キハ40系の記事になる予定でしたが。 | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

キハ40系の記事になる予定でしたが。


今日のキハ40系は12月5日に岩国駅と南岩国駅で撮影した写真です。

いつもなら鉄道または地元関連の話題や、ローカル線存廃問題についての記事となりますが、今回に限って昨日のことを語ります。

昨日11時30分ごろ奈良市の大和西大寺駅近くで、街頭演説中に自由民主党の安倍晋三 元総理大臣が銃弾に倒れました。



安倍 元首相は12時20分に奈良県立医科大付属病院へ搬送されましたが、頸部に2カ所の銃創があり既に心肺停止状態だったそうです。

その頃から山口県では雷雨に襲われ広島も14時前から豪雨となり、私の近所には14時6分に突然の落雷が襲いました。

雷って、遠くから雷鳴が聞こえ始めて、何か落ちそうな前戯があって落雷しますが、昨日は遠くでゴロゴロ言い始めたなと思った瞬間の爆発音でした。



安倍 元首相は17時3分に死亡が確認され、それに合わせるかのように広島も山口も、公共交通機関が次々と麻痺状態へと陥ります。

広島では17時20分から運転見合わせが始まり、山陽本線・呉線・可部線・芸備線・福塩線・木次線で列車が止まりました。

そのまま広電は宮島線・市内線の全線とJR呉線の三原~広間で終日運休となり、福塩線は20時に運転再開、芸備線は備後落合~備後庄原間で21時28分に運転再開となりました。



その他の線区での運転再開は23時から順次に行われ、列車は一部運休と最大540分の遅れで運転され、夜中の3時にRedWing-227系の営業運転が走るといった、まるで終夜運転が行われているかのようでした。

梅雨は明けたと言うものの今は雨季であることに変わりはなく、日本海から西日本にかけて南北に伸ぴる前線帯が形成されていて、西からは大雨をもたらすレペルの非常に暖かく湿った空気が流れ込んでいました。

巨星堕つ時には天変地異が起こるとのイメージがありますが、安倍 元首相は内閣総理大臣として第一次・第二次通算3190日間就任し、その他にも衆議院議員として、自民党総裁、幹事長、内閣官房長官、清和政策研究会会長、自由民主党幹事長代理、内閣官房副長官等を歴任しました。



これだけの要職を長年務めていると、国内はもとより諸外国にも太いパイプを持ち、安倍 元首相を中心に動く人脈は日本の国としての宝でした。

日本を取り巻く世界情勢は不穏そして激動な最中において、今こうして命が奪われて突然存在しなくなることは、日本国が存在する上で非常な困難をもたらせることとなります。

与野党にはまだ重鎮の方々がおられるので、その困難には立ち向かわれるでしょうが、舵取りをはとても厳しい状態が数年間続くことは間違いありません。



昔いつしかの記事で述べたことがあるのですが、「国家間の貿易はお金があるから売ってくれる訳ではない」ことを、忘れてはいけません。

食料や工業製品そして材料その他の輸入品は、即日本国民の生活を脅かすほど繊細な存在ですが、他にも外交や安全保障など国家間の信頼関係も国民の命を左右します。

犯人は「安倍氏の政治信条に不満があった訳ではない」と語っているそうですが、それでは個人的な遺恨でもあるというのでしょうか。



要人暗殺は、その謀殺された人の周辺環境に影響を及ぼすにとどまらず、その国の根幹を揺るがす大罪で、どこの国であっても国の未来に暗雲をもたらせます。

トリガーを引いたその1本の指に、日本人そして日本に暮らす総ての人の運命を背負わせた犯人の思いとは、一体何だったのでしょうか。

許されないテロ行為には、警察も断固とした捜査を望みますが、それは奈良県警も警察庁もその腹づもりでしょう。



安倍 元首相は岸信介 元首相の孫に当たりますが、私の祖母方の曾祖父とは陸軍の関係から旧知の仲だったらしく、その縁で安倍 元首相にもまだ総理就任以前ですが、お会いしたことがあります。


演説中に5mの距離からの発砲ですが、 SPも県警も未然とまではムリだったにせよ、総理が軽症程度の犯人取り押さえはできなかったのでしょうか。


今はご冥福を祈るばかりです。


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