省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

中部天竜支区にいた 関西出身の原形クモハ51 飯田線 クモハ51044

 本車は中部天竜機関支区に揃っていたオリジナルのクモハ51の中でも、生粋の関西生まれのクモハ51044(静チウ)です。関東向けモハ51とは異なりモハ41に編入されることもありませんでした。運転台窓のHゴム化は右側のみで、比較的原型に近い姿です。

クモハ51044 (静チウ) 1977.12 豊橋駅

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クモハ51044 (静チウ) 1978.4 豊橋駅

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クモハ51044 (静チウ) 1978.4

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クモハ51044 (静チウ) 1976.5 豊橋駅

本車の車歴です。

1937.7.3 日本車輛製造 (モハ51044) → 1937.8.17 大ミハ → 1937.12.10 大アカ → 1954.9.10 更新修繕I 吹田工 → 1969.5.1 静チウ → 1978.10.1 静トヨ → 1979.8.29 廃車 (静トヨ) ※[76-7全検浜松工確認]

 本車は1937年名古屋の日本車輛で製造されました。新製後は関西の名門、宮原区に配置されますが、明石電車区が開設され、急電運用に就かない3扉車はそちらに集められたためすぐそちらに移動します。戦時中は座席撤去を受けることもなく、そのまま明石区を移動せずに京阪神緩行線の輸送に黙々と従事しました。しかし大阪万博を控え103系の投入が始まると飯田線に移動し、中部天竜支区にやってきます。しかし、1978年の豊橋区への80系の投入を受けて、中部天竜区の車両の全廃ならびに車両配置の廃止を受けて引退します。最後は中部天竜支区の車両配置の廃止を受けて名目上豊橋区に移動しますが、そのまま廃車になりました。実質的に明石区32年、中部天竜支区9年という、クモハ51としては珍しく非常にシンプルな経歴でした。

 

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1-3位側客用ドア形状