ついに!近日中の発売終了が告知されてしまったJR北海道HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パスLOVEパス)。4月1日のJR発足35周年を記念した、LOVEパスを利用したJR北海道在来線全線完乗の旅の2日目を紹介します。本来ならば発売期間中の間に全編アップするつもりだったのが、6月17日の発売終了予定の告知によるあまりにも急速な駆け込み需要に伴い、想定を上回るスピードで売り切れ見込みが早まったのと、個人的な事情もあって執筆が遅れてしまい、残念ながらパス発売中に本シリーズ全ての行程をアップするのは困難になってしまいました。申し訳ありません。

 

 

第2日目:4月2日 From網走→To札幌

乗車路線:釧網本線・根室本線・石勝線ほか

乗車距離:791.3km(札沼線含まず)

 

「上り列車は下り列車」

第3ランナー 網走6:41→釧路10:00 釧網本線 4725D普通

☆キハ54 515(釧クシ

 

前日は思わぬ形でオホーツク1号が運転打ち切りとなり、普通列車への乗り継ぎを余儀なくされて結局後続の大雪1号(※定刻ならば16:35着)と30分程度しか変わらない時間に網走入り。そのため、レンタカーを借りて行きたい処へ行けなかったという痛恨事ではありましたが、その事については後程説明します。

 

この日は晴天という絶好の乗り鉄日和ですが、早朝からの行動という事で5時半起き。前日オホーツク1号で乗車した編成(※北見から大雪4号→旭川から大雪3号で網走へ戻る)である72D特急オホーツク2号が5:56に札幌へ向けて発車していきました。このスジはかつてのキハ56系急行『大雪2号』を受け継いでいますが、特急化以降は6時台の出発だったのに、5年前の石北本線特急系統分割という「改悪」で後続の6082D特急大雪2号と時間が接近するため、急行時代以来の5時台出発になってしまいました。

 

 

 

慌ただしく支度を済ませ、6:15位に網走駅へ。

ご存知の通り、当駅は石北本線と釧網本線の終着駅。つまり、両方向からの終着駅ではありますが、釧網本線は起点方向に向かうのが『下り列車』という扱いになっている特異な路線。そもそも、網走本線(※後述)時代から当駅を介した直通列車が運転されていた事を鑑み、列車番号も上下を逆にした形態が連綿と受け継がれているのです。

 

 

 

網走駅の待合室。旅行シーズンともなると釧路行4725Dに乗る旅人の姿がそこそこに見受けられるのですが、年度初めのオフシーズンという事もあって、列車を待つ人の姿は誰一人おらず、誰も視聴していないにも関わらず点いているNHKのTVがむなしい…。

 

 

 

網走駅の5時台後半~8時台はゴールデンタイム的な時間帯で、石北本線と釧網本線の上下列車が計9本発着。

石北本線の上り普通列車の始発が西留辺蘂行4652Dなのですが、通常時は北見方面への通学列車となるため3連での運転で、その最後尾に昨日北見駅から乗車した普通4663Dの中の1両だったキハ40 1745が入っていました。実質旭川運転所からの送り込みである同列車で網走駅に到着後、留辺蘂行4670Dとしてそのまま折返し、北見駅からそれぞれ分割されて1両ずつ別々の運用となった後戻ってきたようです。

 

 

 

さて…今回乗車する4725Dは発車の約10分前に改札開始。

このキハ54 515はキハ183系0番台車のグレードアップ化で捻出された座席(R51C簡易リクライニングシート)を再利用した、いわゆる『集団見合い式』座席。

釧網本線は列車本数が少ないため、特に網走~釧路を通しで運転する便は乗り鉄や旅人からの人気が高いのですが、私以外に乗り込んだのはもう1人(乗り鉄風の男)だけ…。クロスシート部分は座席と窓の割付が合わないため、良い座席を確保すべく早々と駅に行ったのに拍子抜けしてしまいました。勿論、進行左側の眺望の良い席を選んで着席。

 

 

 

4番線(留置線)には、前日の大雪2号になるハズだったキハ183系4連がまだ留置されていました。同編成がこの後どうやって苗穂へ戻ったのかは不明。

 

 

 

さて…釧路へ向かう4725Dですが、結局私ともう1人、つまりたった2人だけの乗客を乗せて網走駅を発車。流氷観光とG・Wの狭間という事もありますが、旅行シーズンともなると朝イチの始発にも関わらず多くの乗客でこの列車も賑わうのです。

