※記事内の写真は2022年5月に撮影したものです。
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泊村盃地区を抜けて1㎞超のトンネルに入りました。
この旅を計画するときに初めて神恵内村を知りました。人口は約800人と、北海道で2番目に人口が少ない市町村です。
②↓トンネルを抜けた先に建物はないようです。道路両側には欄干があるので橋?
③↓橋でした~。しかし跨いでいるのは川ではなく海!
④↓上写真左を望むと旧道の跡が下を通っています。旧道は海沿いを通りカーブも多かったようです。
⑤↓上写真背後を望む。旧道は山肌に沿ってカーブの連続でした。現道はギザギザの海岸線の突端を結んで、海の入り江を跨いで伸びています。
⑥↓少し進むと、2つ上写真の先にある旧道のトンネルが見えました。塞がれています。その背後には海越しに冠雪した山脈がそびえます。
↑旧道の右に旧旧道のトンネルもあるそうです。黒いのがそれか?
⑦⑧⑨↓上写真右下には広い岩場が広がっています。
⑩↓橋の下を覗くと車が何台か停まっています。どうやって入ったん!?
⑪↓一海跨いで岬の突端を通ります。左奥に伸びるのが旧道。そして右奥が今歩いてきた現道。
⑫↓こちらの岬にはちょっとした駐車スペースと道路開通記念碑があります。
⑬↓ここから先の道路の様子。道路が海岸線の突端を結んでいる様がよくわかります。
⑭↓陸地を100m程通ると再び橋で海を越えます。
⑮↓旧道は山肌に沿って海を避けます。この入り江は先ほどよりも奥行きが深めですね。
⑯↓上写真背後を望む。岩場というより岩がドンっと海の中に鎮座していますね。
⑰⑱⑲↓そんな岩を見下ろしながら道路は伸びています。
⑳↓次の岬よりも先は現道も結構なカーブを描いています。
㉑↓しかし旧道はその比ではありません。こちらの旧道上には大きな壁が置かれています。絶対に侵入させないという強い意志を感じる(笑)。この先は危険なのでしょうねぇ。
㉒↓入り江の向こうに旧道の埋められたトンネルが見えます。
㉓↓上写真左上にも道路のような構造物が!これはやはり旧旧道跡で、なんと旧道ができる1969年まではここを路線バスが走っていたそうです。
先ほどの記念碑はこの旧旧道が開通した1922年に建立されました。現道とは比べ物にならないほど険しいこの道も、陸の孤島と化していた神恵内村にとっては悲願の開通でした。
㉔↓そんな険しい旧旧道の上を跨ぐ現道には弁財澗バス停があります。道路は広々、カーブも緩やかで大型車でも不自由なく走れるようになりました。
このバス停、周囲に人家も何もありませんが、利用者いるの?次のバスはまだ来ないので自分は利用しませーん。
つづく
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