三重県桑名市の自宅から宮崎市への転勤がきかっけで、鉄道写真の撮影を再開しました。宮崎時代2年目を迎え2000年という節目を記録することになりました。当初は宮崎市内の大淀川鉄橋で撮影することが主でしたが、変化をつけようと沿線の撮影場所を探したようです。市内から佐土原方面へ日豊本線沿いにクルマを走らせると、蓮ヶ池と日向住吉の間にあった踏切が目に留ました。この何でもない場所で下り寝台特急彗星を撮影しました。まず783系上り特急にちりんです。宮崎地区ではJR九州車は珍しかったですが、夜行特急ドリームにちりんの返し運用だったのかもしれません。

 

 

続いては下り特急ひゅうがです。延岡と宮崎空港を結ぶ県内特急でした。485系3両編成での運転です。当時、宮崎周辺の鉄道事情は延岡市の大手化学メーカーの影響を受けていると聞いていました。延岡から宮崎空港へ直接特急列車がアクセスすることで、東京、大阪へアプローチが改善されました。

 

 

そして下り寝台特急彗星号の通過です。この列車が最後まで残った要因もそこにあったと思います。乗客の多くは延岡までで下車、行き先は南宮崎ながらこの区間はすでに車内の乗客は少なかったはずです。車両整備のため南宮崎まで毎日運転されたのでしょう。その理由はこの列車が宮崎へ到着する頃には、東京、大阪、名古屋から当日の飛行機1便の方が早く宮崎空港へ到着します。それでは前夜から寝台列車を利用する価値がありません。一方、延岡へ朝一番に到着するには、特急ひゅうがに乗り換える空港経由より、前夜出発の彗星号の方が延岡到着は早かったのでしょう。彗星号利用にしても京都、大阪から全線乗り通すより飛行機最終便に間に合わなかったビジネス客が東海道、山陽新幹線を利用し彗星号を追っかけて利用したのかもしれません。もう20年以上前のことですが、今更ながら当時のことを思い返してみると興味が尽きません。

  

(撮影:minolta XD)


↓↓↓

ブログ村に参加しています。よろしければクリックをお願い致します。

 

鉄道ブログ - 鉄道コム (tetsudo.com)