 

 

 

そういえば3月ダイヤ改正後、JR北海道のワンマン列車の自動放送にSOSボタンの位置を確認頂き、緊急事態が発生した場合はSOSボタンを押して乗務員へお知らせください」 などの文言が追加されました(一部路線ではダイヤ改正前から切替済)。昨年10月の京王線事件など、列車内での無差別殺傷行為が相次いだ事を受けての措置ですが、一部の異常者のために鉄道会社が余分なコスト(自動放送音源追加の他に、車内の防犯カメラ設置など)を費やさなければならず、鉄道ファンの一人として列車内や駅構内での犯罪行為を断じて許す事はできません。

 

 

 

網走の市街地を通り、桂台駅発車後に入る網走トンネルを抜けると、国道244号線と並行しオホーツク海の海岸沿いに出ます。

 

 

 

藻琴駅の手前で国道をアンダークロスし、やがて海岸線沿いを走行、そして『オホーツク海に一番近い駅』である北浜駅に停車しますが、乗降客は相変わらず増減ナシ。

(※おことわり:後面展望もしくは前面展望の写真は、乗務員室内立入禁止エリア内での撮影は一切行っておりません。以下同じ)

 

 

 

北浜駅から先はオホーツク海の眺めはほとんど砂丘に隠れる代わりに、初夏になればエゾスカシユリやハマナスなどの花が彩る小清水原生花園の中を進み、進行右側には湯沸湖と藻琴山が見えてきます。

 

 


原生花園と湯沸湖などの眺望とお別れし、浜小清水駅には7:06に到着。

知床斜里駅を6:45に発車したキハ54 519単行の上り北見行4722D(網走から4654D)と交換します。

 

 

 

ここで、私はガラ空きなのをいい事に車内中央のテーブル席に移り(流石に1人乗車の時に席を取るのは憚られる)、前日にセコマで購入した食糧で朝食を摂らせて頂きました。東横インの無料朝食は6:30~なので、4725Dの乗車には間に合わないため予め買っておいたのです。もっとも、乗り鉄の中には6:30スタートのタイミングで朝食をテイクアウト(本来ならば容器はお部屋食前提なので、ホテル外への持ち出しはNG!)するツワモノもいるようですが…。尚、食事を済ませた後は元の自席に戻ったので念のため。

 

 

 

その食事中に止別駅に停車。

冒頭で述べた前日網走でレンタカーを借りる予定があったのは、当駅駅舎内に店舗を構える1『ラーメンきっさ えきばしゃ』(※リンクは小清水町HPより)に行くためであって、恥ずかしながら私は釧網本線に数えきれない程乗っていながら同店に一度も行った事がなかったのです。昨年暮れにようやく列車を利用する形でソレが叶い(4729D→4731D)、北海道ラーメン特有のコッテリ味(私は苦手)とは一線を画するダシの効いたあっさりテイストがとても気に入りました。その後残念ながら『まん防』の絡みなのか15時位までの短縮営業になり、列車に乗って再訪する事ができなくなってしまったため、オホーツク1号が網走に到着後レンタカーで…というワケだったのでした…。残念😞

その後通常営業に戻っており、6月某日に再び上記の列車利用で再訪が叶いましたが、スープがなくなり次第閉店(しかもお店自体が不定休)との事なので、来店される際は事前に電話してからのほうが良いでしょう。

 

 

 

止別駅から先は再びオホーツク海沿いを走行しますが、この列車乗車日から3週間後に知床遊覧船沈没事故が海の向こうで起ころうとは…。知床のイメージを大きく損ね、事故の責任を国へ擦り付けようとする誠意のない運営会社の社長には憤りを感じずにはいられませんが、今後あのような悲劇を繰り返さない事が、犠牲者へ対するせめてもの供養でしょうか…。

 

 

 

やがてオホーツク海とはお別れし、斜里川を渡ると知床斜里駅に到着。

 

 

 

知床斜里駅では約4分停車し、石北本線へ直通するもう1本の列車であるキハ40形(旭アサ)2連の北見行4724D(網走から4656D)と交換します。

今や釧網本線でキハ40が見られるのは同列車と、送り込みである北見発知床斜里行4735D(網走まで4673D。下り列車としては唯一釧網本線へ直通)のみとなってしまいました。釧路40の定期運用が消滅した現在、日本最東端で運用されるキハ40系です。

