転轍器

古き良き時代の鉄道情景

C5692 宮崎構内入換

 夜行列車で宮崎駅に降り立った時は夜明け前、向かいのホームから単機のC56が勢いよく飛び出して行った。妻線仕業に佐土原へ向かったものと思われる。明るくなって構内外れに来るともう1輛のC56が入換をしていて、この時宮崎機関区は2輛のC56が配置されていたものと思われる。 C5692〔宮〕 S47(1972)/1/5

 当時妻線は眼中になかったが、上記運用表の2往復のチップ輸送は訪問時の2カ月後、昭和47年3月に廃止されていた。まだ暗い宮崎機関区で撮影したキワ90は露出不足で、そんなことなら佐土原下車でC56を撮って明るくなってから宮崎入りすればよかった、と当時の無計画を後悔している。

 1/87の世界を見るようなC56によく似合うヨ+ホキ+セラ+セム+セラ+ワム+ワラ+ワムフのミニ編成。C56のキャブ屋根後方に取付られた幕は防寒のためだろうか。 宮崎 S47(1972)/1/5

 同じ年の夏もC5692〔宮〕が入換に働いていた。号車札「12」が入ったナハフ10を従えている。 宮崎 S47(1972)/8/10

 夏に来た時はキャブ後方の幕は巻き上げられていた。都城から来る“日南1号”につなぐ宮崎落し3輛を引出して準備を進めていた。都城から7輛で到着した編成後部にこの3輛を連結して日豊本線を北上する。 宮崎 S47(1972)/8/10

 都城発京都行“日南1号”は宮崎で10~12号車のナハ10とナハフ10をつなぎ、大分で1~3号車のオロネ10とスハネ16をつなぐ。宮崎13:16着13:34発、大分18:14着18:31発で、いずれも客車連結があるので停車時間が長い。連結作業は宮崎ではC56が、大分では8620が行っていたが撮影時はDE10に変わっていた。大分から堂々13輛編成で京都へ向かう。 大分 S47(1972)/10/8

 宮崎北側の引上げ線は2本あり、手前が機関区・客貨車区から、C56が停まる線は貨物ヤードからの入換に使われていた。 宮崎 S47(1972)/8/10