山陰本線 浜田から昔の726レの足跡を辿る | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


昭和59年の時刻表から。

浜田5:08発、大阪行き726列車は同年二月のダイヤ改正で、長年日本最長距離鈍行であった824レが無くなったことから、繰り上げ当選で日本一になりました。

これでもまだ走行距離は500km以上ありました。


今回は59年8月に乗車した726レのダイヤを辿ると今はどうなっているのか。

それを体験したいと思います。


見やすいように726列車の時刻表を並べます。



写真はイメージです。

同じ頃、餘部鉄橋を走る旧客


これは当時の朝撮影。



多分同じ位置と思うのですが。駅の上にある物が全てかわっているので比較できません。


乗車するキハ126の始発普通列車出雲市行き。発車は5:22と726レより少し遅い。

しかし上の時刻表を見ていただければ分かりますが、当時は726レの前に米子行きの客レがありました。


ホテルでもらったコーヒーとクロワッサンをいただきます。

朝、駅のセブンイレブンは5:30からの営業の為、コーヒーが買えないと分かっていました。



下府


これも昨晩、ウェルカムドリンクでもらった第三のビール


海岸線を走りつつ、半分寝ながら大田市に到着。しばらく時間があります。


726レの時も眠くてこの区間はほとんど寝ていたように思います。

あ、でも前日の833列車から見た、闇の海の恐怖とは全く違うという感じはありました。


大田市で駅外に買い物できるところはないか探します。


当時はまだ駅弁が売っていた。


雨がひどく徐行しながら進みます。

ガラスも雨水ではっきり見えません。


そうこうしているうちに出雲市。

すぐの乗り換えで向かいホームのキハ47へ。


なんとか席を確保。この列車、3両編成ですが、満席です。流石松江への通勤時間帯です。


かつての726レは4両編成。

やはり混んでいたと思うのですが、記憶が飛んでいます。


宍道湖



松江からはガラガラになりました。


米子までのラストスパート。

この後もキハ47だといいなと思いながら、米子へ到着。


乗り換えまでの時間で駅前の弁当屋に向かいます。


ここまでの時間は726レとほぼ同じです。