NO.2690 引退から早くも1年になります、キハ66・67系気動車、最後の1か月間の「回顧録」 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 長崎地区(大村線、長崎線諫早~長崎間、佐世保線早岐~佐世保間)で平成13年より運行されておりましたキハ66・67系気動車が令和3年6月30日に引退しましてから、去る6月30日で1年を迎えました。

 

 キハ66・67系気動車は、元々は筑豊地区で活躍していた気動車でありまして、昭和50年に15ユニット30両が製造されまして、普通・快速列車を中心に運行する事を目的として旧直方気動車区(現・直方車両センター)に全車導入されておりました。

 

 直方時代の運行区間は、筑豊線全線(若松~直方~原田間)の他、篠栗線全線(博多・吉塚~桂川間)や日田彦山線全線(小倉・城野~田川後藤寺~添田~夜明・日田間)などでも運行されておりまして、特に日田彦山線の現在は「BRT」化に向けた工事が進行しております彦山~筑前岩屋~大行司間の釈迦岳越え区間では高出力である事もありまして本領を発揮してもいまして、この区間では快速「日田」や「はんだ」などと言った列車に使用されていたほどでした。

 

 しかし、平成13年に筑豊線の一部が「福北ゆたか線」として電化された事に伴いまして、当時運行されておりましたキハ58系気動車を置き換えるために全車旧長崎運輸センター(→後に長崎車両センターに改称)に転属、前年に「ミレニアム塗装」として「国鉄急行色」に塗り変えられておりました1番ユニットを除きまして14ユニットが青の「SSL塗装」に塗り替えられておりまして、白地に青ラインの近郊色から「シーサイドライナー」としての姿を見せるに至っておりました。

 

 改造は、エンジン換装がJR化後に機関変更がなされましておりまして、440馬力から420馬力に落ちる事になりましたが、それでも前エンジンで騒音や燃費の悪さが問題視されていた事が解決しておりまして低燃費・低騒音と言った形になりましたし、平成23年には推進軸落下により離脱していた10番ユニットのキハ66 10が台車交換した事でキハ66 110に改番しましたし、相方のキハ67 10も後に台車交換を行いましてキハ67 110に改番しております(画像1)。

 

 

 以来、14ユニット揃って長崎地区で運行されておりましたが、平成27年に4番ユニットが廃車、令和2年3月にはYC1系気動車の導入に伴い9・13~15番ユニットが廃車、8月にはさらにYC1系気動車の増備がありまして5・11番ユニットが廃車、12月もさらにYC1系気動車の増備があったため3・7・12番ユニットが離脱しましたが、翌令和3年のキハ200系気動車の転属に伴いまして車両不足となった事で先述の3ユニットが運用復帰しまして、6月末までの時点では以下の8ユニットが運行されておりました。

 

 (1番ユニット)~国鉄急行色

 

 (2番ユニット)~SSL塗装

 

 (3番ユニット)~SSL塗装

 

 (6番ユニット)~SSL塗装

 

 (7番ユニット)~SSL塗装、一時離脱時

 

 (8番ユニット)~SSL塗装

 

 (110(10)番ユニット)~国鉄急行色

 

 (12番ユニット)~ハウステンボス塗装

 

 

 しかし、相次ぐYC1系気動車の導入に伴いまして、ついに令和3年6月30日で全車運用を離脱、離脱しました8ユニットは現在は熊本県内で疎開留置しておりまして、6番ユニット・8番ユニットが八代市の八代駅構内に、

 

 他の6ユニットも熊本市の川尻信号場に疎開留置されておりまして、現在も解体される事もなくこれら場所に留置されております。しかし、離脱から1年になりますので、もう動く事はないとも思われまして、今後小倉総合車両センターへ「呼び出し」がこれら8ユニットにかかる事になるのではないかと思われます。

 

 (前から3番・110番・1番各ユニット)

 

 (前から2番・12番・7番各ユニット)

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、最後の1か月間でありました令和3年6月に、実際に各地で撮影を行っておりました。今回はその撮影の回顧録として皆様にご紹介してまいります。

 

 

 まずご紹介しますのは、6月8日に撮影を行っておりました模様からご紹介します。この日は南風崎駅・小串郷駅・川棚駅・松原駅・竹松駅で撮影を行っておりましたし、川棚~小串郷間では乗車も行っておりました。

 

 (南風崎駅)

 

 

 まずは、南風崎駅で撮影しておりました8番ユニットと2番ユニットであります。大村線では、平成30年改正より長崎~竹松間快速、竹松~佐世保間各駅停車の区間快速として運行されておりまして、特に日中にこう言った系統が設定されております。そのため、行き合う列車は区間快速同士と言う姿も見られておりました。

