駅手前までの間は、彼方に天草諸島を見ながら八代海の海岸線沿いの区間を走行。しかし…残念ながらせっかく景色の良い区間に入った処で、急に雲行きが怪しくなってしまうという不運…😖

 

 

 

海岸沿いに突き出た岩場には撮り鉄が5人程構えておりました。ご苦労様…。

(ここまで3枚はたのうら御立岬公園~上田浦)

 

 

 

(上田浦~肥後二見)

 

 

 

(肥後二見~日奈久温泉)

 

 

 

そしてついに…海沿いの車窓風景とはお別れし、肥薩おれんじ鉄道線区間の旅も終盤へ。

八代発出水行6237Dと交換のため、日奈久温泉駅に運転停車します。

 

 

 

やがて日本製紙八代工場の巨大な煙突群が見えてきて、九州有数の川・球磨川を渡り、2年前この川の氾濫で被災し、今も不通のままの肥薩線が立体交差し左から合流。

肥薩線、只見線のように上下分離で復旧できるかどうか…。今後の動向を見守っていきたいです。私は4年前に『いさぶろう・しんぺい』『かわせみ やませみ』の観光列車に乗車しており、特に大畑ループや日本三大車窓の一つである矢岳越えの景観は素晴らしいだけに、再び列車が走る日を待ち望んでいるのですが…。

 

 

 

鹿児島中央駅から3時間余り経過した12:18、肥薩おれんじ鉄道とJR九州の境界・八代駅2番ホーム(番線は3番)に到着。ここで約9分の小休止となり、久々にドアが開いてホームに降りる事ができました。

駅の裏には先述の日本製紙の工場がそびえ立ち威容を誇っています。

 

今回はここまで。

後半の八代駅~博多駅につきましては後篇②にて紹介させて致します。

つづく