京阪神を結ぶ看板列車「新快速」向けに旧国鉄が投入した117系。1980年代にはハイグレードな近郊形電車として注目の存在でした。86年には改良型の100番台も増備され、一段下降窓のスマートな外観で国鉄鋼製車の最後を飾りました。その後は新快速を外れて周辺地域に移りましたが、2005年から10年間は下関地区の山陽本線でも活躍しました。

 

 

新山口ー下関間で運行された117系100番台(左)と300番台=2011年

 

 

 

山陽本線の新山口ー下関間は、国鉄時代から九州の交直流近郊形電車が乗り入れていましたが、415系は2005年3月のダイヤ改正ですべて下関止まりとなりました。そこで同区間の車両不足を補うため 117系に白羽の矢が立ち、最終的に100番台12両と300番台8両が下関地区に回され、4両編成5本(C101〜105)の陣容となりました。

 

 

当初は貸出扱いだったため、私も「そのうち帰ってしまうだろう」と思い込んでいましたが、07年に正式に下関所属になりました。子どものころに本で見た、ちょっと気になる存在だった117系。新山口ー下関間を利用する際は「当たり」の存在でした。

 

 

下関総合車両所運用検修センターで休むC101編成=2011年

 

 

新下関駅付近を走るC102編成。左は訓練用の100系新幹線=2011年

 

 

小野田ー厚狭間を行くC103編成=2005年

 

 

185系に似た福知山色だった117系300番台のC104編成=2015年

 

 

下関の客留線でキハ47形と並ぶC105編成。比較的早い時期から濃黄色でした=2010年

 

 

 

下関地区で約10年ほど活躍した117系5編成は、2015年から順次他区所に去っていきました。それでも岡山電車区に移った100番台は幡生(下関総合車両所)で整備を行っていたので、試運転する姿を駅や沿線で見かけることがありました。

 

 

下関総合車両所で整備中のE-07編成(元C101編成)=2018年

 

 

試運転するE-07編成。濃黄色になっても117系は存在感がありました=2018年

 

 

 

今年、100番台のトップナンバー車で組成されるE-07編成(元C101編成)が運用を離脱し、このほど下関総合車両所で解体が始まりました。86年生まれで、国鉄形ばかりの下関地区からすれば「最新型」になりますが、36年間の活躍は役割を十分全うしたといえるでしょう。

 

 

西日本の田舎に住む私にとって下関に来た117系100番台と300番台は、本で見ていたかつてのスターが突然身近に現れたような車両でした。

 

 

 

 

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