いつもながらブログ記事の連続性に欠けて、『支離滅裂』(私自身を四字熟語で表すとそうなる)になってしまい申し訳ありません。旬でなおかつセンセーショナルな話題はできるだけ早く取り上げたいので、連載記事に関しては中断させて頂く場合も多々ある事をご了承ください。また、今朝の北海道新聞朝刊1面トップ記事の「留萌線廃線・バス転換」(紙面での見出し。リンクは記事のYahoo!ニュース版)についても、いずれ何らかの形でブログにしたいと思っています(最近ネタになる話題が多過ぎて正直混乱してますが…)。

それでは、7月1日から始まった6日間収集鉄旅の続きを紹介します。

 

LOVEパス収集鉄旅2日目の7月2日は、宗谷本線の記念入場券収集のため旭川駅からの始発列車である稚内行321Dに乗らなければならず、早朝4時半前に起床、急いで支度してホテルを後にし、駅に向かいます。

ちなみに、この日は最北を目指した後、一気に新函館北斗(※函館駅の183券購入目的だが、同駅近くの宿が取れなかった)まで南下…とかなりのハードスケジュール。

 

 

 

鉄道マニア(シツコイけど、私はマニアでもヲタでもない『愛好家』というスタンスですヨ)の考えている事は皆一緒。やっぱりというべきか、5時台前半に5番線ホームに上がったら既に321Dの先頭車側乗車口には数名の先客が。

前回触れていませんでしたが、1日のオホーツク4号車中で少しお話したマニア(あまりにもガチ過ぎて恐れ入ったので、敢えてそう呼ばせて頂く)のご婦人(首都圏在住)が先頭車後方の乗車口にいらっしゃって。ちなみに泊まったホテルも同じ。その方、前日のキハ183幕回しの件を教えて頂いた年輩の方(東海地区在住)とテツ友だそうで、彼女は留辺蘂駅で合流、そして2人とも旭川駅で下車、翌日(つまりこの日)からまた別々に行動するとの事でした。

そのご婦人、やはり記念入場券収集目当てでしたが、私は音威子府駅で下車するのに対して彼女は終着・稚内駅(12:07着)まで乗り通し、183券購入後路線バスで南稚内駅に出向いて記念入場券を購入、そして13:05発のサロベツ4号で折り返すとの事でした。いやぁ…この方、私以上に全国の鉄道の知識が豊富で…。私は北海道中心に乗り歩いているため、まだまだ未乗区間の多い道外の事はサッパリですからね…(汗)。女性でもこんなマニアはなかなかいない(市川紗椰レベル?)ので恐れ入った次第です(いや…テツ歴は圧倒的に私のほうが長いんだけど😓)。

 

5:41頃に、道内最長普通列車である321D(※名寄~幌延は4323D、幌延~稚内は4325Dと列車番号が2度変わる)の車両が入線。

旭川方(名寄切り離し)はキハ40 1791の紫水号!昨年3月ダイヤ改正で宗谷本線系統の普通列車からキハ40が完全撤退するモンだと思っていましたが早合点だったようで、実際には音威子府までキハ54と共通(代走?)で40の運用が残っており、321D~4333D~(翌日)4322D~3320Dなよろ2号に時折入っているとの事。

 

 

 

そして…稚内までの宗谷本線を全線走破するのがキハ54 528(元急行礼文用)。紫水号に乗りたいのはやまやまなのですが、最初の目的地が音威子府なのでコレに乗らざるを得ません。ただ、この車両は『秩父別駅積み残し事件』のお陰でオール転換クロスからセミクロス(ロング延長版)になっており、転換クロスは6列(※同じ旭アサ所属の元宗谷北線用と釧路車は9列)という、乗り鉄にしてみれば座席の争奪戦必至の仕様なのでしたが、何とか窓のある席を確保✌️

キハ54の乗客のほとんどが収集鉄目的と思われる同業者(大半は道外からでしょうな…)で占められており、20人以上は乗っていたかと思います。6:03、定刻に発車。

 
 
 
今回は収集鉄メインに付き途中の行程は省略しますが、今回初めて名寄高校駅に停車する列車に乗車しました。3月12日の開業記念乗車券が買えなかったのが「悔しいです!!😭」(まだ言ってる💦)ちなみに、この時点では当駅の前身だった東風連駅のホームはまだ残っていましたが、待合室のプレハブ小屋は既に撤去された後でした。
 
