大分間延びがしましたが・・・
1982年10月3日、会津線を往復して若松に戻ってきたところからです。
「Challenge 20,000km」証明写真 (1982-10-03 会津若松)
会津若松発10:46の急行「あがの2号」に乗車し、山都着11:14。
この年の8月に山都-新津間を乗車しているので、これで磐越西線を完乗。
この駅で交換する11:15発の226レ郡山行に乗車して折り返し。
次は日中線に乗りたいけれど、この路線、日中は列車が走らないので、そのまま喜多方を通り過ぎて会津若松着11:48。ここで何と50分も停車。
その時撮ったと思われる写真です。
ほんの40年前ですが、そこには模型ファン諸氏が喜びそうな古色蒼然たる車両群が。。。
先ず226レと思われる編成より4両。
オハフ33 2060[仙フク] (1982-10-03 会津若松)
※寒冷地なので車番がすべて2000番台なのはしょうがないとして・・・2000を引くと、結構な若番ですね。
オハ61 2722[仙コリ] (1982-10-03 会津若松)
※木造客車を戦後鋼体化して出来上がったオハ60系の一派。
スハフ42 2160[仙コリ] (1982-10-03 会津若松)
※こちらはオハ35系の後継で重量派旧客の最終系列ともいえるスハ43系の一派。
オハ61 2819[仙コリ] (1982-10-03 会津若松)
それから、
(1982-10-03)
※これは端番線に佇むマニ36トップナンバーの横顔。
ED77 7[福] (1982-10-03 会津若松)
※これらの旧客に比べると、カマはかなり垢抜けたモデルに見えたが・・・今となってはどちらも過去帳の車両。
今度は会津若松12:09着・12:29発と思われる229レ新潟行編成より3両。
スハフ32 2131(1982-10-03 会津若松)
※こちらは一層古めかしい純戦前派、鋼体客車の嚆矢・スハ32系。
※今振り返ると・・・どの世代も、緩急車は長命する傾向でしたね。
オハ35 2680[仙コリ] (1982-10-03 会津若松)
※戦前と同じく両端を少し絞った丸屋根構造で戦後造られた一派。
※オハ35は合計1,300両余造られたそうで、改めて「昔は旅客列車と言えば客車が連なった汽車だったんだなぁ。」と思う。
オハ61 2716[仙コリ] (1982-10-03 会津若松)
おまけ2題。
キハユニ26 56[仙コリ] (1982-10-03 会津若松)
※これは12:26発只見線429D小出行と思われるが・・・キハユニの行先表示は「会津若松-只見」となっている。
コキ50000[53054] (1982-10-03 会津若松)
※何の写真を撮ったのかと思ったら・・・空コキの個車写真でしたか。
余計な背景をエアブラシで吹き飛ばしてしまいたいところ・・・あ、会津の山並みはそのままでいいですが。
12:38、漸く226レが動き出したが・・・僅か11分後の12:49、東長原で下車。
つづく
※※