第1492回('22) 西武新宿線と中央線快速の駅を降り鉄して帰京   | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2022年4月29日~5月2日、ゴールデンウィークの長期休暇は関東と北陸へ乗り鉄&降り鉄の旅をしました。一部未乗の線区も乗りつぶしました。
ゴールデンウィーク前半は天気が悪かったので、不完全燃焼の結果に終わってしまったのが痛かったですが…。
新型コロナウイルスは感染状況が落ち着きつつありました。私は3月に3回目のワクチンを接種済みでしたが、もちろん今回もマスク・手洗い・アルコール消毒といった感染対策を徹底した上で乗り鉄を決行しました。
 
今回は2日目(4月30日)終盤の内容です。
本川越駅から西武新宿線~国分寺線経由で国分寺駅まで行きましたが、航空公園駅と所沢駅で途中下車しました。その後は復原された三角屋根の旧駅舎を撮影するため中央線快速で国立駅を訪問し、最後は中央線快速で東京23区内へ戻って、中央総武線各駅停車と山手線を乗り継いで上野で宿泊しました。
  
今回の日程 2022年4月30日  (土)   【その3】  
 
本川越1517(西武新宿線・急行)1535航空公園1608(各停)1610所沢1640(準急)1643東村山1647(国分寺線)1659国分寺1703(中央線快速・快速)1707国立1716(上り快速)1755御茶ノ水1756(中央総武線各駅停車)1758秋葉原1801(山手線内回り)1804上野  
  
【宿泊】  
  
川越線の川越駅から徒歩で本川越駅へやって来ました。
 
 

 
本川越駅からは15時17分発の西武新宿線の上り急行・西武新宿行きに乗車しました。20000系10連で、私は最後部車両に乗り込みました。はじめはガラガラでしたが、10両目は改札口に近いため、発車間際になると次々と乗客が車内へと入り、発車時には半分以上の席が埋まりました。道中は郊外の車窓風景を眺めて過ごしました。各途中駅では一定数の乗降がありましたが、川越の求心力もそこそこ高いようで下車客も多く、乗車率はさほど上がりませんでした。それでも狭山市駅から先は少しずつ乗客が増加していきました。そして私は所沢駅の1駅手前、15時35分に到着した航空公園駅で下車しました。
 
 

 
航空公園駅は相対式ホーム2面2線で橋上駅舎を有しています。西口側は駅前広場すらなく手狭でしたが、東口側は整備されていて、広々としていました。駅前には駅名の由来となった所沢航空記念公園、略して航空公園の出入口があり、この日はGW中の土曜日でお天気に恵まれたため、多くの人が訪れていました。また、駅近くには所沢市役所や防衛医科大学校、防衛医科大学校病院もあります。
 
 

 

 
航空公園駅では16時08分発の各駅停車・西武新宿行きに乗車。今度も20000系ですがこちらは8連です。西武新宿線や池袋線では都心側の各停のみ停車駅のホーム有効長が8両までしか対応していないため、必然的にターミナル駅に発着する各停が8両編成になります。また、遠近分離の施策により10連の優等列車が郊外側で各駅に停車することから、郊外側の小駅に10両編成が頻繁に停車する逆転現象が起きています。乗り込んだ最後部車両はガラガラでしたが、この電車は隣の新所沢駅始発でした。道中は水分補給をしながら車窓風景を眺め、次駅の所沢駅で下車しました。所沢駅は夕方の日没時ばかりに訪問していたため、今回はまだ明るいうちに再訪問しました。一度も通っていなかったグランエミオ改札から出場して、東西の駅舎と駅前を改めて撮影しました。マンホールの蓋も撮影しましたが、広告になっている蓋もありました。また、「機動戦士ガンダム」のイラストが描かれた蓋もあります。
 
 

 

 

 
所沢駅の次は、東京都国立市にある中央線の国立駅を目指します。乗車したのは所沢駅16時40分発の新宿線上り準急・西武新宿行きで、「スマイルトレイン」こと30000系10連でした。準急は上石神井駅まで各駅に停車しますが、準急停車に対応するため西武柳沢、東伏見、武蔵関といった中小の駅が10両対応のホームになっている一方、上石神井より都心側の上井草、井荻、下井草などの駅が8両までしか対応していません。私は準急の最後部車両にのりこみ、ほぼ全席が埋まっていたものの私は着席し、休憩をしつつ車窓風景を眺めました。そして私は1駅目の東村山駅で下車しました。
 
 

