NO.2691 廃止からもう2年になります、施設の撤去も進んでいる、三井化学専用線の現状(前編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 福岡県大牟田市に存在しておりました、三井化学専用線が廃止されまして2年が経過しました。

 

 この三井化学専用線とは、JRとの授受を行っておりました仮屋川操車場から、旭町駅を経まして宮浦駅間約2キロを結ぶ専用線でありましたが、元々は三池鉄道として、現在デンカの工場があります付近に存在しておりました三池浜駅から宮浦駅・原万田駅・四ツ山駅などを経まして大回りで三池港駅を結ぶ路線の一部として存在しておりました。

 

 元々は、三池炭鉱が大牟田市、隣接します熊本県荒尾市を中心とした所に存在していた事から、石炭を三池港へ積み出すために存在していたものでありましたが、その三池炭鉱の閉山もありまして三池鉄道は平成9年に廃止となります。しかし、三井化学工場への専用線は引き続き残されておりまして、連日仮屋川操車場~旭町~宮浦間へ貨物列車は運行されておりました。

 

 しかし、令和2年に原材料の濃硝酸の製造元であります三菱ケミカルが、黒崎工場での製造を終了する事に伴いまして、これに伴いまして、三井化学専用線も廃止される事にもなりました。そのため、以下画像の北九州貨物ターミナル駅~大牟田駅間を運行しておりました「大牟田貨物」も廃止となりまして、三菱ケミカルからの「銀タンコ」、液体塩素を製造しております旭化成ケミカルがあります宮崎県延岡市の南延岡駅からの「黄タンコ」が来る事もなくなっております(現在はトラック輸送に切り替えているそうです)。

 

 

 (「黄タンコ」連結時)

 

 

 さて、今回と次回2回に分けましてご紹介しますのは、廃線となりました三井化学専用線の現状を、6月に現地に出向きまして収めてまいりましたので、皆様にご紹介してまいります。

 

 

  この三井化学専用線には、上の画像の昭和12年製の18・19号機電気機関車や、製造から100年を超えます大正4年製の9号機電気機関車、大正6年製の11号機・12号機電気機関車が存在しておりまして、かつて三池鉄道時代は電気機関車が客車を牽引して旅客も運んでいた事もあった事から「炭鉱電車」とも呼ばれておりますが、仮屋川操車場~宮浦間は18号機・19号機、工場構内は9号機・11号機・12号機の各電気機関車が使用されておりましたが、次回ご紹介しますが現在も健在な姿が見られておりまして、廃止された今でも宮浦駅構内で保寸運転が行われております。

 

 これら電気機関車も、廃止後にありました「令和2年7月豪雨」におきまして、車両が水没する被害も受けておりましたが、関係者の努力もありまして全車修復に至る事ができておりまして、5両とも廃車される事もなく健在な姿が見られている事は嬉しい限りでもあります。

 

 

 それでも、令和3年より専用線の撤去が行われておりまして、線路が存在しているのもその宮浦駅構内のみとなっております。ここからは過去の画像・現在の画像と紹介してまいります。

 

 

 まずは、JRとの授受が行われておりました仮屋川操車場であります。かつては以下画像のように海上コンテナも含めました長い編成の貨物列車もこの操車場構内で見る事ができておりました。ここには、4本が存在しておりましたが、需要減もありまして、この10数年は3本が使用されるのみでありました。

 

 (平成23年撮影)

イメージ 15

 

 こちらは、平成24年撮影画像です。この頃は「コキ200系問題」があっていた頃でありまして、そう言った事から1両にコンテナ1個が積載されていた事さえもありました。この姿を見ましても、上の画像と比べましても寂しいなと実感する所ではありましたでしょうか。

 

 そして、こちらが今回訪問時撮影画像です。4本ありました構内の線路は全て撤去されておりますし、架線も柱ごと撤去されておりますので、正直寂しい姿が見られておりました。今後この跡地はどうなるのかはわかりませんが、いずれは三井グループの手で宅地化される事にもなるのでしょうか?

 

 

 場所は変わりまして、以下画像は旭町駅跡であります。この旭町駅では先述のJRとの授受を行います仮屋川操車場との操作も行っていた場所でもありましたが、現在は跡形もなく更地となっておりました。

 

 旭町駅稼働時の姿です。実際に窓が開いている事がわかりますが、運行時にはこの駅舎におきまして係員が常駐しておりまして、通過する姿を監視する姿を見る事ができておりました。

 

 この旭町駅では列車は通過します。通過の際には以下画像のように手旗で操作を行う姿も見られておりました。確かに、この駅付近には信号機もあり

ませんので、手旗が大事であったこともわかる姿でもありましたでしょうか。

 

 

 この旧旭町駅付近では、そばに駐車場もある事もありまして、宮浦駅~仮屋川操車場間の18号機・19号機いずれかの電気機関車が牽引する姿も見られておりました。しかし、こちらに関しましても線路が撤去されている事もありまして、もうここまで来る事すらできなくなってしまっております。

 

 こちらが、過去撮影の運行シーンであります。宮浦駅から来る際には、必ず汽笛を鳴らして来ておりましたが、それとともに「タンコ」の姿も見られていたものでありました。これでこの日の大牟田駅からの1152レが何両になるのかなともいつも思っていたのが懐かしい所でもあります。

