2336レを西武立川で出迎えて、6000系6101Fの乗車再開。
拝島線内、停車の隙にちまちま降りては撮ってみて…
小平も超えて…
花小金井で、降りた。
ここで降りた方が、少しでも長めに昼ご飯を食べる時間が取れると、経験則から判断。
駅前でしばしの昼食タイムを、14時過ぎてようやく取れた。
(今月まで仕事の時の昼食が14時からだったから、特段問題は無かったが)
…30分ほどして、西武新宿線の撮影に戻る。
ちょうど来たのは新2000系。
深く座れる座席にゆっくり腰を下ろし、今度は本川越方面へ。
小平での拝島行きとの接続待ちの間隙に。
ところで、黄色い電車が西武鉄道の象徴のように語られるが、自分は決してそうは思わない。
黄色い電車の端緒は1969年製造の101系からだが、当初は側面の窓周りにベージュが塗られた
ツートンカラーであり、レモンイエローと称される黄色一色の車体が登場するのは701系電車が
冷房改造などサービス品質改善工事の最中の1976年8月竣功分からだった。
しかも1990年6月に多摩湖線の351系が引退するまで、旧来の赤電塗装も現役で残っていたので
実際、西武鉄道の通勤電車※が黄色系のカラーで統一されていたのは6000系が登場するまでの
ほんの僅か1年半ほどだったので、なんとも違和感が拭えないのである。
※近郊形と言ってもいい2扉の4000系と新交通システム山口線の8500系は除外して考えた
それ以降、701系列の全廃で101系や3000系もレモンイエローの単色塗りに改められたものの
6000系から20000系、30000系、40000系と増備が進む毎に黄色のイメージは薄れた。
9000系で所沢車両工場での自社内製造が終わり、同時に普通鋼製車両の製造が終わるとともに
既に黄色い電車の時代は終わり、2000年代の幕開けと共に新たな時代に入っているのだ。
…それでも、よくここまで残っていたな、という感は強い。
そしてそれが、まさかステンレス製電車第一世代の6000系にも及んでこようとは。
とにかく残された時間はどれも有限、そう肝に銘じて記録行脚は一段と力が入るのである。
2657レ、本川越行きに入る6101Fを先回りして迎撃。
ここから本川越まで行き、また折り返して戻る。
とにかくどこにいても、そこにいる限りは何かしらアクションして記録に残しておきたい。
それは、もはや自分の揺るがないスタンス。
それは、決して鉄道だけに限った話でもない。
そして、この日は小平で下車。
ちょうど、朝に会った2000系2541F+2405Fの編成が引き上げられていく。
この日の運用はこれで終わり、玉川上水へ回送されていく。
そして、6101Fともこの日はこれで別れた。
…さて、回送されていく2000系2541F+2405Fは…
小川駅で側線に入線!
少しの間停車したので、後ろから前へ間近に編成を眺めていく。
ちなみにこの時、国分寺線には偶然旧2000系同士の交換が。
拝島・国分寺側にいれば3編成の並びを一瞬収められたみたいだ。
ただ、さすがに回送が停車してからは、これくらいが精一杯。
リベンジする機会はあるだろうか?
時間は16:33。
この日はこれで、西武線の記録を終えた。
一番自宅から近い私鉄ということもあるので、今後も間隙を縫って記録は続けていく。