駅そのものから少し離れていますが、ここは横須賀線の逗子駅構内になります。

今もそうですが、運が良ければ金沢八景の東急車輌(現、総合車両製作所横浜事業所)でロールアウトされた車両の試運転なり、甲種輸送なりと遭遇することが出来ます。昭和国鉄の時代、国鉄の直流、交直両用電車なら東海道本線で試運転を行ってから、配属先に送られるのが常で、また、よほどのことがない限り、自力回送でした。だから、仙台地区の417系や関西地区の117系、そして四国の121系なんかも首都圏で拝められました。

画像も東急車輌でロールアウトされた車両で、説明するまでもなく103系。虫眼鏡で見ないと判別できないのですが、先頭の車両はクハ103-813。おそらく昭和55年8月5日だと思われます。

昭和54年度第二次債務で発注した94両のうちの8両で、名目は「老朽101系取り換え用」です。これが63両と今発注のメインで、他に「横浜線輸送力増強」名目で7両、「武蔵野線通勤輸送力増強」名目で6両、「阪和線輸送力増強」名目で18両が盛り込まれています。このうち、東急車輌に割り当てられたのが23両でいずれも首都圏向けの車両です。

 

↑東京

クハ103-813

モハ103-749

モハ102-2006

モハ103-750

モハ102-2007

モハ103-751

モハ102-2008

クハ103-820

↓横浜

 

という編成になります。

前回(昭和53年度第三次債務)の発注でモハ102がNo.899まで達し、900番台は試作車両、1000番台は地下鉄乗り入れ用の番号に割り振られていますので、一気に番号が飛んで2000番台(注:いずれもこの場合は “番台” ね)となりましたが、仕様については0番代のままになります。

その試運転編成の真ん中に「きいろいでんしゃ」が組み込まれているのを確認できるかと思いますが、この車両も新製車両かといえばさにあらず、で、おそらくではありますが、この試運転編成の控え車として組み込まれているものと想像します。

 

 

拡大するとこんな感じ。

サハ103なんですけど、オリジナルのサハ103ではなくて、101系から改造された750番代(注:この場合は “番代” ね)になります。

 

事の発端は昭和48年の武蔵野線開業。当初、貨物線として建設が進められていた武蔵野線ですが、旅客化されることになり、その車両が必要となりました。中央線快速用の101系を改造の上、投入することが方針として決められていましたが、捻出する目的で冷房付き103系を新製。これが103系における量産冷房車の嚆矢になります。他方面でも103系の投入は続けられていたため、新製両数の抑制を目的としてサハ103を101系から改造することにして対応することにしました。それが750番代になります。

全車、サハ101が種車で、サハ100からの改造車はありません。

ジャンパ栓の交換と非冷房の場合は冷房の取り付け、三相交流の取り付け、行く先表示器の取り付けが主な改造項目になりますが、確か、750番代の初期グループは冷房改造車が種車だった記憶があります。側面に行く先表示器が取り付けてあるグループは、一見すると、サハ103と間違えやすいのですが、101系と103系とでは台枠の形状が異なり、編成を組むと台枠下部に段差が生じます。画像をご覧頂いてもその差異は判ると思います。

 

 

30両が改造されたサハ103 750番代ですが、意外にバリエーションは豊富。

初期の17両はどうも非冷房のサハ101を種車にしたようで、サハ103改造時に冷房化されたようです。

768~770は最初から冷房改造された車を種車にしました。でも、行く先表示器は未装備で出場しています。

771と772のみ、MGとCPを装備した200番代を種車にしました。サハ103改造時にMGとCPは取っ払っており、行く先表示器も未装備です。

773~776は冷房未改造で出場しました。

777~778は最終グループで、改造内容は768~770に準じていますが、行く先表示器は取り付けられました。

改造時は投入線区らしく、オレンジが目立っていますが、759と760は京浜東北線に配備されたため、スカイブルーで出場した唯一の例。その後の転配でカラーバリエーションも増えましたが、松戸に転じた774は特異な存在で、宮原の765、777、780は福知山線のラインカラー変更後に転配されたと判断しています。うぐいす色だけは存在しなかったみたいですね。

 

101系が種車でありますが、全車JRに継承されて、最後まで残ったサハ103-765が平成14年に廃車されて750番代は区分番代消滅しています。

 

画像をよく見ると、「サハ103-770」と読めます。

冷房改造車をサハ103化したグループで、行く先表示器は取り付けられていませんが、その後の調査で編成を組んだ新製車グループの落成日ととサハ103-770の出場日が一緒(昭和55年8月5日)だということが判ったので、控え車というよりも、編成を組んで試運転している絵面と考えられます。表にもあるように770は改造後は豊田電車区に配備されていて、中原への転属は昭和57年10月とあります。でも、この画像を見る限り、770は既にカナリア色になっています。おかしいじゃねぇか。でもね、所属区所表記は「西ナハ」ではなくて「西トタ」なんですよ。南武線ではなくて総武線で使うつもりだったのか? 何故オレンジではなくてカナリア色にしたのか? 謎は深まるばかり。ただ、770の種車になったサハ101-126は、豊田に転配される前は中原にいたので、その絡みがあるかもしれませんね。しかも、サハ101-126の新製配置が品川電車区で、その後池袋→中原という転配記録がありますが、ずっとカナリア色を守り通した曰く付きの車両。101系時代に豊田に転配されて、その2ヶ月後に103系化されるわけですが、2年後に古巣の中原に戻ってそこが終の棲家になります。もしかすると、それを見込んでのカナリア色堅持だったのかもしれませんね。総武線の101系でそういう例があるかもしれませんが、サハ103-770は新製から廃車までカナリア色を貫いた稀有な例だと言えます。

 

模型でサハ103の初期型冷房改造車を750番代にしようって思っても、前述のように101系と103系よでは車体の高さが異なるので、それはリアルじゃありません。

 

 

【画像提供】

テ様

【参考文献・引用】

鉄道ファンNo.541 (交友社 刊)

鉄道ピクトリアルNo.745

同別冊「国鉄形車両の記録 101系通勤形電車」

(いずれも電気車研究会社 刊)

キャンブックス「103系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)