4724Dは斜里や網走の高校へ通う高校生の通学列車のため2連なのですが、春休みなので当然ガラガラ。2両目はなんと、前日北見→網走(4663D)で乗車した1712…。乗車したのはその時が最後でしたが、この時こそが本当に最後の別れとなってしまいました。先頭の1824(原番号249。1982年製のラスト1つ前で3列座席改造車)も同じく40年の活躍にピリオドを打ち、5月17日釧路へ向けて廃車回送されています。

 

 

 

結局、知床斜里駅からは乗客が1人増えただけで、相変わらず少ない乗客を乗せて再び発車。列車はぐるっと南へ進路を変え、進行右側に見える海別岳や斜里岳などの知床連山がしばらく車窓の友となります。

 

 

 

知床斜里駅から乗車した1人は清里町駅で下車してしまい、再び網走からの私たち2人だけという回送列車さながらの状態に。

次の札弦駅は、池田駅から野付牛(現・北見)~網走を経由して延長が進められた『網走本線』としての終着駅だった処で、網走支庁と釧路支庁の境界である釧北トンネル越えルートが開通した事に伴い、東釧路~網走が釧網本線となって道東の一大環状ルートが完成したのですが、その後の展開はご承知の通り…。池田~北見は『ふるさと銀河線』に転換されるものの結局廃線となり、巨大な鉄道空白地帯ができてしまいました。今残っている石北本線と釧網本線もJR北海道から『単独では維持困難』路線にリストアップされ、存廃の危機に直面しています。もうこれ以上道東から鉄路を失くさないで欲しいのが私の願いなのですが…。札幌まで開業してもどっちみち赤字必至北海道新幹線のために、地方の路線が犠牲になるのはまっぴら御免ですよ。

 

 

 

網走管内(※シツコイけど当ブログではそう呼ぶ)最後の駅・緑駅を出ると釧網本線最大の難所である野上峠越えに挑み、サミットである釧北トンネルを抜けると釧路管内に入り、周囲が開けてくると川湯温泉駅に到着(8:11)。ここからようやく2人乗客が増えました。

当駅では、釧路駅からの上り始発列車である4726D(キハ54 507流氷物語白ラッピング車)と交換します。3月ダイヤ改正前は緑駅で交換していましたが、上り列車のダイヤが繰り下げられたため当駅に変更されています。

 

 

 

約7分の停車後、川湯温泉駅を発車。

少しの間だけですが、進行右側には硫黄山(アトサヌプリ)が見えます。

 

 

 

 

弟子屈町の中心である摩周駅には8:34に到着。乗車客はたった1人だけで、川湯温泉駅の乗車客のうち1人が降りてしまったため+-ゼロ。

1つ手前の美留和駅到着前、「弟子屈においでの方は、次の摩周でお降りください」というワンマン自動放送アナウンスが流れるのですが、かつての隣駅・南弟子屈駅でも、2020年3月ダイヤ改正で廃駅になる前は上り列車到着前に同じ内容の車内放送がありました。1990年に町名の弟子屈から観光振興のため摩周駅に改称された当初は、本来同駅で降車すべき処を誤って南弟子屈で降車してしまうというトラブルが多発したという逸話が残っています。

本来釧路管内は雪が少ないのですが、内陸部ではどうやら前夜に降った雪がそこそこ積もったらしく、4月に入ったにも関わらず一面の銀世界に…。

 

 

 

かつて標津線が分岐していた標茶駅を過ぎ、『丹頂鶴が来る駅』として有名な茅沼駅に停車。駅裏側の畑を見ると…いましたよ!鶴が!!😃

 

 

 

やがて列車は釧路湿原国立公園内に入り、シラルトロ湖(写真)と塘路湖を進行左側に見ながら9:21、塘路駅に到着。当駅では釧路駅を8:57に発車した網走行3728D快速しれとこ摩周号(キハ54 524)と交換します。

 

 

 

塘路駅を出ると、進行右側に蛇行する釧路川沿いを走行するため、空いているのをいい事にこの区間は席を移動して釧路湿原の車窓を楽しませて頂きました。

 

 

 