 

 (平成23年撮影)

イメージ 11

 

 (令和元年撮影)

 

 また、大牟田駅からのJRの車両の姿もみられておりまして、以下画像は令和元年に撮影しました、HD300形ハイブリッド機関車を先頭にしました編成であります。末期にはこういった機関車も運行されておりましたので、まさに新旧の姿も見られていた事もわかる所でもありましたでしょうか。

 

 

 また、この旭町駅~仮屋川操車場間では、かつてからJR鹿児島線・西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線とも並行になっていた事もありましてデットヒートな姿が見られておりました。もちろん、結果は「タンコ」編成の方が負ける結果となっておりましたが、そう言った並走が見られていたのも良かったのではないかとも思う所ではありました。

 

 (JR九州817系電車)~八代行き区間快速列車

 

 (西鉄3000形電車)~大牟田行き特急列車

 

 こちらが、過去撮影の並走シーンです。以下画像は令和元年撮影画像ですが、以下画像にもありますように815系電車+817系電車の編成(撮影時、本来は817系電車4両ですが、熊本車両センター運用分がこの日は815系電車が代走していました)に抜かれるシーンも収める事ができておりまして、昭和12年製の19号電気機関車に平成10年代の電車との並びでしたのでまさに60年以上差がある新旧の並びが見られていた時でもありました。

 

 こちらは平成25年撮影の並走シーンです。左側に見えておりますのが、西鉄6050形電車7両編成によります特急列車でありましたが、ゆっくり走っている中で特急列車が追いつき・抜いて行くと言うシーンでありました。尚、西鉄電車は近くの新栄町駅に停車しますが、減速してきているにもかかわらず抜かれて行く訳ですので、どれだけゆっくり走っていたかがわかる姿でもありましたでしょうか。
イメージ 16

 

 

 そして、最後にご紹介しますのが旭町1号踏切跡であります。この時旧旭町方では地ならしが行われておりまして、ショベルカーが入っている姿が見られていた事がわかります。

 

 この旭町1号踏切は、国道208号線とクロスしていた踏切でありまして、実際に運行シーンを訪問するたびに収めていた場所でもありまして、ご紹介しておりますように、19号電気機関車、及び18号電気機関車先頭の「タンコ」編成がこの踏切を通過してもいました。

 

 また、ここには踏切小屋も設けられておりまして、画像のショベルカーがいる所に設けられておりまして、運行時には係員が踏切の操作も行っていたほどでもありました。

 

 こちらが、国道208号線側の踏切があった部分です。現在、線路がこちらも撤去されておりますが、よく見ますと新たに設けられましたきれいな縁石が線路撤去後に設けられておりましたので、ここに線路があった事を伺わせている事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 また、この奥に線路が存在しておりました。詳しくは後述の画像をご覧いただきますとわかりますが線路そばの建物とはそう離れていない所に存在していた事もお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 

 ここからは、過去撮影画像の旭町1号踏切の姿をご紹介してまいります。

 

 (令和元年撮影)

 

 先述のように、この踏切には交通量も多い国道208号線が通っておりまして、画像のように片側3車線の道路の所を横切っていた事がわかります。尚、この踏切は一旦停止をしなくてもいい形となっておりましたが、右側の大牟田駅方面はその先に信号機がありますので、信号がで踏切の手前まで車が止まらないといけない場合にはその手前にあります停止線で止まるようになっておりました。

 

 (令和元年撮影)

 

 この踏切の遮断機は、吊るすタイプとなっておりました。こういったタイプは、大きな道路がある所で特に見られるタイプではありますが、この踏切でも実際に見る事ができておりました。

 

 (令和2年撮影)~旭町・仮屋川方

 

 (令和2年撮影)~宮浦方

 

 このタイプの踏切を操作する操作場が、以下の所に設けられておりまして、列車が来ますと職員の手で踏切の遮断機を降ろすようにもなっておりました。それにしても、無人でもいいのでは?とも思う所ではありますが、やはり大きな道路が通っているとなりますとこう言った形となっていたのもわからなくもないのではなかったでしょうか。

 

 (令和元年撮影)

 

 

 以下画像が、令和2年に撮影しておりましたこの踏切の稼働シーンであります。警報機が鳴りだしますと遮断機も職員の操作で降ろされておりまして、その下の画像からもわかりますように、18号もしくは19号電気機関車の単機もしくは「タンコ」の編成が国道208号線を横切る姿が連日見られておりました。

 

  (遮断機が降ろされました)

 

 (19号電気機関車単機が通過)

 

 (19号電気機関車を先頭にした編成が踏切を通過)

 

 

 今回は、廃止されまして撤去が進んでおります三井化学専用線の現状の前編をご紹介しましたが、昭和10年代に製造されました電気機関車が運行されている姿はいつ見ても圧巻さを感じていたのが正直懐かしい所ではあります。しかし、廃止となった今を思いますと、このような稼働シーンが見られなくなった事はやはり残念でならない所ではありますし、線路や施設が撤去された姿を見ますとより残念に思う所でもありましょうか。次回後編では、やはり線路撤去などの動きも見られております宮浦駅の現状をご紹介する予定でありますので、次回後編もご覧になっていただきたいと思います。