激変迫る!西武の黄色い電車と“銀6”を追う(2022.6.25) | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

とにかく、今あるものは全て有限。

東を見ても西を見ても、中を見てもやがては消えてゆくものばかり。

無くなってから嘆く前に、相応の行動を。


6月11日編

とりあえずしばらくは、西武と東武と都営(・京急・京成・北総)の三つ巴の様相。

距離的に一番手軽に撮りに行けるのは西武なので、その比重は当分続くのではないか。


今回は、6月25日土曜日。

この日は本当は、東武350系ツアー列車が浅草〜会津田島間で運行されたので、会津鉄道方面に

撮影に行きたかったのだが、午前中に歯科治療の予約を入れていたのをすっかり忘れていた。

もっとも、3月改正で野岩鉄道が大減便してしまいスケジュール作成が困難で、実行してみても

費用対効果の面でハテナマークついてしまうため、今回は見送りとした。

代わりに午後に三鷹で観劇の予定を組み込み、リカバリーとした。


そしてこの日、西武6000系デビュー30周年記念乗車券の通常版が発売された。

そもそも朝に玉川上水駅に車を走らせて買うだけの予定だったが、事情により車が使えなくなり

やむなく歯科治療を終えてから観劇までの時間を縫って買いに赴いた。


そうなると、やはり記録しながら動きたくなるもので…

しかも観劇前に中野で友人の写真展に顔を出すことにしたため、思いの外時間がタイトに。

バスのネットワークも頭に描きながら、分刻みで移動となった。


多摩湖線で萩山まで出ると、新2000系による玉川上水までの回送に遭遇。

まずは玉川上水駅に赴き、記念乗車券を手に入れるのだがその途中。


東大和市で一回降り、6102Fの急行(2318レ)を迎撃。

結果的に10分タイムロスしてしまうが、これは折り込み済み。


折々にこうして撮っていると、意外にここで6000系をしっかり撮ってなかったなと思う。

結構西武線は普段使いとしても定着していて、今まで乗る時に撮らないこともままあったのだ。


…さて、無事に玉川上水駅改札で6000系デビュー30周年記念乗車券を所定数購入。

玉川上水から乗っていくのは…

6101F!


この日の朝は、拝島線内を2318レ〜2320レと続行する形での運転だったのだ。

だから、結果的には乗って来て正解だったのだ。


買った記念乗車券と一緒に。


ここからはまた乗りながら、あれこれと楽しむ時間。


小平では、青帯の系譜を受け継いだ20000系との並びが。

しかし、その青帯の伝統は平成時代の前半期のみで、以降会社本体の不祥事の影響を大きく受け

イメージチェンジを図って30000系の新たな流れに傾いていくことになる。


それでも、地下鉄への乗り入れという新たな発展期にもたらした影響は大なるものがあった。

初期の側面は同時期に新製された京王8000系と似つつも、新たなスタイルを創り上げた。

その堅実さが、30年経過しても1両も廃車を出さずに大事に使われている所以だ。


そんな堅実と変革を経て、今がある。

しかし、その移り変わりには必ず消えていくものがある。

ニューレッドアローも、まもなく登場30周年。

まだまだ変化は続いていきそうである。


今回は、上石神井で一度下車し見送り。

新2000系との並び。


そして、新2000系同士の並び。

方向幕車同士の並び。

当たり前のものが、いつかは消えていく。

何気ない時間が、兎にも角にも大事。

それが、生きている上では一番大事。

その一瞬を大事に、カメラを向けていく。


この新2000系各停で鷺ノ宮に向かい、西武新宿方で2639レとして折り返してきた6102Fを。


鷺ノ宮駅名物の大屋根の下をくぐり、また旅に出ていく。


そして、この日の締めは野方で。

中野まで出ていくという条件、かつ立ち寄るポイントの側を通るバス路線があるという条件から

野方で乗り換えることにしたので、別にこの撮影場所を主目的にしたわけではないw


そして、2641レでやってきた6101Fを一閃!


ここまで見送り、この日はモードを鉄道から芸術に切り替えた。

実に梅雨らしくない晴れ空の下、短いながらも充実の記録ができた。

ただ、まさか本当に梅雨明けするとは思わなかったがね。


まぁ、決してうまくいく日ばかりではない。

それは近いタイミングでまた実感することになるけど、それはまたいずれ。