その釧路湿原の中にある細岡駅。

当駅は2016年~2020年の5ヵ年において、1日平均の駅別乗降人員がJR北海道の中でも最低レベルの「1人以下」ではありますが、『秘境駅』でマチおこしのため自治体管理駅となった室蘭本線の小幌駅(豊浦町)や糠南駅(幌延町)などとは異なり、当初から廃駅候補にも挙げられていない特異な存在です。当駅近くにはカヌーの船着き場があるため、その利用者が時々乗降する程度との事なので、観光振興のために残しているという事でしょうか。勿論、この列車に乗り降りする乗客はいませんでした。

 

 

 

釧路湿原駅(季節停車)を通過後、急ブレーキが掛かり「エゾシカか!?」と思いきや…なんと線路上に丹頂鶴が飛び出してきたらしく。その鶴は無事だったのが幸いで、何事もなかったかのように羽ばたいた後再び地上に舞い降りてきました。まぁ、エゾシカの飛び出しは日常茶飯事で起きていますが、丹頂鶴は見られない事も多いため、こうして車窓から見掛けた際はラッキーだと思っていたほうが良いでしょうね。

 

 

 

湿原区間とはお別れし、釧路のベッドタウンでもある遠矢駅を経ていよいよ釧網本線の起点である東釧路駅に到着。起点駅のため当然0キロポストも設置されていますが、根室本線の起点・滝川駅からの距離も書き込まれているのが興味深いです。

標茶や塘路、遠矢からそれぞれ乗り込んだ人も含めて、ここまでの乗客は全部で10人。4人下車して代わりに2人が乗車。釧網本線の旅は終わりましたが、終着・釧路駅までの1駅だけ根室本線(花咲線)を通る事になります。本来、根室本線であれば上り列車になるのですが、釧網本線から直通する列車はあくまでも下りなのがユニーク?

 

 

 

釧路川を渡って定刻10:00に終着・釧路駅1番線に滑り込み、網走駅から3時間19分の旅が終わりました。下車したわずか8人(私も含む)の乗客に、釧網本線の厳しい現実を見せ付けられた思いではあります。まぁ、乗る側にしてみれば「あずましい」のですが、JRにしてみればお気の毒…。それでも、季節問わず観光シーズンともなると多数の乗客に利用されている事は紛れもない事実であり、恒久的に残すべき鉄路なのは言うまでもありません。なんてったって、列車に乗る事そのものが『観光』なのですから…。

 

 

 

「これぞ、まさに最果て」

第4ランナー 釧路11:12→根室13:22 根室本線(花咲線) 3629D快速ノサップ

☆キハ54 526(釧クシ

 

昨年建築から60周年を迎えた、道内最後の民衆駅・釧路駅舎。駅自体の開業も昨年でちょうど120周年(※当時の駅位置は異なり、現在は廃駅となった浜釧路貨物駅の場所にあった)を迎えており、その歴史の半分をこの駅舎で過ごしたという事になります。

『霧のマチ』釧路ですが、まだそういう時期ではないのでこの日は見事な快晴。冒頭でも述べた通り文句ナシの乗り鉄日和。ただ、釧路市内でも前夜にまとまった雪が降ったようです。もっとも、4月なので融けるのも早いですが。

 

 

 

釧網本線のお次は根室本線(花咲線)の快速ノサップに乗り、最東端のマチ根室を目指すのですが、コチラもキハ54単行という事で、眺望の良い席を確保すべく私は早々と改札を抜けてホームで入線を待つ事にしました。

 

 

 

2番線には10:25発の普通2524Dが停車中。キハ40による運用だったダイヤ改正前は帯広止まりでしたが、新得までの直通に変更されています。

その根室本線におけるH100の営業列車を今回初見しましたが、乗客はたった4人…(ほとんどが18キッパーと思われる乗り鉄風の男)。しかし、発車時刻を過ぎても一向に発車する気配はありません。それもそのハズ、音別~白糠において貨物列車の踏切事故が発生したためダイヤが乱れていたのでした。結局8分遅れの10:33に出発しましたが、列車自体は帯広で打ち切りになったとの事…。

 

 

 

さて、今回乗車する快速ノサップは10:47頃に入線。2524Dの出発遅れの絡みからか本来の2番線から3番線に発車ホームが変更されました。

今回充当されたキハ54 526も車内は集団見合い式仕様。今回も眺望の良い進行右側席、なおかつリクライニングが気兼ねなくできるクロスシート最後部に席を確保しました。尚、釧路54は一部車両の前面幕に行先表示がされているため、この526にはサボが掲出されていません。1959年に釧路~根室の準急列車として登場した『ノサップ』の愛称も、今やこの列車1本を残すのみとなっています(快速化以降もしばらくは急行時代の愛称札を掲出していた)