 
 
名寄駅1番線には7:40に到着。
13分停車の間に、後部のキハ40を切り離します。
 
 
 
3番線には、音威子府からの4332D(キハ54 513※元宗谷北線仕様)が7:45に到着。この後3320D快速なよろ2号として旭川へ直通する列車です。
 
 
 
7:53、4323Dに列車番号を変えて名寄駅を発車。
当駅からは運転士が名寄運転所の乗務員に交替するのですが、旭川運転所の乗務員が自動放送以外の車内放送を一切入れなかったのに対し、名寄からの方はキチンと車内放送して発車を告げていました。そして、暑くなるので扇風機の使用も勧めていて…。同じ会社なのになんでこうも接遇が違うのか?道内のワンマン列車で緊急時以外運転士の肉声による車内放送を行わないのは旭川だけです。有力組合員JR北海道にはいくつかの労組があるが、ここで言うのは最大組織の革マル派『北海道旅客鉄道労働組合(略称JR北海道労組)』の事)の圧力でも絡んでいるのかと勘ぐってしまいますが、あのイカレた組織をブッ潰さない限り、JR北海道に未来はないでしょう。

 
 
 
音威子府駅には9:05に定時到着。
ご覧の通り、明らかに収集鉄目的の同業者がゾロゾロと降車…。
 
 
 
そして、記念入場券を購入するため早速みどりの窓口に並びます。
 
 
 
記念入場券は音威子府駅開駅110周年と、天塩中川駅開駅100周年の2枚セット。バラ売りはありません。しかしよくもまぁ…周年記念が重なったモンですね😁一応、「お1人様5セットまで」という形で販売していましたが(※7月16日閲覧時点のJR北海道プレスリリース見出しでは「残り僅かです。完売時はご容赦ください」と記載)
実は…先述の稚内まで行くというマニアのご婦人の方、当駅分の購入は諦めていたそうで私が代わりに購入を引き受ける事にしました。私は自力で収集する事をポリシーにしているためその精神に反する行為なのですが、せっかく遠くから来てるのに買えないというのも何だか気の毒に思った次第で…。
 
 
 
意外にも列がスムーズに進み、何とか記念入場券の購入を済ませた処、3分停車の4323D発車時刻ギリギリだったので急げば再び乗車できたのですが、関係各位に迷惑が掛かるため当初の予定通り素直に後続の51D特急宗谷で南稚内へ向かう事にしました。それまで1時間半程の待ち合わせ。
購入した2駅の記念入場券と、音威子府村とお隣中川町の広報誌(両誌とも音威子府駅舎内に備え付け)。『広報おといねっぷ』には、5~6月にようやく運転が実現した『花たび そうや』の記事が掲載されていました。
 
 
 
音威子府駅といえば、音威子府そば。駅舎内の『常盤軒』は店主の死去に伴い正式に閉店してしまい、さらには独特の黒い麺を製造していた畠山製麺(暖簾にもその文字が…)も8月を以て廃業してしまうとの事で、いよいよ幻の味となってしまいそうです。尚、駅から徒歩5分位の距離の国道40号線沿いには『道の駅おといねっぷ』があり、そこではまだ音威子府そばを食する事ができるのですが、ソレを味わえるのもあとわずかの期間。今回4323Dから下車した同業者の中には、そば目的で道の駅に向かったと思われる人も数名いたようですが…。
 
 
 
1989年に廃線となった天北線の転換交付金を活用し、翌年に建てられた音威子府村交通ターミナル兼JR音威子府駅舎。横付けされているバス(三菱ふそう・エアロクイーン)は宗谷バスの枝幸発旭川行『特急えさし号』。
 
 
 
駅舎入口のマットには、村のキャラクター『おとっきー』が描かれています。
 
 
 
まだ後続の特急宗谷まで時間があるので、駅舎内の天北線資料室を少し覗いてきました。思えば、後の天北線が最北への鉄路として稚内(後の南稚内駅)まで到達してからちょうど100年の節目。
 
 
 
音威子府から2つ目の小頓別駅に掲げられていた『思い出お~い天北線』のPR看板。
この『思い出お~い…』(「多い」と、呼び覚ます意味の「おーい」に引っ掛けている)のフレーズは、1989年5~6月にバス及び3セク転換された旭川支社管内の他2線(名寄本線と池北線)でも使われていたのですが、「さようなら○○線…」というのは月並みだという事でそうなったようです。「♪さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束…」(来生たかお『夢の途中』/薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃』)という歌のフレーズがありますが、サヨナラの言葉を使わなかったという事は、もう二度と復活はないという意味も込められているのかと…?
 
