黒部渓谷鉄道の762mゲージの

電気機関車が牽引するトロッコ

観光列車と上部軌道「黒部ルートの紹介!

 

黒部峡谷鉄道株式会社は、もともとは日本電力、日本発送電による黒部川電源開発のための資材運搬用鉄道でした、日本国内では数少ない軌間762mmの特殊狭軌(ナローゲージ)での鉄道路線です。

黒部渓谷鉄道の762mゲージで重連の電気機関車が牽引するトロッコ観光列車。

電気機関車によるトロッコ列車(オフィシャルな愛称は「トロッコ電車」)を運行している。黒部渓谷沿いに走るトロッコ列車から見える、夏でも残る残雪を眺めながら、涼しい!特殊狭軌鉄道の旅!

黒部峡谷鉄道株式会社は、黒部川電源開発のための資材運搬用鉄道であり、かつては便宜的に旅客を扱っていた(当時の切符には生命の保障はしない旨の注意書きがあった)。日本国内では数少ない軌間762mmの特殊狭軌(ナローゲージ)での鉄道路線で、電気機関車によるトロッコ列車(オフィシャルな愛称は「トロッコ電車」)を運行している。しかし、電車ではなく電気機関車牽引による列車で運行しています。私も高校生時代には命の保障の無い乗車券で黒四ダムと黒部川第四発電所の建設現場の見学に行きました。

 

「黒部ルート」2024年に一般開放へ 関電の物資輸送路が観光ルートに

「上部軌道」黒部ルート

関西電力黒部専用鉄道は、富山県黒部川水系にある関西電力(関電)の水力発電施設を管理するため、黒部峡谷鉄道本線から分岐する関西電力の専用鉄道。このうち、黒部峡谷鉄道欅平駅から黒部川第四発電所前まで6.5 kmにわたって伸びる路線は「上部軌道」と呼ばれ、黒部ルートの一部となっている。上部軌道に対し、黒部峡谷鉄道本線を「下部軌道」と呼ぶことがある。

 

上部軌道の工事歴史

黒部川第三発電所関連施設(仙人谷ダム)建設に伴い、工事用資材を運搬するために建設された。1941年昭和16年)9月に欅平から仙人谷まで開通。1963年(昭和38年)8月、黒部川第四発電所関連施設建設のために、仙人谷から黒四発電所前まで延伸された。

仙人台までの建設工事では、仙人谷 - 阿曽原の第一工区、阿曽原 - 志合谷の第二工区、志合谷 - 欅平の第三工区に分けられ、第二・第三工区では比較的順調に工事が進捗したが、第一工区では本坑工事を開始した1937年(昭和12年)頃から、掘り進めるにつれて岩盤温度が上昇し始めた。当初は摂氏65℃程度であったが翌年の7月に100℃を越え、最終的には166℃に達した。坑内の気温が上昇する中、作業員の体に黒部川の冷水をホースでかけたり、坑内を冷却する散水装置を設置するなどして作業を続けたが、熱中症で次々と作業員が倒れた。

1938年(昭和13年)8月23日には、切端でダイナマイトの装填作業が行われていた最中に、地熱でダイナマイトが自然発火する暴発事故が2箇所同時に発生し、装填作業を行っていた作業員のうち8名が死亡、6名が重傷を負った。事故が発生した当時の岩盤温度は摂氏120度に達していて、事態を重く見た富山県警察部から工事中止命令が出されるも、電源開発が国策であることと、日本電力が社運を賭けていたために工事は続行された。岩盤からの熱伝導を防ぐためにダイナマイトにはエボナイトやボール紙、割り竹などを被せて対策が施されたが、暴発事故はその後も相次ぎ、多くの人命が失われた。

黒部峡谷は日本でも有数の雪崩発生地帯であり、越冬作業は不可能と言われてきたが、当時の情勢は冬季の作業休止を許さず、阿曽原谷や志合谷などに作業員が宿泊する飯場が設置された。これらの宿泊施設には当時最新の雪崩防止対策が施されていた。しかし、1938年12月27日午前3時30分頃、志合谷で大規模な泡雪崩が発生し、直撃を受けた飯場(1・2階鉄筋コンクリート、3・4階木造)の木造部分が峡谷の対岸まで600メートル余り吹き飛ばされ、84名の死者(うち、47名は遺体を収容できなかった)を出した。なお、吹き飛ばされた部分が発見されたのは事故から2か月以上経ってからであった。隧道が貫通した後の1940年(昭和15年)1月9日にも阿曽原谷で泡雪崩が宿舎を直撃し、直後に発生した火災などによって死者26名、重軽傷者37名を出した。また水平歩道では資材運搬を行う歩荷の転落事故が日常的に発生している状態であった。

 

超高温区間は「高熱隧道」と呼ばれ、現在では冷却用の導水管などの敷設により温度は下がっているが、それでも平均40℃と相当の高熱であり、さらに十数年に1回程度は異常高温で導水管が機能不全となって運行中止になる場合もある。「高熱隧道」の近辺の隧道には硫黄が付着し、特に高温の区間では壁面がコンクリートで補強されている。この区間を建設するための過酷な工事を紹介したものとして、吉村昭の小説『高熱隧道』がある。

黒部ルート(上部軌道)の動画

 

車両運行

蓄電池式の機関車牽引により、小型の客車や無蓋車を運行する。蓄電池式になっているのは、ディーゼル機関車だと途中の高熱隧道にて燃料に引火する危険性があるためである。また、硫黄が送電線を腐食させてしまうので電化も行われておらず、人が乗車するトロッコも万が一のことを考えて耐熱(遮熱)仕様となっている。