 

 (佐世保行き、8番ユニット)

 

 (長崎行き、2番ユニット)

 

 また大村線の早岐~竹松間では、上り3226D~4234Dまで、下り4227D~4234Dのそれぞれ5本連続がキハ66・67系気動車の運行する時間帯となっておりました。したがって、行き違いを行います駅ではキハ66・67系気動車同士の交換も見られておりました。

 

 

 こちらは、小串郷駅から川棚駅間で乗車しておりました6番ユニットであります。この6番ユニットでは、画像のようにシートモケットが交換されておりまして、紫色のモケットとなっておりましたが、後述のようにオリジナルのシートも残されておりまして、座席にもいろいろな違いが見られていた事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (シート)~紫地のシートでした

 

 

 場所は変わりまして、松原駅で撮影の模様であります。この駅では行き合いを行う場合もありまして、出向きました時にはYC1系気動車運行の佐世保行き列車との行き合いが見られておりまして、まさに「新旧の姿」を収める事ができておりました。

 

 またこの時には110番ユニットと12番ユニットといわゆる「SSL塗装ではない車」を収めてもいましたが、改めて見ましても複数の塗装が存在していた事がお分かりいただけるのではないかとも思います。

 

 (110番ユニット)~国鉄急行色

 

 (12番ユニット)~ハウステンボス塗装

 

 それにしても、先述のように「新旧の姿」を収める事ができておりましたが、こうして見ましても、スタイル自体も違う事が伺えるのではないかと思います。やはり、この6月でキハ66・67系気動車が引退でもありましたので、世代交代も進んでいた事がわかるような姿でもなかったでしょうか。

 

 

 こちらはさらに南下しまして竹松駅付近の小路口踏切で収めました1番ユニットであります。この撮影時は以下画像背面に見えている事からわかりますように、西九州新幹線の高架橋が見えますが、まだこの時点では工事が行われていた頃でした。現在は施設も完成しまして試運転も開始されておりますが、正直開業で引退もしくは上下分離区間転用)となってくれればよかっただけに、正直残念ではなかったかと思います。

 

 (竹松駅発車直後)

 

 

 ここからは、引退10日前の令和3年6月20日に唐津線・筑肥線で運行されておりました団体臨時列車の模様をご紹介します。この時使用されておりましたのが画像の2番ユニットでありまして、その下の画像にもありますようにシートもオリジナルのシートのままで全うしましたユニットでもあります。

 

 (肥前長野駅にて)

 

 (シート)~オリジナルシート、別の時撮影

 

 この運行は、「シーサイドライナー色キハ66・67形で行く!筑肥線・唐津線のたび」として運行されたものでありまして、当初は、博多駅発博多駅着として運行される事になっておりまして、キハ66・67系気動車は福吉→唐津→伊万里→山本→佐賀→鳥栖→博多間で運行される予定でありましたが、福岡県内が「新型コロナウイルス」による緊急事態宣言が延長されていた事から佐賀県内に区間を短縮しまして運行されておりまして、唐津→伊万里→山本→佐賀→鳥栖間に短縮されまして、去る6月19日・20日の2日間にわたりまして運行されていたものでありました。

 

 (駒鳴~大川野間)

 

 (駒鳴駅にて)

 

 私自身も、先述のように2日目の6月20日に撮影に出向きまして、肥前長野・駒鳴・山本・厳木各駅で撮影を行っておりましたが、撮影日が日曜日であった事や、引退まで10日に迫っていた事、さらに唐津線・筑肥線に入るのもこれが最後であった事もありまして、多くの方撮影にが来られておりました。

 

 (山本駅にて)~伊万里駅からの列車を折り返します

 

 こちらは厳木駅で撮影していたものでしたが、この日の追っかけもこれで最後になりました。これまでもこのキハ66・67系気動車が唐津線・筑肥線に入線する例はありましたが、そのほとんどが110(10)番ユニットであっただけに、このような「SSL塗装」のは最初で最後であったと言うのは残念ではなかったでしょうか。

 

 

 さらに、引退直前の6月28日未明に収めておりました、キハ66・67系気動車による最後の団体臨時列車となりました、リバイバル「ながさき」の模様であります。

 

 このリバイバル「ながさき」は、かつて昭和59年まで運行されておりました夜行普通列車「ながさき」のリバイバル運行として運行されていたものでありまして、往路は筑豊線経由で長崎→門司港間を、そして復路で「ながさき」と同じ区間でもあります門司港→博多→佐賀→肥前山口→早岐→諫早→長与→長崎間で運行されておりまして、2番ユニット・3番ユニットが使用されていたものでありました。