 
 
資料室には、2019年夏に運転されて大好評を博した『風っこそうや』にまつわる展示も。
 
 
 
さて…廃線から33年が経た天北線ですが、その鉄道代替バス(宗谷バス天北宗谷岬線)も今や虫の息…。
転換当初は宗谷本線と代替バスを乗り継ぐ乗客も多かったのですが、今や稚内へ直通するのは1往復のみ。もう1本は鬼志別止まりですが、音威子府~中頓別~浜頓別の代替バスに関してはついに廃止されてデマンド交通に転換される事が決定してしまいました。当初は今年の10月の予定だったのが1年先送りされたため、音威子府~稚内の乗り通しを考えているならば今がチャンスです。ただ、使用車両は当初前扉の長距離向け仕様だったのが、今では交通バリアフリー法の絡みなのかワンステップバス(三菱ふそう・エアロスター)になっており、都市型ワンマンバスと変わらない座席仕様なので長距離乗車は相当な覚悟が必要かと。
(天北宗谷岬線の車両イメージ)
 
 
 
音威子府駅舎内に掲げられている記念フラッグと垂れ幕。
 
 
 
上写真にも少し見えていますが、駅舎内にある掛け時計には『旭鉄局』(旭川鉄道管理局)の文字が!つまり、国鉄時代からずっと使われ続けているのでしょうか…。まさに歴史の重みを感じるのでした。
 
 
 
さて…南稚内駅まで乗車する51D特急宗谷は自由席利用なので、早々と改札口に並ぶ事にしました。写真右下には、ちょうど10年前に迎えた開駅100周年の記念ロゴ入りプレートが。
 
 
 
改札口を抜けて2番線ホームへ向かうのですが、跨線橋にはまだ『花たび そうや』のフラッグが残っていました。
 
 
 
下り宗谷は、理由は不明ですが4分程遅れて到着。この日は261系基本番台の4連でしたが、全てが1998年製の量産先行車(SE-201+SE-101)。姿形は多少変われど、途中のブランクを挟んで今年まで24年もの長きに渡って製造が続けられたキハ261系のトップナンバーです。22年に渡って増備されてきた『元祖』新幹線0系も真っ青なロングセラー商品ともいうべき車両?
 
 
 
基本編成4両の場合、自由席は最後尾4号車(キハ261-201)のみ。記念入場券目当てで下車客もいるだろう…という目論見で私は指定席を事前に予約しなかったのですが、この日は土曜日という事もあって、同業者のみならず一般の旅行者(道外からも相当数来ていると思われる)が多数乗り込んでおり、まさに激混み!私は何とか通路側席に相席(勿論一声掛けた上で)で座らせて頂いたのですが、結局音威子府からの乗客の中には着席できず通路やデッキ(指定席側にまで溢れていた)に立ちンボという気の毒な方も少なからずいらっしゃいました…。指定席も満席に近いという大盛況で、コロナ禍以前の賑わいを取り戻したかのようにも見えました(ただ…その後感染者が急増しているのが気に掛かるが…)。
 
 
途中の行程や車窓は省略。
存続が危ぶまれている抜海駅を通過します…。
 
 
 
この日は曇り空というあいにくの空模様で、残念ながら利尻山は車窓から見えず。

それまで一言も言葉を交わさなかった相席の男性の方と「いやぁ…残念でしたね~」的な話になりましたが、私がゴツいカメラ(?)を構えていたからか「何か取材の方ですか?」と訊かれてしまいました…😅勿論ただのド素人と答えましたが、まぁ…ブログの取材みたいなモンですからあながち間違いではないのかも?

