1968(昭和43)年にデビューし、中四国地方などの国鉄非電化区間で特急ネットワークの一翼を担ったキハ181系気動車。その後、山陰地区の各列車の編成両数見直しなどに伴い、キハ180形を先頭車化改造したキハ181形100番台が85年に登場しました。

 

 

小郡(現新山口)と山陰地区を結んだ特急「おき」などで活躍していたキハ181 101。キハ180 7を改造して生まれました=山口線宮野ー仁保、2001年

 

 

 

キハ181形100番台は前面ガラス支持が金属になっていたほか、若干短縮された機械室、便所・洗面所窓が塞がれているーなどの特徴があったようです。国鉄時代に3両、国鉄民営化後のJR四国で2両が登場しました。

 

 

定員は0番台より4人少ない48人だったため、例えば「おき」で使われたキハ181 101は、私が見たときは自由席車となる上り方(米子方)の先頭車として組まれていました。

 

 

前面ガラス周囲の金属枠が目立つキハ181 101。100番台最後の1両として「おき」ではキハ187系化された2001年7月まで活躍し、翌年廃車になりました

 

 

 

100番台はいわゆる「魔改造」ではない正規の顔による先頭車化だったため、ちょっと見ただけでは形態差が分かりにくいのですが、改めて80年代半ばの鉄道雑誌に目を通すと、JR西日本のキハ181系唯一の車種間改造車として当時から注目されていたようです。

 

 

気動車に疎い私にはキハ181形は0番台も100番台も全くの同じ車両に見えてしまいましたが、 「100番台」という区分にもっと意識を向けて記録しておきたい車両でした。

 

 

 

 

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