皆さん こんにちは。 私は、震災当時は、阪急今津線仁川駅近くのマンションに住んでいました。 そのマンションから見た ある日の風景。 今は もちろん引っ越していますが。

 

普通宝塚行。 8020Fです。 8020Fは、1992年に6両編成で新造されて この1年後に 中間車2両が増備されて8両編成化されました。  6両編成時代は、今津北線での運用が多かったように思います。 

8000系は 8000F〜8008Fまで 8両編成で製造され その次が、この8020Fで 7000系や6000系の時と同様の車両番号の規則にのっとて 6両編成だったので 飛び番で8020とつけられました。 しかし 編成単位で製造された 8000系はこれが最後で 以降は 増結用2両編成の 8030番台。マイナーチェンジの8040番台の2両編成が製造されました。 それだけでなく 基本編成単位で製造された神宝線系統の阪急電車は,20世紀では 8020Fが最後。 次に基本編成で製造されたのは、2006年の9000系 9000Fになり14年間も 編成単位での新車の入線はありませんでした。

 

マンションの隙間の8020Fと 阪神競馬場の大屋根。

 

大屋根とパドックの正面にある オッズを表示する巨大電光掲示板の背面。  大屋根の内部に鉄骨の細い骨組みが見られますが、地震の激しい揺れでこの大屋根を支える柱にずれが生じたそうで その修復作業中でした。

本来なら 阪神競馬場は 災害時の広域避難場所に指定されていたのですが、 この大屋根などに被害が出たために 避難場所としては 限定的な対応になったそうです。

 

3054F普通宝塚行です。 ブルーシートで覆われているところが地震の揺れで崩落しました。 その影響で 今津線の線路も歪みが生じて 運休となりました。 ただそれ以外にも 阪急今津線だけでも門戸厄神付近で 国道171号線 甲東園付近で 山陽新幹線の高架橋の崩壊 などもあリました。

手前の弁天池は、 ブルーシート部分だけでなく 周辺の被害もあり 修復のため 水が抜かれていました。

 

3054Fの後ろから2両目のM車をアップで撮影したつもり。 宝塚方のパンタグラフが撤去されているのがわかります。  震災で破損した 他の車両のパンタグラフの補修部品の確保のために 今津線を走る3000系のパンタグラフが1基ずつ撤去されて 補修部品として活用されていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。