 
 
 
この日の第2目的地である南稚内駅(開駅100周年記念ロゴには元祖 稚内駅』の文字が記載されている)は所定の12:35から2分延着。やはり同業者が多数下車していきました…。
 
 
 
改札口を抜けて、やはり記念入場券を買うための列に早速並ぶのですが、音威子府駅の時より購入希望者が多く、なかなか列が進みませんでしたが、10分程並んでようやく購入。当駅は記念入場券1枚につき、駅員さんがプリンターで作成した記念カード1枚がオマケで付いてきます(切符と記念カードの写真は後程紹介)。
 
 
 
4月29日の『稚内駅新駅舎グランドオープン10周年記念』(リンクはそのイベントに行った時のブログ記事)と同様、南稚内駅にも『巨大駅ノート』が設置されていましたが、コチラに貼り付けられていたメッセージは1つだけ…。やっぱり双方の駅の性格が違うからでしょうか(当駅の利用者は観光客より通学や所用、ビジネスなどの一般客がメイン)。また、駅舎内には音威子府駅と同様に記念の垂れ幕が飾られていました(トップ画像)。
 
 
 
また、開駅100周年を記念し、『稚内駅』として開業した当時の駅舎の模型が展示されました。この模型は市内の建設会社が製作したモノで、建築模型の技法で忠実に再現されています。
もっとも、当時は駅舎と直角に頭端式ホームを備えた終着駅然とした構造だったため、後に稚内港駅(現・稚内駅)まで延長開業した際、同駅に向かう列車は一旦スイッチバック運転する事を余儀なくされており、その不便さを解消するためと、両駅の直線距離が近い事、そして稚内市の都市計画の絡みもあって1952年に現在地に移転され、100年前からの駅施設自体は何一つ残っていません。
 
 
 
参考までに、テキトーではありますが南稚内駅の新旧位置関係をGoogle Earthから切り抜いたスクショに書き込んでみました。旧駅当時の位置は国土地理院『地図・空中写真閲覧サービス』の地図検索表示画面で稚内周辺を拡大した上で、1949年米軍撮影の付近空中写真を表示して参照してください。
 
 
 
1952年の現在地移転当初はバラック建ての仮設駅舎だったそうですが、翌年に木造モルタルの現駅舎が完成、その後1978年に増改築が行われ近代的な外観となりました。真正面からだと鉄骨鉄筋コンクリート造りに見えなくもないのですが、裏に廻れば旧来の造りが見え見えといういわゆる『看板建築』。
余談ではありますが、TVドラマ版『幸福の黄色いハンカチ』(三船プロ製作、1982年TBS系で放映)では島勇作(菅原文太)と光枝(泉ピン子)が急行列車に乗って札幌へ向かうシーンとして駅舎の外観がほんの少しだけ登場します。
 
 
 
本当は南稚内駅で記念入場券を購入後、タクシーで稚内駅に出向き183券(特急サロベツの図柄)を購入して6064Dサロベツ4号に乗車…という目論見だったのですが、見通しが甘かったようで時間が足りず(下り宗谷の到着遅れも若干影響)、結局断念。流石に兵糧攻めされるのは勘弁…😵とばかり、駅前のツルハドラッグで昼食になるモノの購入を優先しました。
駅に戻るとサロベツ4号の改札が始まっていましたが、巨大駅ノートに貼り付ける思い出メッセージを急いで書きました…💦以前にもブログで紹介しましたが、かつて一度だけ天北線に乗車したのが当駅からだったのです。そして、音威子府と天塩中川両駅の記念入場券代理購入を約束していたマニアのご婦人(この方、その後長万部駅までずっと私と同じ列車で移動。乗り鉄あるあるですね)にも無事再会し、この後乗車したサロベツ4号の車内にてお渡しする事ができました。その代わり彼女には稚内の183券を『保険』として1枚だけ購入を依頼していて、ソチラも私の手元に入ったのですが(その節はありがとうございました🙇‍♂️)今回は敢えて掲載せず。
 
 
 
あまりにも急ぎだったので、改札口を抜けたのがサロベツ4号がホームに滑り込んだタイミング💦というワケで車両の顔は撮る事ができませんでした…。まぁ下り宗谷の折返し運転なので車両編成は同じなのですが。
 
 
 
復路のサロベツ4号はLOVEパス紐付けで指定席を確保(稚内→札幌の通し)。
今回は1号車(キロハ161-201)にしたのですが、寄りによって?私の席だけが相席という悲劇…(?)。まぁお隣の方は夫婦旅行で乗っていた年輩の女性で、そしてこの時点ではまだ空席があったのでその方は席を移動してくださったのが幸いでしたが(若い女性なら大喜びで相席します…ホント、男ってスケベね😅)。
 
 
 