 
高架化工事たけなわで仮駅状態が続いている東村山駅では地下道を通って別のホームへと移動し、4分の接続で16時47分に発車する国分寺線上り各停・国分寺行きに乗り継ぎました。「黄色い電車」の新2000系6連で、私はこの日西武線の電車ばかりに乗っていましたが、ようやく2000系に乗車できましたw いつもは「また2000系か…」と思ってしまうのですが、全く遭遇しないと寂しいものですねww 私は最後部車両に乗り込みましたが乗客が多く満席で、私はドア脇に陣取りました。立客も多かったですが、前方車両は空いていたかもしれません。
道中は久しぶりとなる国分寺線の車窓風景を眺めて過ごしました。拝島線との乗換駅である小川駅での乗降は少なかったですが、その次の鷹の台駅で多くの乗客が一斉に下車したため、空席が発生し、疲れていた私は着席しました。その後も車窓風景を眺め続け、インパクトがある駅名である恋ヶ窪駅を経由し、東村山駅を発車して12分後の16時59分、終点の国分寺駅に到着しました。
 
 

 
私はこの日、『Suica』で乗り鉄していたため、国分寺駅では乗換改札を通ってJR線の改札内へ。17時03分発の中央線下り快速(土休日は吉祥寺以西各駅停車)・高尾行きに乗り継ぎました。E233系10両編成で、最後部車両で着席しました。7割方の座席が埋まるほどの乗車率でした。今度も道中は車窓風景を眺め、2駅先の国立駅で下車しました。国立駅は2018年にも降り鉄しているのですが、その2年後の2020年に、高架化より前に使用されていた三角屋根の旧駅舎が復原されたため、その旧駅舎を撮影すべく改めて訪問しました。旧駅舎は「まちの魅力発信拠点」として利用されていて、コンコース跡は休憩所になっていました。
 
 

 

 

 
これにてこの日の乗り鉄・降り鉄を終了として、宿泊地である上野へ戻ることにします。国立駅からは17時16分発の上り快速・東京行きに乗車しました。E233系10連で、高架ホームに上がったとほぼ同時に電車が入線したため、前から6両目に乗り込みましたが、車内は立客も多く、ドア脇のポジションも取れませんでした。私はドア付近の吊革に掴まりスマホを操作していましたが、2駅目の国分寺駅で一定数の乗降があったため、空席にはありつけませんでしたがドア脇へと移動できました。その後も高い乗車率のままでしたが、私は車窓風景を眺めて道中を過ごしました。土休日ダイヤなので吉祥寺駅を出ますと西荻窪、阿佐ケ谷、高円寺は通過しました。新宿駅では大量に下車したため、空いた席に座ることができました。乗車客は少なかったため、満席プラス少々の立客で新宿を発車し、都心部を東へ走行しました。そして私は終点まで乗ることなく、途中の御茶ノ水駅で下車しました(17:55着)。それにしても御茶ノ水駅の工事は長いですねぇ…。
 
 

 
御茶ノ水駅では中央線快速電車に別れを告げ、同じホーム向かい側にやって来た中央総武緩行線の東行各駅停車・津田沼行きに乗り継ぎました。E231系500番台10連で、この電車でも前から6両目でしたが、既にラッシュ並みの混雑でした。次駅の秋葉原駅で下車し、しかも御茶ノ水駅も秋葉原駅も左側のドアが開閉するため、私は一番最後に乗り込み、ドア部分で立席となりました。道中はしばし秋葉原の街並みなどの車窓風景を眺め、すぐに到着した秋葉原駅で下車しました。
 
 

 
秋葉原駅では3階ホームから2階ホームへと移動し、18時01分発の山手線内回り電車(E235系11連)に乗り換えました。後ろから3両目に乗り込みましたが、乗車率は思ったほど高くなかったです。それでもほぼ満席でしたが、私は疲れていたため空席に座りました。車窓風景を眺めつつスマホを操作して道中を過ごし、2駅目の上野駅で下車しました(18:04頃着)。
 
 

 
上野駅では中央改札から出て、浅草口前にあるそば屋「いろり庵きらく」で夕食を済ませました。
 
 

 
夕食後はコンビニに寄ってからホテルにチェックイン。入浴を済ませてベッドでスマホを操作してくつろいでいましたが、22時頃に寝落ちしていました。
 
この日は天気に恵まれてほぼ思い通りに乗り鉄・降り鉄できました。
翌日以降も乗り鉄・降り鉄を続けましたが、天気が心配でした…。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)