1969年3月15日、遠鉄浜松で挙行された
特急東名静岡浜松線開通式
1969年3月15日、遠鉄浜松で挙行された
静岡鉄道便の花束贈呈式
その後、1968年6月に東名高速道路が全線開通し静岡ー浜松間の急行路線バスの大半の便は東名高速道路を経由する特急東名静岡浜松線となります。
急行静岡浜松線は30分ヘッドでしたが、毎時1本に整理されました。
静鉄沼津線で活躍する1202号車
三菱B905N(1969年)
新静岡ー静岡駅前
1976年
当初は路線バス型専用車輌で運行を開始した静岡ー浜松間の都市間バスは東名高速道路経由となり沿線の一般路線の相互乗り入れから都市間を結ぶ要素が強くなります。
急行静岡浜松線は1954年想起されたものの3社の足並みが揃わず、開通が1963年10月と大幅に遅れたうえに翌年10月には東海道新幹線が開業、つまり競業する公共交通機関のなかで便数や本数、所要時間と云った利便性や話題性や経済性で総合的に有利だったのは開業後僅か1年足らずであったと思われます。
開通まで時間が掛かってしまい、折角開通したものの自家用車の爆発的に増えてしまい、当初期待された程に収支は芳しくありませんでした。
開業から僅か2年目の収支を示すものです。急行静岡浜松線はキロ当り62円、準急掛川浜松線ではキロ当り36円と他の路線の数値と比べれば如何に
採算性が悪かったのか分かります。交通の選択肢の少なかった1954年に3社スムーズに運行に漕ぎ着けたのなら県内でのバス移動が定着していたのかもしれません。
特急東名静岡浜松線の利用者数は、1970年度の同線の輸送人員は13万人(輸送密度ー)、1974年度は12万人(輸送密度12.3人)、1975年度は15万人(輸送密度15.2人)1976年度は14万人(輸送密度13.9人)と、採算ラインの20人を下回り、苦しい状況が続きます。静岡鉄道では1954年〜1956年にかけて静岡沼津線(富士急行と共同運行)、静岡甲府線(山梨交通と共同運行)むたま行っていましたが、沼津線は1980年廃止され、遠州鉄道も浜松岡崎線を高速路線化した浜松名古屋線も1980年に廃止されました。
晩年の特急東名静岡浜松線は、静岡市内の経由地を本通り・中町・県庁前を経由し、双方のバス会社のフリー乗車券とのセット券の発売やカード式公衆電話の設置などテコ入れを図りましたが高頻度かつ定時性の高いJR東海道本線には太刀打ち出来ず、1994年4月に静岡ー浜松間の高速路線バスは廃止されました。