昭和57年6月23日に、東北新幹線が開業して今年で40年となります。昭和57年11月15日に開業した上越新幹線も今年で40周年を迎えます。
 

   東北新幹線の開業40周年を記念して新幹線リレー号が復活運転されます。
 

   東北新幹線と上越新幹線の上野・大宮間は、用地買収などが遅延したことで、昭和57年の開業に間に合いませんでした。その為、東京駅から新幹線を利用して、東北、上越方面に向かう乗客は、大宮駅迄は一旦、在来線を走行する接続列車である新幹線リレー号に乗車して、大宮駅から新幹線列車に乗車する方式がとられました。昭和60年の上野開業迄この方式がとられました。
 

   東北新幹線、上越新幹線の開業は、東海道ベルト地帯以外での初めての新幹線の開業であり、新幹線の新時代到来であったと言えましょう。
 

   昭和40年代半ばに策定された整備新幹線構想は、国鉄の経営悪化や、日本列島改造論のような均衡的、分散的な国土開発が地下騰貴などにより、抑制されるようになったことで、計画が再検討、先送りされるようになりました。
 

 東北新幹線、上越新幹線は、当初、昭和52年頃の開業予定でしたが、実際は5年遅れての開業となりました。
 

 マスメディアなどは、特に上越新幹線に対して、不要論を唱え続けていました。(執拗な不要論の大合唱には、全く首をかしげざるを得なかった記憶があります。)
 

 東北新幹線、上越新幹線は、地域の発展や、太平洋側と東北地方や北陸地方との移動の便の向上に大いに役立っていますが、開業迄には、様々な問題に直面していました。
 

 大清水トンネルや中山トンネルなどの建設は、難工事となりました。
 

新幹線リレー号の運転は、上野・大宮間の建設が遅れたことが要因ですが、東北新幹線、上越新幹線が開業に至る迄には、その他、様々な曲折や苦労があったことをも想起させられます。
 

 新幹線の新たな開業と云う大きな出来事に際しての特殊な形態の列車であったことで、新幹線リレー号は、特に鉄道ファンの間で銘記されるようになりました。
 

 新幹線リレー号を懐かしむと同時に、新幹線建設にまつわる苦労も思い起こしたいと思います。

 

 新幹線リレー号の復活運転は7月2日です。
 団体列車として運転されますので、基本的に、駅などでの見物だけになると思います。
 撮影に際しては、周辺の迷惑にならないように注意して下さい。