やっぱり帰路も利尻山は見えず…。相変わらずどんよりとした雲間から青空が少しだけ覗いていましたが。まぁ今回は収集鉄目的なので、景色はそんなに気にしない…😓
 
 
 
問題の抜海駅を通過。
 
 
 
紹介が遅くなりましたが、南稚内駅開駅100周年記念入場券と記念カード(※残念ながら完売済)。もう既に400番台後半まで進んでおり、コチラに関しては朝からかなりの売れ行きだったようです。やっぱり限定1000枚は少な過ぎですねぇ…😥ケチんぼだなぁ、旭川支社って…(だからムリヤリ初日に買いに来たんですよ💦)
 
 
 
問平陸橋付近の天塩川ですが、雨による増水で川幅が広くなっており、水も淀んでいる状態。
 
 
 
音威子府駅では、やはり収集鉄目的の同業者が相当数下車していきました。
 
 
 
豊清水信号場で、運転停車中のはまなす編成による61Dサロベツ1号と交換。
 
 
 
16:49、サロベツ4号の終着駅である旭川駅5番線に到着、隣の6番線に停車中の17:00発3036Mライラック36号に乗り換えます。3番線には、前日に乗車した復刻色入り編成の6083D大雪3号(17:05発)が停車中。
 
 
 
ライラック36号は789系HE-106+HE-206編成(ASAHIKAWAラッピング)。
下り宗谷→サロベツ4号がキハ261系のトップナンバーだったのに対し、コチラは789系の2011年製の最終製造車という、何とも対照的な組み合わせ。先頭車には他編成に見られない貫通扉部の渡り板が残っています。
 
 
 
ライラック36号は2号車(モハ788-106)に指定席を確保。やはりサロベツ4号からの乗換客が多いからか、指定席の乗車率はなかなか高めでした(但し相席にはならず)。
このHE-106/206編成は更新対象外のためオリジナルの赤・緑(但し従来車で見られたランダムの青色配置はナシ)の平織物生地シートのままですが、テーブルの留め具一体型のチケットホルダーを装備。
 
 
 
18:25、終着・札幌駅3番線に到着。珍しくライラックのHMの状態で撮れました!
 
 
 
そして新函館北斗までは18:47発の函館行最終列車となる22D北斗22号に乗り換えるのですが、その前に『弁菜亭』で駅弁購入(ほっかいどう応援クーポン利用可)を済ませてホームに上がります。
 
 
 
北斗22号の編成は下記の通り。始発駅からの乗車でなおかつ遅い時間帯なので指定席は敢えて取りませんでした。やはりキハ261系(1000番台)による運転です。
函館← ①(G)キロ261-1113 ②(指)キハ260-1113 ③(指)キハ260-1323 ④(指)キハ260-1328 ⑤(指)キハ260-1403 ⑥(自)キハ260-1215 ⑦☆(自)キハ261-1215 →札幌
 
 
 
北斗22号7号車の車内。だいたい千鳥状に窓側席が埋まっている程度のガラ空き振り。
曜日や時間帯にもよりますが、『北斗』『おおぞら』に関しては2両の自由席が指定席より空いている場合が多いため、双方の始発駅から乗車の場合はLOVEパスの指定席をなるべく使わないようにしています。
 
 
 
22:14、この日の最終目的地である新函館北斗駅に到着。
同駅で下車したのは『北の大地の入場券』購入以来約2年振りだったような…。
 
 
 
この日の宿は『東横INN新函館北斗駅南口』
勿論『どうみん割』利用ですが(宿泊料¥3010、ほっかいどう応援クーポン¥2000分付)、禁煙室は予約段階で満室だったため仕方なく喫煙室利用。ちょうどフロントに飛び込みで宿泊の申し込みを試みた客がいましたが、この日は結局満室だったため勿論断られてました…。しかし、この時期は全国から多くの観光客やらで道内各地のホテルが軒並み混んでいましたが、ノーマスクでフツーに館内を闊歩するモラルの低い客が目立っていたのは残念です。旅館業法の改正で感染症の疑いのある人と、正当な理由なくマスク着用を拒否する客についても宿泊を断る事ができるようになるとの事ですが、業者に対しては是非とも毅然とした対応をお願いしたいですね。
 
 
今回はここまで。翌日からは183券の残りを収集する旅が続きます。
冒頭でもお伝えしましたが、他の記事を挟む場合がございますのでその節はご容赦ください。
つづく