激変迫る!西武の黄色い電車と“銀6”を追う(2022.6.11③) | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

激変シリーズ…まだまだ続く(はず)

2336レを西武立川で出迎えて、6000系6101Fの乗車再開。

拝島線内、停車の隙にちまちま降りては撮ってみて…


小平も超えて…


花小金井で、降りた。


ここで降りた方が、少しでも長めに昼ご飯を食べる時間が取れると、経験則から判断。

駅前でしばしの昼食タイムを、14時過ぎてようやく取れた。

(今月まで仕事の時の昼食が14時からだったから、特段問題は無かったが)


…30分ほどして、西武新宿線の撮影に戻る。

ちょうど来たのは新2000系。

深く座れる座席にゆっくり腰を下ろし、今度は本川越方面へ。


小平での拝島行きとの接続待ちの間隙に。


ところで、黄色い電車が西武鉄道の象徴のように語られるが、自分は決してそうは思わない。

黄色い電車の端緒は1969年製造の101系からだが、当初は側面の窓周りにベージュが塗られた

ツートンカラーであり、レモンイエローと称される黄色一色の車体が登場するのは701系電車が

冷房改造などサービス品質改善工事の最中の1976年8月竣功分からだった。

しかも1990年6月に多摩湖線の351系が引退するまで、旧来の赤電塗装も現役で残っていたので

実際、西武鉄道の通勤電車が黄色系のカラーで統一されていたのは6000系が登場するまでの

ほんの僅か1年半ほどだったので、なんとも違和感が拭えないのである。

※近郊形と言ってもいい2扉の4000系と新交通システム山口線の8500系は除外して考えた


それ以降、701系列の全廃で101系や3000系もレモンイエローの単色塗りに改められたものの

6000系から20000系、30000系、40000系と増備が進む毎に黄色のイメージは薄れた。

9000系で所沢車両工場での自社内製造が終わり、同時に普通鋼製車両の製造が終わるとともに

既に黄色い電車の時代は終わり、2000年代の幕開けと共に新たな時代に入っているのだ。


…それでも、よくここまで残っていたな、という感は強い。

そしてそれが、まさかステンレス製電車第一世代の6000系にも及んでこようとは。

とにかく残された時間はどれも有限、そう肝に銘じて記録行脚は一段と力が入るのである。


2657レ、本川越行きに入る6101Fを先回りして迎撃。


ここから本川越まで行き、また折り返して戻る。


とにかくどこにいても、そこにいる限りは何かしらアクションして記録に残しておきたい。


それは、もはや自分の揺るがないスタンス。

それは、決して鉄道だけに限った話でもない。


そして、この日は小平で下車。


ちょうど、朝に会った2000系2541F+2405Fの編成が引き上げられていく。

この日の運用はこれで終わり、玉川上水へ回送されていく。


そして、6101Fともこの日はこれで別れた。


…さて、回送されていく2000系2541F+2405Fは…

小川駅で側線に入線!


少しの間停車したので、後ろから前へ間近に編成を眺めていく。



ちなみにこの時、国分寺線には偶然旧2000系同士の交換が。

拝島・国分寺側にいれば3編成の並びを一瞬収められたみたいだ。

ただ、さすがに回送が停車してからは、これくらいが精一杯。

リベンジする機会はあるだろうか?


時間は16:33。

この日はこれで、西武線の記録を終えた。

一番自宅から近い私鉄ということもあるので、今後も間隙を縫って記録は続けていく。