冬季運休となる黒部峡谷鉄道と異なり、ほぼ全線トンネルのため通年運行が可能で、1日数本の定期便がある。仙人谷で地上に出て黒部川を鉄橋で渡る。この鉄橋は、周辺に仙人谷ダムや関電の宿舎があり、後述する見学会でも見学者が乗降する場所となっていることから、遮蔽構造(鉄製シールド構造)で駅に準じた構造となっており、冬季でも停車・通過できる。

運転管理者は、関西電力子会社の黒部峡谷鉄道である。黒部峡谷鉄道本線とは欅平駅でつながっているが、高低差が大きいため、欅平駅構内にトロッコの車両ごと乗せることができる高低差約200 mの竪坑エレベーターがある。このエレベーターは1939年に竣工したもので、最大積載量4,500 kgの巻き上げ能力を有しており、上部軌道とは正確には竪坑エレベーターの上の通称「欅平上部駅(竪坑上部駅)」と「黒部川第四発電所前駅」の間を指す。竪坑エレベーター下の通称「欅平下部駅(竪坑下部駅・欅平駅の構内扱い)」と欅平駅の間は黒部峡谷鉄道の車両がそのまま乗り入れている。「欅平下部駅」は欅平を出てすぐにトンネルに入った車両が500 mほど進んでスイッチバックしたすぐの位置にある。区間内に蜆谷、志合谷、折尾谷、阿曽原、仙人谷の各停車場がある。

知られざるルート

黒部観光といえば、立山黒部アルペンルートが有名です。ロープウェイ、ケーブルカー、トロリーバスなどを乗り継いで、富山県の立山から黒部ダムを経て、長野県の信濃大町に至るルートです。北アルプスを横断する、世界的にみても大規模な山岳観光コースとして知られてきました。

しかし、実は黒部ダムに至る道筋は、もう一つあります。宇奈月から欅平を経て黒部ダムへ至る「黒部ルート」です。

宇奈月~欅平間のうち、現時点で一般開放されているのは、宇奈月温泉から欅平まで。この区間は、黒部観光鉄道で乗車できます。

その先、欅平駅から黒部峡谷鉄道の工事用線(下部軌道)、竪坑エレベーター、関西電力黒部専用鉄道(上部軌道・地下トロッコ列車)、インクライン(ケーブルカー)、専用地下道バスを乗り継いで、黒部ダムまで、18kmに及ぶ地下ルートがあります。これが「黒部ルート」です。

黒部ルートの乗り物たち

黒部ルートの乗り物たちをご紹介しましょう。

黒部峡谷鉄道の工事線(下部軌道)。

欅平上部駅の竪坑エレベーター↓↓

欅平下部駅の竪坑エレベーター↓↓

関西電力黒部専用鉄道(上部軌道)。↓↓バッテリー機関車

仙人谷駅↓↓

インクライン。↓↓

インクライン軌道↓↓

黒部川第四発電所前駅↓↓

途中には、有名な↓↓黒部川第四発電所もあります。この発電所は後立山の唐松岳から蓮華岳に繋がる山岳部の地下をくり貫いて建設した発電所で表面からは見えない。

黒四ダム・発電所連絡の専用地下道バス。↓↓

終点、黒部ダム。↓↓

いろんな乗り物に乗り込んで、地底深く突き進み、発電所を経て、最後は黒部ダムに到着するというダイナミックな道のりなのですが、このルートは一般非公開。発電施設を管理する関西電力の物資輸送専用ルートとして利用されているだけですが、一般に公募見学が開始。

1996年から公募見学会

かつては完全非公開でしたが、1996年に関西電力が公募見学会を定期的に開催するようになっています。背景として、ダムの排砂が社会問題となり、地元への見返りの意味もあったようです。

それ以来、関西電力では、「黒部ルート見学会」として、平日のみ1日60人、年間34日間で2,040人を受け入れています。参加は抽選で決められ、2018年の応募倍率は1.8~9.5倍。平均すると4倍程度だそうです。筆者も2014年の公募抽選に当たり、「黒部ルート見学会」参加しました。

地元では見学会の参加者受け入れ拡大を長年求めてきましたが、関電では、保安上の問題などを挙げて、後ろ向きでした。しかし

ほぼトンネルの物資輸送ルートを一般開放

 富山県と関西電力は2018年10月17日(水)、「黒部ルートの一般開放・旅行商品化に関する協定」を同日に締結したと発表しました。

欅平上部駅に停車中の列車↑↑

 黒部ルートは、トロッコ列車で知られる黒部峡谷鉄道の終点、欅平(けやきだいら)駅と黒部ダムを結ぶ関西電力の物資輸送ルートです。長さは約18kmで、トロッコ列車やエレベーター、インクライン(貨物用のケーブルカー)、バスを乗り継ぎます。大半の区間はトンネル内です。

 これまで関西電力は、年間2000人ほどを対象に一般向けの見学会を開催してきましたが、富山県は新たな観光ルート化をねらい開放を求めてきました。

 今回締結された協定では、富山県は旅行商品の企画・運営を担い、関西電力は安全対策工事を行います。工事はおおむね5年をめどに実施。一般開放はその後の、2024年度になる見通しです。

 

 

Wikipedia : 資料参考

 

by   GIG@NET

 

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