 

 この時は、未明ながら鍋島・肥前山口・有田・早岐・南風崎各駅で収めておりましたが、肥前山口駅・有田駅・早岐駅では駅内の立ち入りができず、駅外で撮影しましたが、上の画像・以下画像のように停車中の姿を収める事ができておりまして、キハ66 3には「ありがとう キハ66・67」と書かれましたヘッドマークが掲示、行先も「ながさき」の運行区間でありました長与経由で運行されておりました。

 

 (「長崎 長与経由」の行先)

 

 そう言った事もありまして、無人駅であります鍋島駅・南風崎駅で動画で撮影を行っておりましたが、未明であった事からもわかりますように、夜行列車としての姿を見る事・収める事ができておりました。特に鍋島駅は「ながさき」時代は郵便・荷物車も連結されていたため荷物の積み下ろしも行っておりましたが、残念ながら通過となりましてもこうした魅力的な列車の再現が見られるだけでも正直嬉しい所でもありました。

 

 (鍋島駅通過時)

 

 (南風崎駅通過時)

 

 

 そして、6月30日の最終日となります。6月30日は、最後の3本で以下のような編成で運行されておりまして、このうち、「国鉄急行色」の1番ユニット+110番ユニットで運行されておりました佐世保→長崎間の253Dでは、両先頭車の行先表示に「ありがとう」と表示されておりました。

 

 (ユニットは左記が佐世保方を表します)

 3242D→253D 1番ユニット+110番ユニット

 246D→6924D 8番ユニット+6番ユニット

 3244D→6922D 7番ユニット+12番ユニット

 

 残念ながら、「国鉄急行色」の2ユニットは収められませんでしたが、早岐駅では8番ユニット+6番ユニットの246D→6924Dを収める事ができておりまして、以下画像が246Dの早岐駅発車シーンでありましたが、以下画像の姿が最後の佐世保行きとしての姿でもありました。

 

 

 こちらが、折り返し6924Dの早岐駅到着時の姿です。この時には多くの方々が乗車されておりましたし、私のように撮影のみの方もいらっしゃいましたが、画像のようにホームには多くの方々が収めておりまして、それだけ惜しい事も伺わせる所ではなかったかと思います。

 

 それにしても、この撮影時には1人が撮影されましたら必ず次の方へと譲ると言う姿が見られておりまして、本当にマナーがいい事を実感する姿が見られておりました。地域によりましてはマナーが悪いとも言われております「撮り鉄」の方々ではありますが、そう言った形でみんな撮影するに至っておりますので、本当に気持ちいい所ではなかったかと思っております。

 

 けれども、私は反対側に移りまして、佐世保車両センターへの回送シーンを収める事ができておりました。この姿を見ましても、もう最後と言う意識は感じさせられませんし、4両編成で運行されていたと言うのが普段の姿と違う分堂々としている印象でもありましょうか。

 

 

 こうして、両ユニットは佐世保車両センターへ回送されましたが、長い汽笛がもう最後である事を伺わせてなりませんでした。本当に普通の汽笛とこのキハ66・67系気動車は違っておりましたので、そう言った音も聞こえなくなるのが残念であったのが印象的ではなかったかと思います。

 

 

 先に6922Dとして佐世保車両センターに入って来ておりました、7番ユニット・12番ユニットであります。この時は佐世保車両センターでの作業を終えまして早岐駅側の留置線に入ってきた姿を収めておりましたが、入ってしばらくしまして照明が消されておりまして、運行終了へと至っておりました。

 

 (照明が消されました)

 

 また、8番ユニット+6番ユニットの編成も早岐駅留置線に入りまして、これらユニットも離脱へ至りました。これで1番ユニット+110番ユニットが入りますと、長崎地区のキハ66・67系気動車の歴史に終止符が打たれるに至っておりまして、翌日より各地へ疎開のため回送されております。

 

 

 今回は、引退から1年になりますキハ66・67系気動車の令和3年6月撮影時の回顧録をご紹介しましたが、私自身も休みの度に収めに行ってもいましたので、1年しかたっていないとは言えども懐かしく思います。それだけあちこち行っていたのかと実感する所ではありましたが、もう稼働していない事を思えばよく行ったなと思う所でもあります。現在は最後まで残っていた8ユニットとも熊本県内に疎開留置されておりますが、冒頭もご紹介しましたように今後呼び出しがあるようですので、呼び出し・解体へと至りますとこのキハ66・67系気動車のストーリーも終わる事になるのかなと思ってなりません。