令和の昨今、定期列車で電気機関車が客車を牽引するというのはありません。つまり、今のJR電気機関車は全て貨物用ということになります。旅客会社でも電機を持っていないことはありませんが、寝台列車が運転されているわけではありませんし、出番と言えば工臨を牽く時。そして客車も何気に持っていますが、それは全部団体列車だったり、臨時列車だったりとやっぱり定期運用は持っていません。

 

そこへいくと、ディーゼルなんかもそうですが、昭和国鉄時代の電機は旅客用、貨物用、客貨両用だったりと、その用途、走らせる地域などに応じて様々な種類がありました。貨物用が客車を牽いてはいけない、あるいは旅客用が貨物を牽いてはいけないというルールは無いんですけど、概ね線引きはされていました。客車の場合、12系や14系など、自らの力で電源を発することが出来る車両以外の車両、つまり旧形客車の場合、夏季はともかくとして冬季に欠かせない暖房供給が大きなネックになります。暖房は機関車が調達することになっていたので、その装置(SGやEG)が無いと客車を牽引するのはムズいですよね。だから貨物用機が客車を牽引するのは必然的に夏季のみになります。旧型電機だと機関車の次位に暖房車という供給車両をくっつけて走ることもありましたので、冬季でも牽くケースはありましたが、新性能電機はどうだったのか・・・?

 

画像のEF60は典型的な貨物用機ですが、500番代は20系客車を牽くために登場したバージョン。でも、20系と反りが合わず、わずか1年ちょっとでEF65と交代してしまい、以来、オリジナルのEF60と同じ使い方になりました。交代して間もない頃は一張羅(特急色)を羽織っていましたけど、次第に作業着(直流電機標準塗色)に着替えさせられて、目立たぬ機関車になってしまいました。まぁ、でも長い目で見れば、EF60は貨物牽引が良い意味でよく似合います。「水を得た魚」とはこーゆーのを言うんですかねぇ~?

 

ここは稲沢かはたまた吹田か・・・?

こーゆー「車扱い貨物」が一番良いです。

「510」と読めますので、510号機になりますが、前述のように20系を牽引するために登場した機関車で、昭和38年に新製されて東京機関区に配置されました。そしてその任務が解かれると、浜松機関区へ転属して車生の半分以上を浜松で過ごした後、昭和60年に高崎第二機関区に転属、翌年に廃車となります。広島、八王子転属説と昭和59年廃車説もありますが、浜松説、昭和61年廃車説が正しいような気がします。

しかし、510号機は解体されず、大宮工場(→大宮総合車両センター)に運ばれたまま、平成28年までその姿を留めました。碓氷峠鉄道文化むらに保存されている501号機と共に貴重な500番代の生き残りで、解体の数年前に “お色直し” されました。そして時折、鉄道博物館で公開されたりもしましたが、放置だけでも維持費がかかるのでしょうか? 大宮総合車両センターの裏、通称「裏大宮工場」に放置プレイされていたEF15、EF80、EF58などと共に解体されてしまいました。誰もが「勿体ない」って思ったに違いないわけですが、近年、JR各社で保管していた国鉄時代の車両が次々に解体されるのを見て、「もう少し何とかならないの?」って私も思います。碓氷峠鉄道文化むらの保存機も基本的には雨ざらしなので、お世辞にも保存状態が良いというわけではないし、鉄博やリニア・鉄道館、そして京都鉄博などの保存車両とは対照的。中には貴重な車両もあったわけで、それらの “安住の地” も考えて欲しいなと真剣に思っています。維持費云々言うなら、「クラウドファンディング」という手もあるでしょうしね。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

デンチュウの鉄道ページ

ウィキペディア(国鉄EF60形電気機関車)