 

 

 

5番線には根室からやってきたキハ54 517による5626Dが定刻の10:53(※眺望の良い区間における減速ダイヤ)から若干遅れて到着。

本来ならば札幌行4006Dおおぞら6号に接続するのですが、先述の踏切事故の影響で折返し運用となる4001Dおおぞら1号の到着が大幅に遅れたため、乗換客は思わぬ形で足止めを食らう事となりました。

 

 

 

結局、おおぞら1号が約1時間45分遅れで到着する事となったため、その接続を取らずに乗客14名だけを乗せて快速ノサップは定刻通り出発。再び釧路川を渡ります。

 

 

 

東釧路、武佐、別保を経て、湿原の原野に入り、『ゲゲゲの鬼太郎』の家の屋根のような『やちぼうず』が広がる原野の中に入ります。

 

 

 

山間部を抜けた上尾幌駅までは各駅停車ですが、尾幌、門静の両駅は通過。

やがて厚岸湾の海岸沿いに出ます。写真1枚目の島は湾外にある無人島の大黒島。

 

 

 

11:58着の厚岸駅で乗客の半分近くが下車。

 

 

 

厚岸から先は厚岸湖と、それに続く別寒辺牛湿原の中を走行。

 

 

 

別寒辺牛湿原が果て、3月ダイヤ改正で廃駅になってしまった糸魚沢駅跡を通過。この時点では廃駅からまだ半月余りだったため駅施設は残っていましたが、無念にも真新しいログハウスの駅舎の入口や窓には板が打ち付けられ…。実は当駅には昨年11月に釧路発着の列車を利用して訪問しており、いずれ記事にしたいのですが、なかなか実現できていません…。

 

 

 

釧路~根室のほぼ中間にあたる茶内駅(12:17着)では、根室駅を11:03に出発した3628D快速はなさき(キハ54 523)と交換。

 

 

 

かつて標津線が発着していた厚床駅(12:39着)。

今や交換設備すら使用停止されてしまった事実上の棒線駅ですが、標津線用として使われていた旧2番線ホーム側の駅名標は撤去されておらず、隣の初田牛駅廃駅後に新品に交換されています。当駅で地元客2人が乗車。

 

 

 

2019年3月ダイヤ改正で廃駅となった初田牛駅跡を通過。

 

 

 

別当賀駅通過後しばらくして見えてくる、花咲線区間における車窓のハイライトがこの落石海岸。日本の鉄道路線の中で最果てムードが最も濃い区間といえるでしょう。シカし…この辺りは別保~上尾幌と並んで特にエゾシカの出没が特に多い区間であるため、運転士も特に神経を遣うのです…。

 

 

 

景勝地区間を抜けて程なく、エゾシカの群れが線路上を支障して急停車。警笛を鳴らしながらの徐行を余儀なくされます。シカし…この殖え過ぎたエゾシカ、ホント何とかならないもんですかねぇ…😖

 

 

 

日本最東端の交換設備のある駅・落石駅に停車。地元の高校生風の女の子が1人乗ってきました。この先、終着根室駅までノンストップ。

 

 

 

落石駅を出ると再び落石海岸が車窓から見え、昆布干しをしている漁師の姿も。

 

 

 

西和田駅付近の牧草地にも、非常に多くのエゾシカの群れが!

写真では判りづらいですが、角のあるオスより圧倒的にメスのほうが多い、いわゆる「ハーレム」状態。鹿が羨ましい…😠

 

 

 

旧花咲駅(2016年廃駅)付近で見える花咲港、そしてモユルリ島とユルリ島の2つの無人島。

 

 

 

やがて根室の市街地に入り、日本最東端の駅・東根室駅は通過。

ちなみに下り快速ノサップは唯一当駅を通過する列車です。

 

 

 

13:22、終着・根室駅に到着。

私を含めてわずか9人の乗客が下車しました。おおぞら1号からの乗換客がいればあと10人位は多かったのではないかと…?それにしても、やはり閑散期のためか乗客は釧網本線同様に少なく、かなり厳しい状況である事には変わりありません。

 

 

今回はここまで。

本来ならば2日目全編を一度にアップしたい処でしたが、記事の内容があまりにも長くなり過ぎて投稿できないため、残りを分割して次回に紹介させていただきます。

つづく